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青山一丁目にて
「ああ、頭に来た!もう腹が立った!こんなところ出てってやる!」
ボスが息を荒くして事務所に戻ってきた。なんでボスはこんなに怒り心頭なんだろう。
「聞けよハヤカワ、こないだよ、ここの10階にあのコタニミカコさんが事務所開いたんだよ」
ああ、聞いたことあります。
六本木通り沿いに建つ金谷ホテルマンションは芸能関係者にも人気で、3階にはあの渡辺貞夫さんも部屋を借りていたほど。世界のナベサダさんはめったにいないけどたまの来日(?)滞在中は昼下がりにそれはそれはうっとりするようなサックスの調べをぼくらに聴かせてくれた。
「それがよ、俺んとこの倍ぐらいあんだぜ、広さ。なのによ、家賃が俺が払ってる額より安いんだってよ」
そうなんですか。それは有名税の逆パターンというやつですね。
「俺あったまきてさ、ケン・コーポレーションにのっこんでやったんだよ。ちったあ家賃下げてくれっかと思ってよ」
ボスは秦野の生まれだけあって感情的になるといかにもな訛りが出てくる。
「そうしたら野郎ども、それとこれとは話が別ですとかいいやがってよ、ビタイチまかんないらしいんだよ」
ケン・コーポレーションの担当者様も災難だったなあ。確かボスの一番下の弟さんは本職だったしな。もともとそういう血筋なんだな。
そんなボスの怒りに「ほんとにね!」「あったまきちゃうわね!」「星野さんの言う通りだわ!」と絶妙な相槌を打つ事務兼秘書のスージーさん。ついでに愛人ではないかという疑惑もあったが真相やいかに。
「でよ、もう思い切ってこんなとこ出てやろうと決めた!なんなら物件も決めちまったぜ。こんどはお前、赤坂だ!東急エージェンシーも近いぞ」
確かに東急エージェンシーはうちのお得意代理店ですが、どちらかというとイメージスタジオ109とか東急ストアがメインのお取引先なのでかえって不便になりますね。
「来月には出るぞ!お前たち!いまから準備しとけよ!」
それだけ言うとボスはスージーを伴って霞町交差点脇の「浜の家」に飲みにいってしまった。ぼくは同僚のこうちゃんとデザイナー見習いのコマツと3人でせっせと版下づくりに励んでいた。まだマックがごく一部のデザイナーのおもちゃで、カラーカンプを印刷するのに出力屋に3時間もカンヅメにされたいい時代だ。
新しい事務所は住所こそ赤坂だが最寄り駅は青山一丁目だった。地下鉄の改札を抜けると青山ツインの地下レストラン街を経由して地上に出る。
この青山ツインタワーには尊敬してやまないコピーライターの土屋耕一さんが仕事場を開いていた。いつかばったりお会いしたときのために、ぼくは『土屋耕一全仕事』という作品集とサインペンを常にバッグに忍ばせていた。
あれから31年経ったがぼくの家の本棚にある『土屋耕一全仕事』にペンは入ることなく、土屋耕一さんは帰らぬ人になってしまった。
土屋耕一さんにはお会いできなかったが、一度どころか二度、三度、そのお姿を目にした有名人はいた。櫻井よしこさんだ。
櫻井さんはいつも青山ツインの地下に降りる階段を足早に駆け下りていた。あの頃はまだ50前だったろうか、ブラウン管越しに見たままの美しく、麗しい女性であった。
新しい事務所の近くには山王病院という有名な産婦人科があり、山口百恵さんもこの病院でご出産されたのであった。ボスは「モモエちゃんの病院」と呼んでいた。子供か。
毎日のように通ってみると(実際には泊まり込むことのほうが多かったが)この青山一丁目界隈は意外と下町っぽいというか、都心の一等地にしては生活の匂いがきちんとしていた。
学校があって、子どもたちがいて、おじいちゃんやおばあちゃんもいた。夜はきちんと暗くなり、朝は鳩が鳴いていた。六本木よりも格段に過ごしやすかった。
中でも都営南青山一丁目アパートは31年前ですでに郷愁をそそる佇まいだった。驚くことにいまだに郷愁をそそる佇まいだ。どんだけそそられるんだ、郷愁。
引っ越しはニッポンレンタカーで借りてきた2トン車を使ってピストン輸送、ということになった。もちろんトラックを借りてくるのも運転するのも荷物の積み下ろしをするのもぼくらである。
新しい事務所が入るマンションはスカイプラザという。スカイなのに半地下で、広さは十分なのだが自然光が足りない。昼間も蛍光灯をつけないと仕事にならなかった。
「ああ~前の事務所の明るい日だまりが懐かしいッスね!」
デザイナー見習いのコマツが冗談めいた口ぶりでそう言った瞬間、ボスが発狂して夜食用に買ってきたばかりの牛丼弁当を全てコマツに投げつけた。コマツは泣きながら許しを請い、今度は自腹で4人分の牛丼弁当をもう一度買いにいった。べそをかきながら牛丼弁当を食べているコマツを見て食欲がなくなってしまった。
半地下に来て、なんとなく事務所内の空気は淀んでいるような気がした。
別に物件が悪いわけではない。設備もいいし、レンガ造りで建物もしっかりしている。前のようにエレベーターをつかわなくていいのも個人的には気に入っていた。半地下であることもほぼ毎日徹夜に近い生活だったのでむしろ好都合なぐらい。
「なあ、ハヤカワ、ここいいだろう?これだけ広くてよ、お前、六本木の家賃の半分なんだぜえ!まったく前の部屋ったらないぜ、なあ」
たぶん、ぼくたち、というよりボスに悪い気がついていたのだと思う。
デザイナー見習いのコマツはこのあと版下を地下鉄の網棚に置いたまま寝込んだあげく手ぶらで事務所に戻ってきて、ボスから鉄拳制裁を受けた挙げ句逃げるように静岡の実家に帰っていった。
ボスは新宿の聞いたこともない広告代理店の営業に連れて行かれたフィリピンパブにまんまとハマり、仕事をしなくなり、会社にもこなくなった。
スージーはボスに愛想を尽かして出ていった。
ぼくとこうちゃんは給料がストップしたまま2ヶ月経ったところで夜逃げした。
すべてはコタニミカコさんの家賃が安かったことからはじまった事務所崩壊劇。でもコタニミカコさんは悪くない。赤坂のマンションも悪くない。
ただぼくはこの体験以来、仕事場というものにはなにかこうどうにも抗えぬ力が存在する、と信じるようになった。それはおそらく経営トップとの相性のようなものだろう。
業績がいいから、あるいは家賃が高いからといってほいほいオフィスを移転するものではないのかもしれない。業績がいいのには理由がある。家賃が高いのにも理由がある。
世の中のすべてのことがらには理由があるのだ。
これが青山一丁目で25歳のぼくが手に入れたひとつの哲学だった。