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【Lo‐Fi音楽部#002】We Got It!

こどものころ。

共働きの家に生まれたので、夏休みや冬休みなどまとまった休みになると父方の実家に預けられることが多かった。田舎というには語弊があるほど、ふだん生活している町よりは自然が多めのロケーション。

庄内川という一級河川があり、大きく膨らんだ河原には祖母が野菜を育てている畑があった。コンクリートで固められていない堤防。鬱蒼とした鎮守の森。「コバタ」と書かれた看板の煙草屋。

だいたい3週間ほど預けられるのだが、五人兄妹の末っ子の孫、かつはじめての男子ということから祖父と祖母からはこれ以上ない寵愛を受ける。わがまま放題が許される環境。まさにパラダイスである。

そんなこともあり、小田井という、どこか土臭い名前の村にぼくは愛着を抱くようになった。

祖父は市内で旅行会社を経営しており、休みがあえばバスツアーに添乗してあちこちへ連れて行ってくれた。たいがいが日帰りだが、まれに一泊旅行もあった。

バスツアーの客はほとんどが年配で、ぼくは彼らからもたいそうかわいがられることになる。常連ともなると名前も覚えてくれて、おこずかいをくれることもしばしば。

そんな客たちから頼られ、慕われる祖父のことがぼくは誇らしかった。

誇らしい、で思い出したことがある。

ある夜、小田井の家を裸足で歩きまわっているうちに小さな棘が足の裏にささった。臆病で怖がりで痛がりという意気地のなさが服を着ているようなぼくは大声で泣き叫んだ。

自分では当然、抜けない。
祖母がなんとか、と試みるが、ぼくが暴れるために抜けない。歩けないし、立つことすらままならないぼくはさらに大きな声で泣きわめいた。

そこに祖父が仕事から帰ってきた。祖父は穏やかながらも珍しく命令口調で、横になりなさい、とぼくを布団に寝かしつける。

いつもの優しい口調で「いまから魔法をかけるからね」と言いながらゆっくり頭を撫でられて、魔法?と訝しがりながらも泣き疲れたぼくはいつの間にか眠ってしまった。

目が覚めると、祖父も祖母もすでに起きていてNHKのニュースを見ている。ぼくは「おはよう」と寝ぼけ眼で居間に向かう。祖父がにっこりわらって「おはよう」と返してくれる。祖母の「お茶のむか?」に首を横に振りながらトイレに行く途中で気がついた。

痛くない。ふつうに立って、歩けている。

なんのことはない、ぼくが寝ている間に祖父が棘を抜いてくれたのだ。

しかし当時のぼくはその事実に「おじいちゃんが魔法をつかった!」と夢中になった。あのときほど祖父を誇らしく思ったことはない。

■ ■

小田井に滞在している間の日課として、畑仕事の手伝いと早朝の散歩があった。そのうちの散歩は毎日、祖父と庄内川の堤防を歩くというもの。

もともと庄内川の河川敷は遊水地があるだけの、ただただ広い野原だった。祖母は戦後のどさくさで畑を手に入れたらしい。

ぼくが小学校に上がったばかりの頃、その畑を市が買い取り、広大な緑地公園にするという計画が本格的に稼働しはじめた。

祖父は朝の散歩のとき土手の上から野原を眺め「ヒロくんが大人になる頃にはここは緑地公園になるんだよ」と教えてくれた。ぼくが「大人って何歳?」と尋ねると「大学を出たぐらいかなあ」と答えた。

大人になるのを極度に恐れていたぼくはそんな未来を考えるのも嫌だった。にもかかわらず祖父は「その頃にはおじいちゃんはもういないかもしれないねえ」と悲しさを上乗せしてくる。

ぼくはますますどんよりとした気分になった。大人になったらどうなるのか。川を眺めなごら散歩などできるのか。当時流行り始めた受験地獄とか、コンクリートジャングルとか、蒸発とか、同棲時代といったおどろおどろしい単語が頭の中でぐるぐる回る。

常に漠然とした不安にかられる小学生であった。

■ ■ ■

小田井の楽しみのひとつに、いとこと会えることがあった。特に正月は6家族、総勢22名が揃うなかなかのイベントだ。いとこは男の子が5人、女の子が2人。歳は見事にバラバラだった。

仲が良かったのはふたつ上のミッ君だが、いちばん可愛がってくれたのは長兄にあたるトシ君。なにかというとちょっかいを出してきて、ぼくを笑わせるのが上手かった。

いとこにはみんなそれぞれ兄妹がいたのだが、トシ君だけはひとりっ子。寂しかったのかもしれない。とにかくぼくはトシ君のあとを金魚のフンのようについてまわっていた。トシ君も歳の離れた遊び相手としてよく付き合ってくれた。

幼い頃はそんなふうにいとこ同士でコロコロ転がりながら遊ぶのが楽しかったのだが、年長者から順に思春期を迎え、次第に親族の集いから距離を置くようになっていく。

トシ君も正月恒例の早川家大集合に顔を見せなくなった。やれスキーだ、旅行だとプライベートが忙しいらしい。ぼくはいずれは自分もそうなるのかな、それは大人になるってことだよな、ちょっと嫌だな、などと考えていた。

中3の正月。

久しぶりにトシ君が顔を出した。叔父や叔母の「ひさしぶりだがね」「なにしとったのこれまで」「立派になりゃあたがね」攻撃を避けるかのようにぼくのところに来て「ドライブでも行くか?」と誘ってくれた。

軽い反抗期を迎えていたぼくは一も二もなく誘いに乗った。

クルマはスプリンタートレノ。AE86だ。リトラクタブルヘッドライトがレビンじゃなくてトレノに決めた理由。ぼくはいまいちよくわかっていなかったが、声に出して感心するよう努めた。

トシ君は革製のドライビンググローブをはめて、軽快なシフトワークで名岐バイパスを疾走する。歳の離れた弟分にいいところを見せようとしているのがアクセルの開け方から伝わってくる。

そのとき車内で流れていたのがこの曲。

『We Got It!』安部恭弘のデビューシングル。

「トシ君、ぼくこれ聴いたことある」
「うそぉ?安部恭弘なんか知っとるの?」
「テレビで聴いたことある」
「あーアスペックのCMね、よう見とるなぁ」

そうなのだ。重度のテレビ中毒だったぼくはメインコンテンツの番組もさることながら、一般大衆が“トイレタイム”と称して積極的に見ていなかったコマーシャルにも独特の興味関心をもってするどく迫っていたのだ。

毎晩放送終了まで見ているので深夜帯の『カメリアダイアモンド』『銀座じゅわいよ・くちゅーるマキ』のMVっぽいCMやパーラメント、セーラムライトなどタバコのCMによくあるチープな合成映像にも惹かれるのだが、それ以外にも当時は名作と呼ぶにふさわしいコマーシャルが多かった。

その名作のうちのひとつが、ゴールデン洋画劇場のスポンサーだったヨコハマタイヤ。『ASPEC』というブランドのCMシリーズに強く惹かれ、喰い入るように見ていた。

ニュルブルクリンクを疾走するアルピナBMW。画面中央にレイアウトされたデジタルメーター。子供心にもカッコよさがビシビシ伝わる。

そのバックで流れていたのが安部恭弘の『We Got It!』だった。

他にもいろんなバージョンがあるが、いま見てもどのフィルムもすばらしく鮮やかにブランドの世界観を描いている。10代でこういったクオリティの高い映像をたくさん見ることができたのは眼福としかいいようがない。

このときに音楽が映像にある一定のテンションを与える、ということを知った。そしてクレジットの「music 安部恭弘」の文字を頼りに一枚のアルバムを手に入れる。

それが安部恭弘のファーストアルバム、だったら話は早いのだが残念ながら違う。そうではなくて、こちら。

shunkunさん、誠に不躾ながらブログ転載させていただきました。Ameba会員でないのでメッセージできずごめんなさい。けしからん!ということであればお申し出ください)

入手したのはCMで使われた曲を集めたしたコンピレーション・アルバム『ASPEC SPECIAL』。店長曰く、アルバムの中から気に入ったアーティストがいたらそいつのアルバムを買えばいい、とのことでいま考えるとなかなかの商売上手だ。

このアルバム、名曲揃いで個人的にヘビロテしているのは『We Got It!』と井上鑑の『レティシア』である。

レティシア。いまだに聴いている。聴くといまでも中・高時代に戻れる。一生聴いていられる。

さて安部恭弘の『We Got It!』である。専門的なことはよくわからないが、曲の構成というか展開が面白いな、と思った。サビからはじまる曲なのか、とおもいきや別にサビは用意されている。

AがサビでBもサビ、みたいな。AとB、そしてCがありそうで転調したB、そうかと思うとやっぱりCが。最後にチラッと短いパッセージ。そして印象的なアウトロ。果たして書いていることが正しいかどうかわからないが、雰囲気だけつかんでいただければ幸甚である。なんせLo-Fiなので…

これは天才編曲家、清水信之の技なのだろうか。それとも…

いつか大人になって東京に行ったら清水信之本人に聞いてみよう、と思っていたのだが、上京後35年ほど経ってもついぞその機会があらわれない。東京は本当に広い街である。

■ ■ ■ ■

そう、東京へ来て35年が経った。祖父も祖母ももういない。コマーシャル好きのテレビっ子は、コマーシャルの仕事には就けなかった。

何回も職を変えた。
結婚をした。
犬も飼った。

早朝の犬の散歩が日課となって10年が経とうとしている。 

海の近くに引っ越してから、毎日夜明けとともに川を眺めるようになった。隣に祖父はいないが愛犬はいる。将来に対する漠然とした不安を抱いていた自分に言ってやりたい。

もうちょっとだけでいいから祖父母孝行しといたほうがいいぞ。

あと、大人になるのもそんなに悪いことばかりじゃないぞ。

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