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スーツを脱いだら自由になれるのか

スーツを着てネクタイを締める。革靴を履いて客先を回る。そういうのが何となく嫌で、コピーライターという職業を選んだところがあります。

なぜスーツが嫌だったのか。型にはめられることから逃げたかったのでしょう。自由でいたかったんですね。

そんなわけですから勤め先を選ぶ時も服装自由かどうか、が基準。今では信じられないかもしれませんが40年近く前は社会人たるものスーツ着用はデフォルトでしょう、という時代でした。それが当てはまらないのが広告やテレビといったマスコミ業界だったんです。

おかげで20歳から25歳までの5年間、スーツは一着しか持っていませんでした。さすがに客先に訪問する時にはスーツで、と上からのお達しがあったので成人式の時に買った背広(しかし式には呼ばれなかった)を着ていきましたが。

さらに25歳から30歳までの5年間も居酒屋の店長という、いよいよスーツと無縁の世界で生きていたので、ああどう転んでも俺の人生にスーツはいよいよ無縁だったのだなあ、と感慨に耽っていた、というと大げさですね。


ところが30歳の時に転機が訪れます。いろいろあって当時まだ珍しかったインターネット専業の求人広告媒体社にコピーライターとして再就職することになりました。

するとその会社は制作もスーツ必着だというではありませんか。もともと出自が大阪の会社かつリクルートの代理店。バリバリの保守系でした。

大阪でリクルート代理店だとなぜ保守なのか、というと、わかりやすく説明すると営業力に至上の価値を置く拡大再生産モデルと書けばある程度イメージできるかと。要は金太郎飴の集団を良しとするわけで、そういう上意下達な組織にはスーツが最適なんですね。

郷に入れば郷ひろみ、というコスり倒されたフレーズを持ち出すまでもなく、僕も慌ててスーツを買い求めます。何社も書類で落とされた果てに、9回もの面接を経てようやく拾ってもらった会社です。起死回生はここしかない。もう自由とか言ってる場合じゃない。

最初はお金がないのでボーナスが出るたびにアウトレットに足を運びました。少しお金に余裕が出てからはもう少しマシなスーツを百貨店で買うように。気づけばクローゼットには10着以上のスーツが。ネクタイも30本近く持っていました。

気がつけばすっかりスーツの似合うおっさんになっていました。ある型と生地のものは自分でも似合うと自覚していましたし、周囲からの評価も悪くない。当時、出張ついでに実家に顔を出した時には母親が僕を見て「あんた・・・立派になったねぇ」と目を細めたほどです。

その頃、10人、30人、50人と部下が増え続けていく中での社員教育の基礎のキは「スーツ着用のこと」でした。

いわく制作は営業より楽をしていると思われてはいかん、故にふだんから営業以上にビジネスシーンを意識した服装であること。

いわく求人広告の表現物は一般広告と違って遊びじゃない。一般広告と違って求職者の人生を左右するものだし、求人企業の明暗を分けるほど影響力が高いからである。故にシビアさ、真剣さを常に自分に向け続けるべき。スーツ必着は基礎中の基礎と言えるだろう。

そんな感じで決して間違ってはいないけど、いまにして思えばそういう問題かなあ、と首を傾げざるを得ない価値観を押し付けていました。部下も100人を超える頃にはボチボチ「スーツ嫌なんですけど」みたいな声も聞こえていましたが黙殺です、黙殺。

恐ろしいですね。異常も日々続けば日常になる。仲畑貴志さんが映画「戦場のメリークリスマス」のポスターのために書いたコピーですが、まさに地で行くマネジメントでした。

業績がいい時はそれでも機能するんですけど、ちょいと傾くとまるでグリップが効かなくなる手法ですね。


45歳になると巨象と化した組織に息苦しさを感じるようになり、渋谷の小さなベンチャーに転職します。50歳までの腰掛け再修業のつもりがいまだに籍を置いているわけですから居心地がいいというか、まあ水があっているんでしょうね。その会社は当然ながら服装自由です。

むしろカチッとスーツを着ている人がほぼいない。僕も慌ててユニクロに走ります(なんせ年収を300万円下げての入社です)。

しかもこの会社では客先に訪問する時に僕がスーツを着て出社すると「どうしたんですか」「法事ですか」「お子さん•••いたの?入学式?あ、卒業式?」と口々にボケてくれます。

それどころかある日、客先に向かう車中で営業から真剣な表情でこう言われます。

「ハヤカワさん、次回から申し訳ないけどスーツよりカジュアルな格好でお願いしたいです。だってクリエイターでしょ?しかもハヤカワさん結構なベテランですからスーツだと威圧感っていうか、なんかこう、トゥマッチというか。似合わないわけじゃないんですよ、ただ」

僕はクローゼットに吊るされたまま出番のない10着のヤニ臭いスーツ(スーツ全盛期はヘビィスモーカーでもありました)から、冠婚葬祭に使える2着だけ残してクリーニングに出したのち、リサイクルに回しました。

最近は年齢を言うと「えっ?見えないですね!若いです」と言われることが多いです。もちろん褒め言葉ではなく、精神年齢の幼さ、人間としての未熟さが顔に出てますね、という意味です。間違いなく。

しかしそう見える理由の一つにスーツを着ていないから、というのは紛れもない事実だと思いますがどうですかね。

そして僕は自由になったのだろうか。


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