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年賀状仕舞いラプソディ
子どものころ、年賀状は一年の最初にやってくる楽しみなイベントのひとつだった。小学生の頃がピークで、クラスの仲の良い友人とのやりとりに熱中した。
「おもちのたべすぎにちゅうい」
「ことしはマラソンで勝つぞ」
「こんどウルトラマンの本貸してください」
そんなことは新学期に教室でいえばいい、というような文言をひねり出しては書いていた。
あるいは真っ白な年賀状が届き、これはいったい…と悩んだ果てに「そうか!あぶり出しか」と気が付きストーブの上であぶってみるものの何も変化がなく、電話で確認すると単に書くのを忘れた、というようなドジなクラスメートに家族みんなで笑ったり。
中学にあがると今度は好きな女の子からの年賀状にときめいた。もちろん片思いだから勝手に届いてほしい、と思っているだけで届くわけはない。
しかし昭和の終わりの頃まで日本の子どもは明日は今日より良くなると信じてやまない明るいマインドを持っていた。そんな前向きなキッズには神様のきまぐれで奇跡が起こったりする。
「ハヤカワくん、今年もよろしくネ♡」
丸っこい文字、写研で指定するならルリールで書かれた年賀状からは何となくいい匂いがする。
やべ、俺出してないよ!どうしようどうしよう、ということであわてて書いて、だけどポストに投函する勇気がなくて、もじもじしているうちに新学期を迎え、教室の隅でぼそっと「年賀状、ありがとう」と手渡しする体たらくな中坊だった。
そして高校にあがると、こんどは賀状の流通量がガクンと落ちる。本当に仲の良い友人としかやりとりをしなくなるからだ。たいていは印刷された年賀状で、空きスペースに「よろしく」と矢沢永吉テイストなひと言だけ。
小学校のときのメッセージに込めたあの情熱はどこへ…と思いつつ、不良仲間と初詣に出かけて昼から呑むような一丁前の不良だった。高3の正月は女のアパートで迎えたぐらいだ。もはや年賀状どころではない。
そして単身上京。初年度こそイキって故郷の友人に東京アドレスの年賀状を出すのだが、彼らもさぞ迷惑だったことだろう。昔の仲間とはいえほぼ顔をあわせることもない奴から賀状をもらったところで何を書いて返せばいいのか。
社会人になるとふたたび年賀状熱が再燃するから不思議大好きである。イタズラ好きな先輩は郵便局員さんが困るような住所の書き方をしてきた。届けられるほうの身にもなってほしかった。スタイリッシュなデザイナーからは額に入れて飾っておきたくなるようなビジュアルの賀状が届いた。
人生で最も大量に年賀状を出したりもらったりしていたのはコピーライターを挫折して居酒屋の店長となったのち、ネット求人広告の会社で制作部門の責任者になった時だ。
特に35歳前後はメンバーが170名に膨れ上がり、事務の女の子にエクセルで住所録一覧を作ってもらっていたほどである。あの頃は年賀状も印刷に出していてコストもかかっていたし、12月の半ばから書きはじめなければ間に合わなかった。
もちろん年賀状を出すのは会社の部下だけではないのでトータルで200枚を超えていた。ふだんから筆マメでもないので書き終えた時は疲労困憊の極みだった。
ただ、その会社を辞める頃ぐらいから、なんとなくある変化を肌で感じるようになった。
それは若いメンバーが年賀状を出さなくなったことだった。
数年前までは新卒は黙っていても年賀状を出していた。その後、出してもいいんですか?とお伺いを立てる世代になり、ついに出さないことに抵抗感のない世代に移り変わったのであった。
そして45歳で転職した渋谷のベンチャーで決定的になる。
誰も年賀状を出さないのだ。出さないし、求めない。LINEでよくね?という文化である。
それから10年。いま僕が年賀状をやり取りしているのは前職時代に繋がりがあった人が数名と、実家で繋がりがある人が数名といったところだ。数にして30枚。全盛期対比マイナス170枚である。
そしてここ数年増えているのが年賀状じまい。
少し前はそれこそ終活の一環として、と高年齢の叔父叔母あたりがパタパタ仕舞っていたのだが、特に今年はまだ40代でもしれっと「今年をもちまして…」とリタイアする人が続出した。
これが本当に続出という言葉がピッタリで、30名のうち10名が今年を持って日本の伝統行事にセイグッバイしたのである。
まあ、これも時代の流れなので仕方がないし、気持ちもわかる。
ただ、なんとなく寂しいね。ほとんどが年賀状だけの繋がりだったのだが、それだけにそれすらもなくなってしまうのか、と思うとひたすら寂しい気持ちになる。
こうなると逆に、年賀状を出し続けようじゃないか、という気持ちになってくる。希少価値のコミュニケーションを、わかりあえる人たち同士でじっくり味わっていこうと思っている。
この文章を読んだ郵政省から金一封、とまではいわないが、来年あたりお年玉商品1等賞をとらせてほしいと切に願う。