コインシャワーに射たれて…
はじめて住んだ下宿は京浜東北線東十条徒歩15分にある六畳一間の風呂なしトイレなし。当時で築30年、家賃は月24000円でした。
その名も『第2ときわ荘』。
なに、ときわ荘とな?と反応される方はまんが好きですね。そう、かの手塚治虫や藤子不二雄が住んでいたアパート『トキワ荘』と同じ名前。しかし才気あふれるまんが家たちとは似ても似つかぬ怪しい住人がひしめくまるで別モノです。
当然ですが18歳の青年は新陳代謝も活発です。よく汗をかく。よってアパートから歩いて3分ほどの場所にある松の湯という銭湯に毎日通っていました。ところがこの銭湯の湯が熱いこと熱いこと。
「こ、これが江戸っ子の粋というやつか…」
無理やり思い込んで耐え忍ぶうちに慣れるだろ、たぶん…とたかをくくっていました。しかしいつまで経っても皮膚が馴染んでくれません。
しまいには270円も払っておきながらシャワーを浴びるだけで湯船に浸かることなくあがる、というたいへんブルジョアジーな銭湯ライフを繰り広げることに。
これではいかん、と他の銭湯を探すことにします。いまのようにインターネットなどない時代。頼りになるのは口と耳です。
「あの、この辺に松の湯のほかに銭湯はありませんか?」
いかにも町の事情通な感じのタバコ屋のおばちゃんによれば、少し歩くけどもう一軒あるよ、と教えてもらえました。
そこはアパートから歩いて8分ほど。もう完全に別の名前の町です。徒歩8分というと結構歩く距離。せっかくお風呂でサッパリしても夏はまた汗かいてしまうし、冬は湯冷めしてしまうほど。
しかし、入ってみてわかったのですがそこの銭湯は湯の温度がちょうどよかった。江戸っ子仕様ではなかった。よそものにも優しい湯温でした。
ぼくはようやくバスタイムを楽しむことができるようになった、と喜んだのもつかの間…
その銭湯には日によって絵人間が大挙して訪れるのでありました。
絵人間の一例。いい人もいるとおもいます
少ないときで1人。多いときなどは20人近くの絵人間が狭い湯船をこれでもかといわんばかりに占拠しているのです。
幼い頃からチキンで知られるぼくは、その時点で震え上がります。冬でもないのに湯冷めしてしまう。これはいかん、とそそくさと濡れた髪のまま下駄箱へ急ぐのでありました。
ゆ ゆ ゆ
こまったなあ、と思っているうちに梅雨がやってきます。ぼくは就職先で髪の毛ニクロム線というあだ名を頂戴するほど強度の癖毛でした。癖毛にとって梅雨は一年でもっとも悩ましい季節。どうしても朝に頭を洗わないとたいそうアバンギャルドな髪型で町を闊歩することになります。
一方、銭湯の営業時間は15時から。ときたま日曜に朝風呂としょうして8時ぐらいから開いているときもありましたが、毎週ではありません。
ぼくは仕方ないので朝起きると顔を洗うついでに共同の流しで無理やり頭も洗うことにしました。もちろんお湯なんかでません。シャンプーなど使うと頭のおかしな隣人に何されるかわかったもんじゃないし。
頭のおかしな隣人についてはこちらでどうぞ!
おかげでゴワッゴワの頭でアルバイトに出かける日々でした。
そんなある日、アパートの角の電柱に看板が立てかけられているのを発見します。
そこには
『6/25OPEN!10分150円コインシャワー!スグソコ⇒』
と書いてある。
ん?コインシャワーってなんだ?
もちろんインターネットなどない時代ですから調べようもありません。ただ10分150円という文言、コインシャワーという名称からなんとなく想像はつきます。そしてその想像通りだったらなんということでしょう、ぼくの青春のお悩みが一気に解消されるではありませんか!
ぼくはステ看の案内に従って建設中のコインシャワーを見学に行きました。するとそこには工事現場によくあるトイレみたいなアイボリー色した縦長のFRP製ブースが無造作に置かれているではありませんか。
(これは、間違いない…)
予感は確信に変わりました。これでようやくぼくの東京生活がはじまる。髪の毛の悩みという思春期の男子における最大の経営課題がいままさに解消されようとしているのです。
生きていてよかった。
そうだ、これからは夕方、赤坂のTBSに向かう前にシャワーを浴びていくことだってできる。同じテレビ探偵団のハガキ整理のバイトに来ている実践女子大のミホにも堂々と話しかけられる。かもしれない。
もしかしたら恋も…
ゆ ゆ ゆ
6月25日。ぼくは朝から東十条商店街のレコードショップ『ダン』でのアルバイトに精を出し、夕方ダッシュで家に帰りました。
そしていつもの銭湯セットを抱えて、オープンしたばかりのコインシャワーに走ります。おお、コインシャワー、できとるやないか!!
コインランドリーみたいな木造モルタル造りの建物の中に、シャワーブースが4つ。それぞれのブースの中はこんな感じです。
ぼくはドキドキしながらブースの中に入り、スッポンポンになります。震える指で100円を投入。そしてスイッチを入れ、シャワールームへ。蛇口をひねり、シャワーから熱いお湯が出るのを満面の笑顔で待ちます。
「つめたっ!!」
勢いよく出たのは水でした。当然ですね、水がお湯になるのにはしばらく時間がかかります。仕方ないのでシャワーヘッドを足もとに向けてあたたまるのを待ちます。
しかしなかなか水はお湯になりません。
雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう、と言われています。
水は果たしていつお湯へと変わるのでしょうか。
やや不安な気持ちになるぐらい待たされたところでようやくです。じわ、じわと温度を感じられるようになりました。よし、この調子だ。
ぼくは(そろそろいいよね…)と自分に言い聞かせつつシャワーヘッドを頭上に持っていきます。
うーん。
快適、
ではない。
湯になりきらん。
いつまで経ってもぬるいんです。お水がほんの少し温まったぐらい。おっかしいなあ…まいったなあ。その瞬間。
チーン!
恐ろしいことに15分経ってしまったのです。ぼくは震えながら一度シャワールームから出てびしょ濡れのままズボンのポケットをまさぐり100円を探します。
ありませんでした。
マジか…
もともとカラスの行水タイプだったこともあり、シャワーなんか10分あれば充分!とか思ってたんですね。若いってバカなのね。
冷え切った身体でうなだれながらフト湯温設定の計器を見ると
35度!!!
温度設定値としては最低でした。そうです、まだ誰も使っていなかったことから初期も初期、工場出荷時の設定のまま設置されていたのです。無知である上に舞い上がっていたぼくはそれすら見落としていました。
ぼくは粛々と身体を拭き、服を着てアパートに帰りました。そうしてあらためて部屋中の小銭を集めて松の湯へ行き、おとなしく灼熱の地獄風呂に肩まで浸かって体の芯まであったまりました。
やっぱり江戸のお風呂は熱くなくちゃ、と伝統の重みのようなものをひしひしと感じた18の梅雨。以来コインランドリーを見ると「ケッ」と赤い眼を三角にして睨みつけるという、暗い青春を送ることになったとさ。
ゆ ゆ ゆ
【執筆後記】
現在、松の湯はおろかコインシャワーすらあとかたもないのですが、恐ろしいことに『第2ときわ荘』は現存しています。あれから33年経っていますので、築63年?バケモンかよ。
手前の青い建物が『第2ときわ荘』です。隣には『ときわ荘』が見えます。※2018年撮影