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めんどくさいのが好き
ぼくは昭和の人間である。
もうこの時点で「めんどくさい」と思う平成生まれの人もいるだろう。平成生まれでそうなんだから令和生まれからしたら昭和の人間なんてめんどくさいが服を着て息をしているようなものだ。
これは仕方がないことである。
いまでこそめんどくさいと思われているぼくたちだって、ほんの40年ほど前は大正生まれをめんどくさいと思っていた。明治生まれまでいくと大切にしなければならないという強迫観念にとらわれ、やはりめんどくさかった。
歴史は繰り返すのである。
一方でぼくはめんどくさい昭和のおっさんであると同時に、めんどくさがりやでもある。つい先日もエックスでエックスフレンド(女性)の「心配性」と「他人の評価を気にしすぎる」が合体すると云々という投稿を読んで、ふむ、それはまさしくわしのことじゃな、と思いつつ、まてよだけど同時に「めんどくさがり」で「雑」な性格もあわせ持っていることで結局のところ「どうでもいいや」となることを再確認した次第である。
そして、さらにこれがまた話をめんどくさくしてしまうことになるのだが、そういう性格であるにもかかわらず、めんどくさいものが嫌いではない。むしろ愛おしい。好んでめんどくさいものを選んでしまう傾向にあるのだ。
め め め
たとえば、クルマ。
フィアットパンダというイタリア車である。
たぶん、ふつうに考えたらたいそうめんどくさいクルマなはずだ。
初年度登録が1994年なので30年は超えていて、走っているとガタピシうるさい。高速に乗れば風切り音でカーステが聴こえなくなる。電装系が鬼のように弱い。キャンバストップから雨漏りする。マメなオイル交換は必須だ。エアコンは効かないので夏は酷暑で冬は極寒である。そもそもパワステですらない。
世の中にはもっと快適で、もっと安全で、もっと走りのいい軽自動車だってあるのに、なんでわざわざこんなめんどくさいクルマをいつまでも手放さないのか。
好きだから。
メ メ メ
たとえば、犬。
フレンチブルドッグが家族の一員だ。名前はヒッチコックという。
たぶん、ふつうに考えたらどえらいめんどくさい犬なはずだ。
高温多湿に弱く、5月から10月まで部屋のクーラーは24時間つけっぱなしだ。換毛期が頻繁にあり、抜け毛を取るためのコロコロが何十本あっても足りない。短頭種ゆえに寿命が一般の犬より短い。後ろ足の関節が弱く、歩けなくなる個体も少なくない。皮膚もデリケートで膿皮症などにかかりやすい。病院にいけば一回の診察で数万円ふっとぶ。あとヒッチコックの場合は主人に懐いていない。ひとつも言う事を聞かない。
世の中にはもっと丈夫で、頑強で、従順な犬だっているのに、なんでわざわざこんなめんどくさい犬種を選んで家族にするのか。
好きだから。
面 面 面
たとえば、筆記具。
いまだに万年筆を使っている。モンブランの太い軸のやつだ。
たぶん、ふつうに考えたらどちゃくそめんどくさい道具なはずだ。
ペン先がデリケートだからキャップをしていない状態で床に落としてはいけない。自分の気に入る書き味が得られるまで相当時間がかかる。インクがすぐ切れる。カードリッジ型ではなく吸引型なので外出先でインクが切れた場合リカバリーが効かない。しかも文字が上手に書けるわけではない。むしろ癖のある字になりがちだ。ペン先交換で3万円~、メンテナンスにも数万円かかる。
世の中にはもっと便利で、書きやすく、安価な筆記具がある、っていうかいまどきスケジュールはスマホで管理がマストだろう。なのになぜ。
好きだから。
ME ME ME
たとえば、ガールフレンド。
と、書きかけて、やばいやばいもうそういう時代じゃないもんネ、と語尾の「ね」をカタカナにするあたり、そしていかにも時代をキャッチアップしているかのような言い訳をするあたり。昭和のおっさんのめんどくささがバッチリ滲み出ている。滲み出ているよ。
なぜぼくはめんどくさがりなのにあえて身の回りをめんどくさいもので囲っているのか。それは間違いなく好きだからである。好きになってしまえば多少の手間は惜しまない。むしろその手間暇が愛おしい。ちょっと変態なのかもしれません。
そういえば「好きの反対は嫌いじゃないんだよ、好きの反対はね、無関心」とか言ってたな、昔、マネジメントやってたとき。
うざ。
ってかめんどくさ。