アンサンブルに関する哲学的?考察
複数の人間が声や楽器を使って共に音楽すること
特に小規模の人数で行うことをアンサンブルと言うことが多い
なぜ小規模かと言うと、大人数での音楽演奏では
個々の演奏者同士の音楽的対話の密度が
どうしても薄まってしまうからだと思う
アンサンブルという言葉は日本語でも幅広く使われているが
フランス語の辞書で調べてみると、
馬が均整のとれた、良い筋肉の状態で仕上がったものなども
アンサンブルという言葉で表現するらしい
このことから、
アンサンブルという言葉の概念は
絵画的或いは美的概念も包摂するのかも知れないと思い至った。
私がアンサンブルと名乗っているのは
自分の人生が、
歌と器楽両方で人と一緒に音楽すること一色であった事、
おそらくそれによってこの不安定な精神状態を、
辛うじてこの年まで大きく破綻することもなく、
保ってこられたと確信しているからだ。
近年、音楽療法(ミュージックセラピー) が
一般に広く知られるようになったが
私などは、一生をかけてその恩恵に預かっていた
と言えないこともない。
音を楽しむのが音楽で、
つまり楽音を使って、他者と共に演奏して遊ぶのが
アンサンブルとしての音楽の出発点だと思う。
ソロの歌唱やピアノ、ギターなどの演奏は、
音楽の遊びとしての要素はあるが、
個人としての音楽の楽しみである
こういう観点から言えば、
ピアノや声楽のコンクールは ともかくとして
特にアンサンブル的音楽の領域を
コンクールの対象として扱うのは
若干の疑問を感じるところである。
もちろん、アンサンブルに技術と言う側面があることを
否定するわけではないが
アンサンブル音楽には、例えて言うなら、
アドリブてんこ盛りの芝居をやっているような側面が
本質的に存在する
ジャズのセッションなどは、その極みとも言えよう。
なぜ人はこのアンサンブルとしての音楽に
これほどまでに魅力や楽しさを感じるのだろうか
それは言うまでもなく、
アンサンブルとは音を使った人と人との対話であり、
コミニュケーションだからだ。