「早く治して元気になってね」と言われてプレッシャーを感じた経験。
「早く元気になってね」早く学校に来れるように、クラスのみんなで待っているよ。
そんな言葉をかけたり、かけられたりしやすいのは、主に義務教育の頃だろう。
クラスメイトや仲の良い子が怪我や病気で入院したり、在宅療養をしたりしていれば、こちらも言うし、逆になれば、言われます。
私は言われることの方が、人生一貫して多かったのですが、子供の頃ならまだ「うん。私も早く元気になって一緒に遊びたい」そう思う気持ちも素直にあったし、なんとなく大人になれば体力もついて絵に描いたような素敵なお姉さん生活をするのだと、メディアに感化されて根付いた情景を膨らませながら、確信していた。
「早く」治らなくてはと、年齢が大人になるにつれプレッシャーに。
そして、治らぬ病気もこの世には山ほどある。
それを受け入れてもらえない感覚を与える「早く」「治ってね」
言う側に他意がないことも重々承知だからこそ、辛いものではある。
また誰かには、自分もそう言ってきている。
だって、確かに、他になんと言うの?その一言に尽きる。
挨拶言葉に過ぎないと、理解していても難しい。
成人以降でもまだ、受け取りにくい感覚があった。早く苦しみをとってあげたい、そう周囲が思ってくれているからこそ、こちらも応じなければと過度の焦りが生じてしまう。
そして自分も「いつ治るのか」知りたかった。誰かわかるのなら教えて欲しいけど、誰もわからない。せいぜいお医者様くらい。それを周りから「いつ治るの?」と一緒に、定型文のように集中的に声をかけられるものだから、青少年には耐え難い。
まだ、その程度なら希望が多く含まれた、よい錯覚であったかもしれない。
子供のうちは、そんな根拠のない思い込みや夢や希望がふつふつと湧き続けることで、まだ維持されていたし、不思議なことに「叶わないことを知らない」状態だからか、さほどストッパーもかからず、自分なりには縦横無尽に、光の方角を見定めながら泳いでいたような、そんなクラゲのような感覚だったと思う。
「治ったら何しよう」そんな楽しい想像力が救ってくれた。自分の根拠なき想像力は偉大だなと、振り返って思う。
大人の嫌な面を見る経験が増えるとともに、同い年の仲間の暮らしぶりや、家庭の問題を目にしたり、またはとんでもない豪華な扱いをみたりして、だんだんと、各家庭によって生活の質もレベルも、容姿に関わるものも、食に関するものも、親や親戚、兄弟の学歴も、職業の傾向も、見るにつけ、なんとなくながら、方向性と種類分けが「そもそもあったのかもしれない」と、そんな予感だけは憶えてきた。
今ならば、〜ガチャとはっきり単語で表すことが主流になっているのでわかりやすかっただろうが、もっと以前に子供時代を送っていた我々には、こんなにも辛辣で鮮やかで、そしてここまで重大問題でもあったことを事前に承知していたような子は、多くなかった。
先回りして知る環境にないことで、希望を持っていられたのだろう。
そこで、今現在を未成年者として、児童・生徒として過ごさなくてはならない子たちのことを思う。
思いを馳せるたび、どんな子も愛おしく感じる。
何をしてあげられるわけではないけど、常にそう思っている大人がいなくなりはしない現実も、青少年に知って欲しいし、昔の自分にもそれを示してあげられたなら、まだ生きやすかったかもしれないと思う。今は救いがなくても、なんとか君は生き抜いて、そして自分のして欲しかったことを誰かにしてあげたらいい。今ではなくて、心身ともに、体力も経済力も、仮に好きな人生を歩めたならば、ほんの少しだけ、いつか思い出したときにそうしたらいい。青春時代を苦痛にしか捧げられなかった子たちや、かつての自分とその仲間が今ここにいるならば、冬眠して時を見て、気配を見て、出れるまで待てばいいんだよ。そう言いたい。なかなか人は他人の病状など、未体験だからただの計り知れないものではあっても、その感触を知ってともに味わってあげたいとは、ほぼ思わない。その苦しみはあなたにしか感じられない。そして確かにあなたは苦しいのだから、元気な無理強いに応じようと笑顔にならなくていい。自然とそうならずにいられない元気な時に自然とでるのが笑顔や喜びの表現であって、苦しい時は、何年経過しようが、苦痛以外そこにない。いっそ、簡単に「痛い」と言い張ってもいい。感覚的にわからない人へ説明しても難しい。労力はそこにかけず自己治癒に使いたい。「痛い」でも「熱が続いてる」でもいい。距離感に応じて、追求されそうなことだけは想定が要るけども、保っていこう。大丈夫、嘘をついているのでは絶対ない。相手に通じる形にするため「工夫」したらこの言葉になったのだから、思慮深く優しい気持ちはそのうち伝わるし、目の前の相手には困難でも、思いがけない別の誰かには時空を超えて伝わっている。伝われば、自然と味方になる人も色濃くなり、庇ってあげたい心情になる「真っ当な人」に結び付けられていく。
待つのは実に辛い。辛いのは事実だけども、猫ちゃんみたいに、まあるくなって寝てもいい。逃げ場がない人も、避難できる休憩の空間を探していこう。
人生は面倒臭い。家族も仲間も時として、すごい労力を奪うことがある。
力がない時は、行き違いばかりだ。そういう現象に「いまなっている」だけ。双方が取り乱しているだけと思おう。世の中も取り乱している。そんなことに気づける青少年たちの賢さと心の綺麗さを、なぜ誰も褒めないのだろうか?すごい能力なのにと思う。
この年齢で失敗も悪行も何もない。まだまだ単なる「過程」に過ぎない。子どもたちばかりを責めてどうするのか?
大人の色眼鏡と無責任を嘆くのはどんな時代もどんな地域でも、いつも必ずあることだけれど、誰かを全力で庇ったことがあるかないか、成長途中であったかないか、庇い慣れているか。守りたいと思う人を守ったことが、慣れるほどにあったのか。自分を含めて、大人世代に聞いてみたい。自問自答をしたことは、私もそういえばなかった。
「庇ってきたかな?誰か1人くらい、いたかな?」と。
いろんな経験が、大人側にも不足し、偏って、自分の人生で手一杯になりながら大人になって今がある。その前も、これからも、大多数はそうかもしれない。
🌟
大人自身、身を挺して庇ってもらった経験が、さほどない。叱責ばかりをされて育った人の方が多いだろう。
叱責の中でも、他の場面では優しいとか、通常モードの日常ではいつも親切で子供側の自分たちを庇い守ってくれていた。そんな記憶があっての上での、然るべき時に、まさに叱るべきことできちんと叱ってもらった経験だったならば、「叱責ばかりされた」というインプット感を伴っての人生経験メモリーには、なってはいなかったように思う。
現・大人として、すでに社会の主軸を担う年代になっている自分たちでさえ、きちんと叱りきちんと愛情をかけ、そして護り庇う、そんな大人には多く遭遇せずに育った。
そんな実感になっていることと思う。
そこからして「素敵な大人像」など持てぬまま、自分たちもこんな大人になったと言える。
参考になる大人、見習いたくなるような大人。そんな大人が少ないのはなぜだったのだろう。
その大人もまた、赤の他人の子らを庇うよりももっと大切で庇いたい存在があった。
概ね、「我が身」一つであったと言える。
庇われ慣れた子のほうが、誰かを庇うことを自然とする。
挨拶のように自然に「庇う」。
家族でも友人でもペットでも。
赤の他人であっても。
崖から落ちそうになれば、すっと袖を掴み引き戻そうとする。
思考よりも先に、なんの考えもなしに、咄嗟に腕が勝手に動くような感覚。
そうされて育てば、なんとなく自分も周囲にそうしてきたこと、思い返したときには多いことに気づくでしょうか?
そのような質問を誰かにしたこともないので、全く結果は読めませんが、想像力を働かせ、そうみている私の脳内イメージです。
「守る」と「庇う」の違いについて、ゆっくり考えてみたい。
「守る」はあっても、「庇う」は滅多にみない光景になったと感じている。
どうりで最近、寒い。
メリークリスマス🌟
愛がもらえないのなら、自分が生んで周りに与えて歩くしかない。
少なくともその瞬間「愛」という存在は実在している。
自分が発生させても同じ「愛」なのですから、
もらえないから「ならばあげない」という側に、自分がならなくてはいけないわけではない。
あげたい人はどんどん創ってプレゼントして回ればいい。
でもどうしてか、それはもっと信頼のおける愛として戻ってきます。
無償の愛なら、戻ってきます🎄
絆はそうして繋がって増えていくんですね。
サンタクロースは来ましたか?
私には来なかったので、何かの機会に自分がそりに乗り、あげらるものを配れる人間になろうと思います。
トナカイさんにも大きな拍手と、ご褒美を!
今夜くらいは、思い詰めずに、空の灯りを探しませんか?
ないかもしれないけど、そのうち見つかるかもしれません🌟
寒いから、自分のハートくらい、自家発電で温かくしていけますように🙏❤️
皆さんにも盛大なご褒美とご馳走が、やって来ますように。