プチ虐待のススメ
35【ミニラ】
さて、僕たち、さかなDVDは、その後、またワラビーメンバーに戻ることができた。
そして、あれだけスベりまくっていたのがウソのように、まともに対応できるようになっていたのだ。もちろん劇場メンバーは、面白い人ばかりで、ゴジラだらけの中で、僕は小さい怪獣のふりをしているレベルではあったが。
ミニラである。
さて、我々さかなDVDなのだが、インディーズのライブに出ていたころは大人気だったのだが、劇場メンバーになって、そこはどうだったか。
これが、すごい人気だったのである。
花岡のおかげであることは言うまでもない。
baseよしもとで、僕らは、単独ライブを合計8回ほどした。
8回もやって、そのほとんどが満席である。
回数はひょっとしたら少し誤差はあるかもしれないが、なんせ人気があった。
人気があるほうと人気がないほう、でコンビは仲が悪くなったりするものだが、僕たちの場合はどうだったか。
これが、ほとんどなかった。
僕は、ファンが多いという状態は、別にどうでも良かった。そんなことより、賞レースで結果が出ないこと、テレビにほとんど出れていないことなどに焦っていた。
花岡は、ワーキャー言われるのが大好きである。
僕と同じような焦りは多少はあっただろうが、少なくとも、ノリに乗っているという感じに見えた。
仲良く見られてはいたし、表だってケンカはしなかったが、実はこの頃、僕は不満だらけだった。
僕は、何度も言うが、プライドが高い。
ネタの練習をしてて、花岡がどうしても長ゼリフをうまく言えないので、イライラしてくる。
長ゼリフといっても、僕が言ってる長ゼリフの長さの比ではない。自分が書いたやつはやりやすいっていうことを多少はさっぴいたとしても、長ゼリフは全然ダメなのであった。
単純に言えないというものではない。
例えば、長ゼリフの中に出てくるフレーズがあるとして、【クソ師匠からの目くそ鼻くそへの暖簾分け】という言葉が出てくるとする。
そこがウケるフレーズとした時に、花岡は「クソ師匠からの、あの、目くそ鼻くそへの、、暖簾分けやないか!」みたいになるのだ。
“あの”とかいうノイズが入る。
ある程度、仕事ができる芸人なら分かると思うが、ウケさせたいフレーズの中にノイズが入るのはもってのほかである。
ウケが減るのだ。目くそ鼻くそへの、の後で息継ぎしてるのも、僕をムカムカさせる。
同じくウケが減る。
ノイズは入れてもええねん。しかし、決めなあかんセリフ以外のとこで休憩入れろ、という話。
この話をしても、花岡はふてくされたような顔をして、「こいつうるさいなぁ」みたいな態度なのである。
何度やってもできない花岡に僕が、「ちゃうねん、それやと、前半と後半の主語が入れ替わってる悪文やから、後半は、させられるって言ったらおかしいやろ?」などと指摘しても、直らない。
次の日もできていない。
なんで、一晩寝かせてできないのだろう、こいつは。
これは、能力の問題ではなく、やる気の問題である。
そう思うとムカムカしていた。
花岡は「ようするに、僕に、こう言ってほしいんやろ?」みたいな日本語を平気で使う。
言って、ほしい??
ほしい?
は?
何様なんだ、こいつは。
この頃は、ファンの有無より、僕ばかりしんどいことをして、向こうばかり負担が軽いことにイライラしていた。
そして、「僕にこうしてほしいんやろ?」などと平気で言ってしまう日本語のセンスにより、花岡がたいして僕の労力や自分の働きについてなんとも思ってないことがわかるので、一人で重荷を背負ってる気分だった。
僕の覚醒前である。
かなり前の章で前述した仏教の本は、単なるきっかけに過ぎないが、僕はだんだんと、花岡に対する考え方が変わってきた。
ネタ合わせでも、工夫をした。
長ゼリフを最初から言ってもらおうとしない。どうせ無理だし、努力もしないのが分かっている。
僕のやり方は、こうである。
ネタを書いてくる。それを相方に見せる。
一回見たら、もうネタ帳は基本的には見ない。
そのまま、自然と出てくる会話の流れで練習をする。そうすると、楽しいし自分たちらしさが出る。
ただ、どうしても、もっともっとこうしてほしい、は出てくる。
その場合どうするか。
たとえばである。
A「女が男たちの鼻しか見てこーへんコンパがあったわ。こないだ。最悪やったわ」
B「なんや、そのコンパ」
A「コンパ始まって一番最初に、俺が『鼻がでかい男はアソコもでかい』って言うてからと言うものの、あいつら鼻しか見てこーへん」
B「お前が原因やないか!鼻しか見てこーへんコンパがあったんやなくて、お前が普通のコンパを鼻しか見てこーへんコンパにしてしまったんや!で!あと、それを言われたとて!どんな女ばっかりやねん!」
というやりとりをやりたいとする。たとえばね。こんなネタはないけど(笑)。
最後の一文、長いですよね。ツッコミとして。でも、これを仮にやってほしいとする時。
僕は、練習段階で次のようにする。
A「女が男たちの鼻しか見てこーへんコンパがあったわ。こないだ。最悪やったわ」
B「なんや、そのコンパ」
A「コンパ始まって一番最初に、俺が『鼻がでかい男はアソコもでかい』って言うてからと言うものの、あいつら鼻しか見てこーへん」
B「お前が原因やないか!」
A「あいつら、鼻がでかい男はアソコもでかいと、まるっきり信じて疑わない様子だったぜ」
B「お前からの情報や!」
A「普通のコンパだと聞いてきたのに」
B「向こうのセリフや!普通のコンパをお前が、鼻しか見てこーへんコンパにしたんや!」
A「俺が言ったとて、鼻ばっかり見るかね!」
と、ナチュラルに会話する。
その上で、花岡に「俺の、【俺が言ったとて、鼻ばっかり見るかね】ってセリフ、俺の代わりにお前が言ってくれへん?」とか、頼むのだ。
この方法は非常にうまくいった。「俺が言うともっちゃりするからセリフもらってくれへん?」と言うのは、最初は、なんでそんなこと言わなあかんねんと思ったが、慣れるとなんとも思わなくなった。
そして、だんだんと花岡が努力しないのではなく、僕が花岡の努力を認めていないこともわかってきた。
人というのは、やらされる努力は、やる努力の何倍も辛いものだ。
過労死の人に対して、どこかの大学教授が、「僕らの頃は寝袋を会社に持っていって仕事したものだ。生ぬるい」みたいなバカな発言をしたことが昔あった。
僕は、今がフリーで活動してるから、よく分かる。
自分で計画を立てて頑張ったりする上での睡眠時間短縮は、人は耐えられるものである。起業家が尋常じゃなく、努力するのと、雇われ人が過労死に追い込まれるのは種類が違う。
僕は、 花岡がしている努力を認めてなかった。
印象的なことで覚えてるのだが、あいつはお風呂の中で鏡にうつる自分で、笑顔とか表情の練習をしていると言っていた。
僕は、「なんじゃそりゃ」としか思わなかった。
しかし、ある日、こいつすごいなと思うことがあった。そのへんに貼ってあるポスターの写真の人物を花岡が急に指を指す。
「こいつの笑顔やって?」
「え?なにそれ、普通の笑顔やん。こうか?」
僕が笑うと。
「全然ちゃう(笑)」
ほな、お前やってみろ、と色んな人の顔を指すと、見事にコピーするのである。
事実、花岡はお笑いも好きだったが、お芝居や役者も好きで、その頃よしもとに内緒で劇団などをやっていた。
人の苦労は必ずしも表面には見えない。
絆、なんて言葉はダサくて嫌いだが、そんな感じも出てきた。
嫌いなんやけどギリギリのところで可愛い、みたいなのが花岡の魅力である。
多分、花岡の歴代彼女なんかは、わかってくれるのではないだろうか(笑)。
僕が坊主頭にしたのは、理由がある。
粗相をしたからである。
そそうね、ソソウ。
もう吉本にいないので、批判っぽくなるのを避けるため、詳細は書かないのだが、当時、僕には凄まじい不満があった。
いや、僕だけではないだろう。ほぼ劇場メンバー全員の不満である。
そして、その事件は起こった。