最初から全て間違えていたある男の話
ある男が夕食の宅配ピザを注文した後の出来事だった。夜の臨時ニュースで突如として世界の終わりがやって来る事が伝えられた。人類に残された時間は、もう既に幾分もないという。この陳腐なB級SF映画の様な報道は、一瞬にして人々の関心を掴み大混乱を招いた。しかし、ずっと孤独に生きてきた世界一"不幸な"男だけは、その終末へのカウントダウンを知った時にずっと思い煩っていた心の腫物が剥がれ落ちる様な形容し難い安心感を得ていた。男は今更失うものなんて何一つ持ち合わせていないため、他の人達の様にこの世界に未練なんてものを残していなかった。むしろ世界の終わりという最後の"piece"が揃った事で今まで不完全だったパズルが一寸の狂いもなく綺麗に調整され完成したというある種の満足感さえ抱いていた。それは平等に世界の終わりが訪れる事で、意図せずともその瞬間に限っては、ある意味自分が世界一"幸福な"人間になれる素質を秘めている事に気が付いたからだった。
慌てふためく外の様子を他人行儀に窓から眺めていると突然インターホンが鳴った。ドアを開けるとそこには"世界一でなく、あなたの人生の最高に"というセンセーショナルなキャッチコピーが記載された箱を持つ女性が立っていた。可哀想に知らなかったとはいえ先程、自分の気まぐれで宅配を頼んでしまったが故に、この人は人生最後の瞬間まで働く事になってしまったのかと自分の行動に一抹の罪悪感を感じた。せめてもの償いに代金を過分に支払おうとすると女性は遮る様にある提案をした。もうお金を頂いても意味がないのでお代は不要だが、最後の晩餐に自分で作ったこのピザを1 "piece"ほど分けて頂けないだろうかと言う。予想外の提案と世界が終わるという状況にあてられた男は、柄でもなく1ピースといわずに好きなだけ食べて頂いて構いませんよ、ついでにお酒もどうぞと良く冷えたビールを冷蔵庫から幾つか取り出すと女性へ気前よく手渡していた。
その後、何方から提案する訳でもなく、どうせなら一緒にとそのままマンションの屋上へ上り外の様子を眺めながら二人でピザを食べ、ビールを飲みながら各々最後の時を前に思い耽けっていた。二人の間に特段会話はなかった。男は物心ついた時から誰かと一緒に食事した経験がなかったため、この様なシュチュエーションで何を話せばいいのか分からなかった。しかし、これが最後の晩餐だからなのか女性が持ってきたピザが妙に美味しく特別な物に感じられた。普段の食事では、食前の挨拶もしない男が無意識の内に美味しいな、と独り言を溢すように小声で呟いていた。するとそれを聞いた女性は、その言葉が聞きたかったと満足そうに、ありがとうございます……良い終末をお過ごしください。では、私はお先に失礼します、と言って男の顔を真っ直ぐ見つめ微笑んだ。その瞬間、男の視界がぐにゃりと歪み強い夜風が吹いたかと思うと目の前から女性が消えていた。
それから再び男は一人になると、いよいよ世界の終わりが始まった事を悟った。男は仰向けに寝転がり夜空を見上げると視界に様々な情景が浮かんでは消えていった。それは男が今まで見た事も経験した事もない情景だった。そして、先程の女性と自分が一緒にいる情景が多分に含まれている事からどうやら走馬灯ではなさそうだった。男は刹那的にもしかするとこれらの情景は、自分の人生にこれから起こるかもしれなかった事、若しくは起こるべきだった事なのかもしれないと理解する。男は自分が持っていた可能性に不覚にも魅せられてしまった。しかし、いずれにせよ今更それに気が付いた所で全てが手遅れだった。これだから不用意に他人と関わりたくなかった。"最後の最後"に簡単な選択を間違えたと男は思わず天を仰いだ。このまま死にたくないなと月並みな心残りができてしまった途端、今まで男を取り巻いていた灰色単色だった景色が嬉々として鮮やかに色付き始めていった。
世界の終わりという最後の"peace"がもたらした悪戯が男にとっての救いなのかは、今となってはわからない。
「参ったなぁ。全然パズルは、完成していなかったんだ。これじゃあ、まだ死にたくないや」そう言い残すと奇しくも人生の最後にパズルの余白という最高の景色を見る事ができてしまった世界一"不幸な"男は、いかにも満足気に死んでいった。
世界一"幸福な''人間になり損ねた男が最後の瞬間にどんな表情をしてたのかは、想像に容易い。
終わり
こんな拙い文章を最後まで読んで頂いてありがとうございます。