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『クリエイティブである/想像的である』を探る
この週末、2月のオンラインライブトークがありました。
ゲストは、わかやまシュタイナー学園で担任をしている石田寿文さん。
そして、テーマは冒頭にある通り、
『クリエイティブである、想像的である』を探る。
でした。
シュタイナー教育の現場で教えている先生は、クリエイティブで芸術的才能を持った方がとても多いです。その中でも、石田先生は、従来のシュタイナー教育の『こうあるべき』みたいなものに囚われず、現場や状況に合わせシュタイナー教育を実践されていることが前から印象的でした。
1時間のライブトークでは、石田先生のフランクで気取らないお人柄が出ていて、笑いの止まらない楽しいあっという間の時間でした。裏話も含めて、とても面白かった〜!と、参加者からも感想をもらっています。
彼の子ども時代、そして、美大に入るまでの経由、ルドルフシュタイナーとの出会い、ドルナッハでの6年の留学、そしてわかやまシュタイナー学園との出会い、彼のバイオグラフィーなども語っていただく中で、今、彼がクリエイティブである背景を垣間見ることができます。
私の印象に残ったのが、石田先生のご両親のあり方でした。
近所の子供たちがたくさん集まる家で、おやつも出していた。
そんな風景、現代ではもう見なくなりました。子どもたちが安心して集まり、ワイワイ、楽しい遊びも大人から見たらくだらない遊びも含めて、子ども同士で自由に遊んでいる。そんな光景を想像しながら聞いていました。石田先生のご両親が作り出した温かい環境を感じました。ちなみにこのご両親、石田先生がやりたいと思うことはなんでもサポートしてくれたそうです。
では、現在の石田先生の教育現場の実践においてクリエイティブさはどこからくるのか?
答えは意外とシンプルでした。
学校にお金がない→貧乏は工夫するしかない
お金がない中でもできるようにデザインしたらこうなる以外にない。もともと、シュタイナー教育には憧れはなかったので、シュタイナー教育はこうであるべきというものがない。
これを子どもに置き換えてみることもできます。
物が豊富すぎることは必ずしも子どもたちの想像力や創造性を育てる豊かな環境とはいえないです。多すぎるおもちゃ、多すぎる選択肢は、逆にそういった力を弱めてしまいます。
話が佳境にはいり、石田先生からとても素敵な名言が出ました。
それは、
『学問は基本道楽なんですよ。』
子どもにとって『学ぶこと』は遊びと同じくらいやりたいこと。魂が喜ぶこと。
子ども時代に、子どもの魂が喜ぶことをさせてあげることの大切さを話されていました。子どもの将来ばかりが優先になってしまって、将来に必要な学問をさせたとしましょう。それは、子どもにとっては大人の押し付けでしかなく、子どもが今楽しめる『学問』を大事にしてあげて欲しいと話されていました。
この話を聞いて、思い出しました。
若い頃、日本の幼稚園に勤めていた時、幼稚園は大好きだった子どもたちが小学校に入ってだんだんと勉強が好きじゃなくなり、学校も好きじゃなくなるというパターンをみました。なぜか?
点数評価って子どもたちの学びたい意欲をそいでしまうのではと思うことがありました。
石田先生も、教師としてシュタイナー教育やっていていいところは、子どもたちを点数評価で見なくてすむところだと話していました。
クリエイティブであることと並行して、この学びたいという意欲、そして学ぶことが楽しいと感じることは、その子の内にあるポテンシャルをどんどん広げ高めてくれるのではと思います。それが人生をさらに楽しむことにつながるのではと思います。
今月で2回目のライブトーク。素敵なゲストの先生からの話は学びの宝庫です。
そんな学びの時間を一人でも多くの皆さんとシェアできたら嬉しいです。
一緒に、この学びの道楽を楽しみましょう。
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