歌占の滝
全国の白山神社の総本社である白山比咩神社のほど近く、国道157号線沿いに「歌占の滝」がある。気を付けていなければ目にとまらないほどの小さな滝だが、室町時代にここを舞台として、謡曲「歌占」が生まれたのである。
能を大成した世阿弥には元雅という嫡男があったが、父を超える才を持つと言われながら父より先にこの世を去った。現在上演される元雅作の能は四曲あり、そのうちの一つが「歌占」だ。
「雪三越路の白山は……」で始まる謡曲では、伊勢の神職が白山麓で歌占いをする様子が語られる。その神職は、地獄を巡る体験によって占いの才能を得たらしい。弓にいくつもの和歌の短冊を下げておき、そこから一つを引かせて占うのだが、ある日一人の若者が引いた「鶯のかいごの内のほととぎす、しゃが父に似てしゃが父に似ず」(かいご=卵、ほととぎすは自分で子を育てず、鶯などの巣の中に卵を生む。しゃが=おのれ、汝)という歌を見て、失っていた記憶が蘇る。神職と若者は父子であることを確認し、連れ立って伊勢へ帰ったのだった。
「歌占」は難解で主題も散漫という見方もあるが、それがかえって魅力的でもある。和歌で占うということには、日本古来の言霊の考え方も垣間見えて興味深い。「鶯の……」の歌は万葉集巻九の長歌を改作したものであることが分かっており、そこに元雅がどんな思いを込めたのか類推するのも面白い。
鶴来町立博物館の小阪大学芸員によると「歌占の滝は手取川の河岸段丘にあり、洪水のときも水がつかない所」とのこと。滝の上には縄文時代や中世の遺跡があり、古くから人が暮らしていたことが分かる。さらに上方の採石場からは、昔は金や銅が採掘されたという。恵まれた土地であったようだ。
「歌占」という地名は、十四世紀中ごろの白山比咩神社関係の文書に記述があり、謡曲の成立より先に存在したことは間違いない。滝の北西には滝の宮と呼ばれる住吉神社があったことも記録に見える。その辺りに和歌で占いをする人がいたために「歌占の滝」と呼ばれ、評判は広く都へも伝わったのだろうか。
また、白山信仰の地には能の前身といわれる猿楽が普及していた。その「白山猿楽」を通して、世阿弥や元雅が白山地方に深い関心を寄せていたであろうことは想像に難くない。
(2003年頃の取材、写真は2023年1月16日撮影)