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託す想い
託す想い
配役
高次郎
吉右衛門
本編
吉右衛門「立たぬか、高次郎!お前はこの道場を継がねばならぬのだから!」
高次郎「ち、父上…何故ですか!門下筆頭の楓さんがいらっしゃるではありませぬか!何故、私なのですか!」
吉右衛門「門下筆頭だろうが、何だろうが、高次郎、お前はこの道場の師範、わしの息子ぞ!お前と楓がこの道場を支えるのだ!」
高次郎(N)物心着いた頃から私は父に剣術を教え込まれていた。来る日も来る日も…道場で剣術の腕を磨いていた。
少し間を開ける
高次郎「はぁはぁはぁ……ま、参りました」
吉右衛門「楓の連勝か…さすが、門下筆頭よ…」
高次郎(N)楓は私が幼い頃より一緒に修練している仲であった。年は同じだが剣術の飲み込み、上達は目を見張るものがあり、14を迎える頃には道場内で楓に1本取れるのは父上だけになっていた。
吉右衛門(N)高次郎は覚えてはいないだろうが、子供の頃、楓は野犬に襲われたことがある…その時助けたのが当時剣術を教え始めたばかりの高次郎だった。落ちていた枝を手に2匹の野犬を追い返した。
その姿を見て楓は剣術を志したのだと言う。
高次郎「楓とこの道場を支える……か」
少し間を開ける
吉右衛門「高次郎、また脇の締めが甘いぞ!切っ先を見ろ!そんな甘い構えだと打ち込まれるぞ!」
少し間を開けて
高次郎「はぁはぁ……最近の父上、焦っておられる?稽古の量も、厳しさも増している……何故?」
高次郎(N)より一層厳しくなった稽古に励んでいた1月の終わり、それは起きた
吉右衛門「楓、その踏み込みは打たれに行くようなものだぞ!高次郎もなんだ、その振りは!そんな振りしていたら…ゴホッゴホッ…」
高次郎「父上!」
吉右衛門「だ、大丈夫だ…気にするでない……ゴホッゴホッ…儂の心配する…暇があるなら…竹刀を…振……」
高次郎「父上!しっかりしてください!父上!」
高次郎(N)医者が言うには父は数ヶ月前から労咳(ろうがい)を患って(わずらって)いたらしい。
つい最近の見立てだと稽古は人に任して、療養すべきだと言われていたと知った。
吉右衛門「ん…ここは…」
高次郎「お気づきになられましたか…医者の者に聞きました…労咳だと何故黙っていたのですか…」
吉右衛門「高次郎、お主の才能を開花させるまでは…死ねぬのじゃ」
高次郎「私の…才能、でございますか?」
吉右衛門「左様…お主、楓と初めて会った時は覚えておるか?」
高次郎「はい、この道場の扉を叩いた時は覚えておりますが…」
吉右衛門「そうでは無いのだ…高次郎、お主はその前に楓に会っておる……その時、お前は木の枝で野犬2匹を追い払っておるのだ」
高次郎「そんな事……私には記憶にございませんが」
吉右衛門「そう、その時は生死を賭した状況、さらには野犬を追い払った後は倒れてしまったからな覚えてないのは仕方あるまい」
高次郎「その時に助けたおなごが楓だと?」
吉右衛門「そうじゃ…その姿を見て、楓はお主に憧れを抱き、この道場の門を叩いたらしい…その事を聞いてから、儂はお主の才能を開花させる為だけに生きた。
辛い稽古を強いてしまいすまなかったな…道場では優秀な師範でも父親としては無能であった」
高次郎「そんなことはございませぬ…父上はお忘れでしょうか?夕げの材料を買いに街を歩いている時、風車を持って走り回る子供を見ていたら、次の日、枕元に風車があったのを…」
吉右衛門「知らんな」
高次郎「あの時、店の者に話を聞いたのですよ?父上が風車を買いに来た、と」
吉右衛門「あやつ…余計な事を喋ったものだ」
高次郎「夏祭りの時もそうです…花火が見れない私は父上のそばで見えるように飛び跳ねていとのですが、父は肩車をして下さいました」
吉右衛門「お前が跳ねて他の者の足を踏んだら面倒だからだ」
高次郎「道場の次頭になった時も、その日の夜はお祝いで尾頭付きの魚と、私の好きな揚出しを作ってくれました」
吉右衛門「お祝いじゃない…もっと頑張れと思って作ったのじゃ」
高次郎「ですので、父上は無能ではございません…道場の師範としても、父としても…私には立派な人でございます……だから、父上…お身体を大事になさってください」
吉右衛門「……明日の稽古で証明せい」
高次郎「……はい」
少し間を開けて
吉右衛門「高次郎、今日の稽古は竹刀では無く木剣にて行う……相手は、儂じゃ」
高次郎「それは!お身体に触ります!」
吉右衛門「昨日の事で、もう儂を隠居扱いか?今まで1本も取れなんだのにか?この儂を舐めるでないぞ、小僧」
高次郎(N)全身の毛が逆立つのがわかる…師範としての父では無く、1人の剣客としての父がそこには居た。
気圧されそうな鋭い眼光を見据え、木剣を構える。
楓の『はじめ!』の合図と同時に脇腹に痛みが走った。
高次郎「ぐはっ……」
吉右衛門「どうした、隠居の一撃も受け流せないのか?」
高次郎「はぁはぁはぁ……ま、参ります!」
高次郎(N)父上は強かった…何度打ち込んでも、父に一撃を入れることは出来なかった。
何度も打ちのめされ、意識が朦朧としてくる。
吉右衛門(N)最初で最後に見せる剣客としての姿…容赦なく息子の体に木剣を振り下ろす姿は門下生にはどう見えたのだろうか…楓が止めに入るのを制止し続けると、高次郎の雰囲気が変わり始めた。
高次郎「はぁはぁはぁ……はぁはぁ……はぁ……ふぅー……」
吉右衛門「長かった…ようやっと花が開いたか」
吉右衛門(N)そう呟いた時には両脇腹に痛みが走った。儂は床に膝を着いていた。
吉右衛門「それまで!……証明、出来たな」
高次郎「父上……ありがとうございました」
吉右衛門「どうじゃ楓、お主の見たかった高次郎じゃ……時間は掛かってしまったがな」
高次郎「楓…すまぬ、時間を掛けてしまったみたいだな」
吉右衛門「さあ、これで高次郎と楓の夫婦に道場を任せ、儂は隠居できるな」
高次郎「め、めおと!?」
高次郎(N)後から聞いた話だが、楓は私に惚れて門を叩いたらしい…父上に何度もめおとの申し入れをしていたらしいが、父上が楓が惚れた姿になるまで鍛えてから、と条件を出していたらしい
少し間を開けて
吉右衛門「今日は高次郎の祝言…これからは高次郎、楓、2人してこの道場を支えて行ってくれ」
高次郎「はい、父上に教えられた全てを後の者に伝えるため、2人で一所懸命邁進してまいります」
高次郎(N)父から受け継いだ剣術への思い、楓から貰った深い愛の元、私はまだまだ強くなる。