見出し画像

瞬間と感謝

我が地球上への誕生を感謝して
歩いたこの地球

60年という月日が経っていたが
この年まで生きていれたことにまずは感謝だ

親から聞かされたこと、自分が経験したこと総じて
60年生きてこれたことに 心から周りの人に感謝の気持ちだ

日本では還暦という節目

私は何をしたか?というと
まずは産んでくれた母親に手紙を書いた。

それは、まだ生きていてくれたから伝えれたこと、父は早くに天国に行ったから伝えることもできなかったことだ。

自分の命もないとできないが、親の命もないと伝えれないことだった

そして、感謝の思いを伝えれてなかった人にも手紙を書いた。

相手もいつこの世から消えるかもしれない、
自分もわからない。。。

だから、思いを 感謝を手紙に書いて送った


それは、とってもよかった

相手から喜びの電話が来た、私はそんなことは希望してなかったが
その人が手を差し伸べてくれたことで、
今の自分がいる事

そして、未来にも引き継がれてることをちゃんと伝えておけてよかった

逆の立場になった時に、自分が関わってきた人が
本当に それでよかったのか?やはり悩むことがある。

批判されることもある

でも、誰がなんと言っても
一人の人間を救っていたら
心から よかったーーーと思えるものだ

誰かに寄り添うことや、
助けや、
批判されることもある

ガイヤシンフォニーというドキュメントの映画を見たことがあるだろうか?

多分このパート2 だったと思うが
今は亡くなられた、青森の 佐藤初女さんという女性がいた。

彼女は 悩み多き人いがやってくる「森のイスキヤ」というところで
おにぎりを作って
悩んで心傷ついてる人を おにぎりや 山菜 食で
癒してきた

私はこのドキュメント映画を 何歳で見たのだろうか?
三十歳の時だった

その時から、私はこんなおばあちゃんになりたいと思って生きてきた

先に自分が壊れるくらい繊細なくせに、
やはり同じような人の苦しみがわかるから。。。。

そう、今は着実にその方向に進んで生きてる
山の斜面を借りて 畑を作り
山菜や海では海の幸を

自分でできることを
できる範囲でしていく、無理がなく

今は写真家が本業だが
いずれは 初女さんのような生き方をしたいと


そして、きっとうちの人も同じような人だと思っている
私よりその思いは強い人だ

だから地元のお年寄りとは仲良くして、たくさん経験の話を聞いて
まだまだ自分を成長させていく

人の数だけ、それぞれの経験は違って
一番の勉強になるのだ

それはネットにも辞書にも書かれてないことなのだ
だから、人対人 ほど大事なものはない

身近な人にほど、「ありがとう」って言いにくいものだ
でも言える相手も、いつまでも生きていてくれるわけではない。
だからこそ、思った時に

つたえておくのがとても大事だと感じるのだ

いいなと思ったら応援しよう!