最近の制作の話
私は広告に憧れビジュアルデザインを専攻し、紆余曲折を経て現在プロダクトデザイン専攻にいる者である。
プロダクトも結局買ってもらわないことには始まらないので、社会においては広告と密接に結びついている。(ただプロダクトとビジュアルでは脳の使う場所が全く違う…というのは何度か私のnoteに書いている)
そしてユーザーに届ける、ひいてはその生活をより豊かにしてもらうという目的で、そのためには以下二つのことが大切ではないかと感じる。
①見せ方・使い方をユーザーが学ぶ
②ユーザーに自分ごとと捉えさせる
①について。お菓子のパッケージとは違いプロダクトはデザインがそのままユーザーの生活に入っていくので、ビジュアル的要素はその空間にあるものとして慎重に設計されている。ここでは、なるべく個性を出さないようにデザインされたものより、空間を彩るアクセントとなる、個性を表現するものとしてデザインされたプロダクトを考える。(例えば衣装ケースや炊飯器ではなく、ポータブルライトやチェアといったもの)
具体的に、この「マドコ」のライトについて考えよう。
丸いコロッとしたライトがくるくるまわり、繊細なワイヤーがそのまわりをシンプルに取り囲む。足の先は丸くなっておりイサムノグチのあかりを彷彿とさせるが、クリーチャー的なかわいらしさを感じる。
上のワイヤー部分はデザインのために必要最低限より長く、けっこう空間を使っている。こういう「一見無駄デザイン」が人の感性、個性を刺激する場所であり、同時に使い方を難しくする。
そう、ネットで見るにせよショップに足を運び「好き!」と確信して購入したとしても、実際使ってみると「意外と邪魔」とか「なんか部屋に合わない」みたいなことが起きがちなのである。
(かの名作パンテラは無駄が無さすぎるので個性的ではあるがどの空間にもすうっと馴染む天才的発明、デザインである。)
これは「服やで見たらかわいかったのに自分が実際着てみたらなんか違う」と全く同じ現象であると感じる。
服にせよ部屋にせよ、まず自分が持つそれらの特徴や魅力をちゃんと理解する必要があるのだ。
骨格診断やパーソナルカラー診断に勤しむのはおしゃれ女子の常であるが、部屋に関して言うと、そこまで複雑ではない。でもあまり意識しないからとレーニングが足りていない。
植物などを育てていたら、光がこういう風に部屋にあたって、風通しなどもよく気をつけるようになるだろう。
大きい空間にはこういう派手なものを置いて、この色の横にこのアクセントを置くと、まとまりが出て良い、ここは暗いから照明を置こう、みたいな。そういうルールはある程度あるのだ。
そういう空間づくりをユーザーが理解してこそ慎重に設計されたデザインが生きる。し、慎重に設計されていない生活のゴミ(ペットボトルとか)も、家具の一部のように見せることができることもある。
だから物を作る人間は、違う人がやってもいいんだけど、使い手の生活を真に豊かにするためにはちゃんとその使い方を教えてあげる必要があるのだ。
②ユーザーに自分ごとと捉えさせる
について。
①の内容と関わるが、プロダクトや空間の広告について考えてほしい。
この前ひろーい家のCMが何度もテレビで放送されていた。
私は思った。
誰が買うんや、これは。10時台のニュースのCMがこれで合ってるんか。
ショウケースはいつもピカピカで、カタログもピカピカで、とても生活感がない。生活感があるように見せているものでも、「どこの豪邸で撮影してるんですか?」みたいなものが多い。
いや分かる、家という存在を抽象化させた結果ああなってることは分かるんだけど、とても我ら一般市民が手の届くようなものには思えない。
金持ちの家にはデザイナーズ家具がふんだんにあって、一般市民はニトリで全部揃えるみたいなことが起きる。
分かるんだけど、私は「良いデザインのものこそ一般家庭に置いてほしい」と思う。
①で「ものを生かす空間の作り方を学ぶことが大切」みたいな話をしたが、これは別にめっちゃ部屋を綺麗にしろという話ではない。乱雑な部屋でも居心地よく暮らすことは可能なのだ。
この前、『ナミビアの砂漠』を観に行った。(※ネタバレ注意)
一人目の彼氏と住んでた部屋は、ものがぎちぎちに詰まった生活感ありありのラックに、オレンジ色のボリュームのある花を飾っていた。花瓶など使わず、2リットルペットボトルを半分に切ったものに挿していた。それがめっちゃ空間に合っていて、華やかに、でも華やかすぎず、「一緒に暮らしてる感」がめっちゃよかった。
二人目の部屋は、めちゃくちゃデザイナーズ家具が揃っていた(のちに実家太いことが判明し納得)。そんな広い部屋ではなく、効率が考えられた狭い仕事スペースなどが作られ、そして全然片付いてはいなかった。でも、デザインの力で、その生活はなんかいいかんじに見えたのである。
どちらの部屋のシチュエーションにおいても、とてもリアルだった。
「なんかいいかんじに見えた」と言うとやんわりしすぎているが、例えばあれが全部ニトリの家具であれば、生活の深みは無いし、安っぽいし、壊れそうだし(主人公が暴れるので)、貧相な暮らしに見えたと思う。部屋を愛せる気はしない。(部屋にそんな幸せがなかったのもあり、、)
まあとにかくセンスが良かった。格式高くお花やデザイナーズ家具を使っていなかったのがとてもよかったのだ。
そういうものを一つ頑張って買うだけで、生活への愛着が湧き、家時間が楽しくなり、暮らしを好きになれるというものだ。そして名作は長く使うことができる。低所得帯こそ、余裕はないことは分かるが、空間に目を向けてその重要性を感じてほしい。
そのためには、ああいうCMとかカタログってのは全く機能しないのだ。
安い家具家電の、スーパーのチラシみたいな文字で全部「お得だぜ」が書かれて分かりやすいものに、みんなよっていいってしまうのだ。その美意識が日本の景観を生んでいるし、ちゃんと教育してほしいけど学校では教わらないだろうので、広告の力が頑張らないといけない。
はい、というような思いがあり、広告とプロダクトの関係を問うような作品を作ろうと思っています!自分の中のものを吐き出したメモでした、アデュー