幸せとは

一昨日、デンマーク人のマリー、マリアとお別れした。
カラオケではしゃいで、最後の曲はMaroon5の"Maps"だった。
ブチ上げ。そして、ハグの強さで、離れるのが一層寂しくなった。
一泊してもよかったんだけど、引き際を学ぶことを最近のテーマにしている。そしてやっぱり、あのとき帰ってよかったなと思う。
次だれかとハグするのはいつだろうか。
次マリーとマリアを肌で感じられるのは、いつになるだろうか。
西洋の人って日本人より体臭がある。
見知った坂道を歩いているときも、隣からマリーの優しいにおいがすると、デンマークのあの田舎を思い出す。
マリーもマリアも、すっぴんだろうが二十顎だろうが酔いつぶれていようが、そんなこと関係なく、「私」が好きなのだと分かる。
嬉しい。三人で、狭いカラオケの部屋で踊った。
「外国人」に、こんな安心感を抱く日が来るとは思わなかった。
まあどちらかというと私が「外国人」であった。でも今は、私たちは同じ地球市民である、ということを身をもって実感している。

京都でお気に入りのカフェへ行った。三人とも大きなパフェを頼み、カウチに沈む。「シュガーを取りすぎだわ!」

「日本でワンナイトって普通?」マリーが急に訪ねてくる。
私はたじろぎながら、うーんと返す。

「私にとっては普通じゃないけど、それなりにあると思うよ。」
「薄情者はしたことある?」
「ないよ」
「ほーん」

なんかワンナイトとかシチュエーションシップ(セフレ?)とかマリーの過去遍歴の話になる。
デンマークはパーティー大好き文化だ。ワンナイトっていったら大体パーティーやパブで会った人とらしい。酔っぱらって、「んー、アイツだ。」と思ったら普通にマリーやマリアからも声を掛けに行くらしい。女子からの成功率はかなり高いと話していた。まあそうやろ。日本じゃあんま考えらんねえなあ、クラブとかはそうなのかなあ。
性について話すことへのタブー感があんまりないので、「あれはいいセックスだった…」と昼間のカフェで遠い目をして言うし、すごく上品なペースで下ネタを言う。酔っぱらったら最悪なのでクララの元カレピーナッツを何枚も見せられたこともあった。
でも公然でベロチューすることはデンマーク人的に「キモイ」らしく、フランスやスペインとはまた違った価値観らしい。


↑はい、これを書いてから数週間経ちました
このあとの話を本当はしたかったんだけど忘れました!あほ!下ネタだけで終わったやんけ!

「幸せってなに?」
って、聞いたんだよね、たしか。

「昔から良い成績を取ることが良いことで、なぜかというとその終着点は良い大学に入ることで、それが大企業に就職することへの切符になって、そしてその先に何があるかというと、お金持ちになることなのかな。それが私が今まで生きてきた中で感じた、日本社会において『幸せになる』ことのようだった気がする。」

高校あたりから、ずっと将来が心配だった。大学受験に一番恐れてて、そのあとにある就職活動というでかい存在にもずっと恐れていた。
私はそこそこ進学校にいたので、東大やら京大に行く人もいたが、そういった人ですら「大学で何をしたいから行きたいんだ!」という人は少なく、「やりたいことも特にないのでとりあえず良い大学に行っとく」みたいなスタンが多かった。阪大以下などのレベルになると、正直ほとんどそんな人たちだった。(「これがやりたいからこの大学を選んだ!」という人はマジで輝いてた)
そして私は一年休学したので同級生は大体就職が決まっているのだが、で久しぶりに飲みに行くなどしたのだが、商社だとか年収1200万だなんだ、ボンボンがそのまま金持ちルートに進みそれを恥ずかしげもなくひけらかしてきた、きもい。その構造もきもい。同窓会が年末にあるんやけど、一年休学してよかったまじで。そういう奴らこそ皆の就職先を聞いて回るんだよな。地獄やん。「学生時代は勉強で敵わんかったけど今は俺の方が上。勝ち組!」みたいな。やめてくれ。

私は続けた。
「デンマークでは福祉がしっかりしてるから、大学を経済的理由で諦めることがないし、働けなくても十分幸せに暮らせる。日本とデンマークにおける幸せの価値観って、全然違うんじゃないかと思うんだけど、どう?」
二人とも真面目な顔で聞いてくれた。
マリーが口を開く。
「それはボーイフレンドを決めるにあたって、私にとってレッドフラッグなんだよね。」
「どれが?」

「家のことより働くこと、お金のことに執着してるってこと。私のお父さんが実はそうなんだ、彼は子供のころ貧乏だったみたいで、だからお金がほしくて医者になって、今は贅沢品をよく買って、それが幸せだと思ってる。車とか。でも私はその物質主義なところが好きじゃないな。幸せってそこじゃないと思うから。けどデンマークにも、そういう、お金があることが幸せだって思う人は一定数いるよ。そういえばエミール(ドイツ人彼氏)も昔は貧乏で、自転車とか、壊れても古いものを直しながら『もったいない』精神で生きてたらしい。でも彼からはそんな物質主義的なところは感じないかな。そういう精神は良いこと、かっこいいことだよね。」

マリアも続ける。
「私も、仕事のことより家族とか私生活が満たされていることが幸せかな。贅沢をすることより、ヒュッゲのある時間、暮らしが一番幸せだよね。うんまさしくヒュッゲが一番幸せだ。」

「なるほどね、たぶん日本がこういう価値観なのは、労働が生活の中心軸にあるからなんだろうな。」

マリアが青く丸い目で私の目を見て、半信半疑というか、不思議そうというか、キョトンとも言える顔で、言う。


「フウン、日本人はそれで幸せなの?」


私は言葉に詰まった。うーんと苦笑いした。
「日本人は幸せでない」とは全く思わない。お金がなくたって幸せを感じている人はたくさんいるだろう。私も今のところそれなりに毎日楽しく生きている。生命の危機など感じないし、おいしいごはんもしっかり食べることができる。
ただ、労働の話をして、完全に労働が生活の中心にある私の母と父を思い浮かべて、「彼らは幸せだ」と言うことは、とてもできなかった。
幼い頃から父ともっと関わっていれば?
父も母もバケーションがとれて遠くで十分休暇を取ることができれば?
家族四人で毎日食卓を囲むことができれば?
私の学費がかからなければ?
もっと早く帰ってきて十分に睡眠がとれれば?ごはん作ってを楽しむ余裕があれば?
毎日とは言わなくても、週末は四人集まってコミュニケーションがとれたら?

今と全然違った家族の関係を築けたんじゃないだろうか。
私の父母のことを「幸せそうだ」と言えないことが、一番悲しい。



日本は好きだ。
バイトの面接に落ちまくって時間があるので、この前は烏丸のカフェに行って、京都御所でスケッチして、花屋で花を買って帰ってきた。
文化についてどの国よりも知っていて、人のニュアンスも感じ取ることができる。広い京都御所を歩いて日本人をほとんど見なかったが。
大学の勉強も楽しい。みんなと日本語で自分の底の心を言葉に表すことができる。だからこそある学びも深い。
将来、海外で働くことも考えなくはない。
でも、海外に行ったとてその国の人間と同じようには扱ってもらえないだろうし、幸せを決めるのは環境じゃなくて私自信だし、簡単に幸せになれるとも思わない。まずは出張でちょっと行かせてほしい。

でも現実的に考えて、日本で「お金のことも気にせず幸せ!お金が一番なんかじゃないよ」というためにはそこそこお金を稼がないといけない。国は守ってくれないんだろう。自分で自分を安心させないと、その境地にたどり着くことはできないだろう。

でももしデンマークのビザがとれたって、他の問題はたくさんあるだろう。デンマーク語わかんないし。
楽な道なんてどこにもないんだ。


幸せって、なんなんだろうなあ




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