意識は巡る

私は今年6か月間デンマークで暮らしていたのだが、
そこでできたデンマーク人に友達、マリーとマリアが日本に来た。
そして、私のおばあちゃん家に泊まった。
とてもじゃないが観光本には載っていない、私の地元を案内した。

「若者よ、旅をしろ。」
だとか
「海外行きなさい!」
とか言う人がいる。
なんとなく胡散臭いなと思っていたが、
マリーやマリアと話しながら地元をまわり、思った。
外に出て色んな世界を知ってこい!というのは、同時に、自分が元々いた世界を見つめなおし、じっくり考えるきっかけになるのだ。
渡航前、父親に「日本のことも大して知らんのに海外に行くなんて早い!」みたいな話をされたのが気にかかっていたが、
今なら思う。日本のことを知るためにも、知ろうとする意識を育むためにも、行ってよかった。

私は色んな専攻を渡り歩いたり、海外に行ってみたり、浅く広く色んな人を見てきた。
自分のことを、ある分野に対しての知識が浅い人間だなとコンプレックスに思っていた。
ということを誰かに相談すると「それが強みでしょ!」と言ってくれるが、正直なにも納得できなかった。
でも今思う。
意識は巡る。
プロダクト専攻にいる今、勉強する中で広告やグラフィックを勉強していたときに思ったこと聞いたことを反芻する機会によく出会うし、
海外を知りたい!と思って行ったら、結果的に自国に目を向けるきっかけにたくさん出会う。デンマークでデンマークのことを知り、日本で日本のことを話す。そしてまたデンマークや違う国のことを学び、また日本について考える。
人の意識というのは真っ直ぐ直線状に進んでいるのではない。
記憶を頼りに、行っては戻りを繰り返して進んでいるのだ。
ぐるぐるぐるぐる
「若いうちに色んな経験をしとけ」というのは、その円を大きくすることなのだと思う(円なのか?)。時間のある今だからこそできることっていうのはたくさんある。それこそ海外に行くとか。
その円の大きさというのが、人の豊かさなのかなって思ったり。
豊かだから優秀って言いたいわけではない。豊かであるっていうのは、人を許すことができるとか、自分の幸せを生み出すことができるとか、人の喜びを自分のことのように嬉しく思えるとか、
やっぱり社会的生物である人間として、他者と関わりあいながら、素敵な暮らしを築いていくことなのかなって思う。
うん。
人とのかかわりって、大事だよね。
なにかの知識が豊富であるより、どんな技術を持っているとかより、大切だと思う。
日本では良いキャリア道を進むことが、成功だと言われる傾向がある。
そこそこの進学校に居た私は、まさしくそう考えてた。
だから、「お金はあるけど幸せではない」みたいな矛盾した状況が発生する。なのに、やっぱり社会での成功ってお金がたくさんあることって言うのが小さい頃からなんとなく刷り込まれていて、
だからまずホイスコーレの理念を理解できなかった。

「幸せ」の定義を、問い直すこととなった。

デンマークは高福祉国家である。
この国は税金はめちゃくちゃ高いが、福祉としてちゃんと返ってくる。教育も、病気も、お金の心配をする必要がない。
一方で、「お金がない人には与えるし、お金がある人からはキッチリもらう」国である。そうやって国民の水準をある程度同じところに揃えようとする。私がデンマークで聞いた話では、例えばエフタスコーレ(私立学校だったかも、定かでない)では教育といえどもお金を払う必要がある。でも世帯収入によって払う額が違うくて、収入が高い家は多く払い、ある基準以下の家の子は無料で通える、というようなことが起きるらしい。そしてそれに対し、学費を払っている側は「みんなが平等であるべきだから、その状況は当たり前だよ」と言ってたそうだ。

そういう状況になると、「お金をたくさん稼ぐ」ことが幸福の目的ではなくなる。
なぜなら稼いだところで税金で多くとられるし、稼がなくてもまあそこそこの生活が送れるからだ。

こういう状況が、大学卒業時の年齢が高いところとか、フォルケホイスコーレの存在そのものに反映していると思う。
よいキャリアを積むこと、お金を稼ぐことよりも、自分の人生についてよく考えたり色んなことを勉強したり、仕事より家族と一緒に過ごす時間を長くとったり、
そういう自分の内面への理解や、他人との繋がりを上手に深めていくことが、「幸せ」だと認識しているのだ。
そういった教育の結果、デンマーク人の生産性は世界トップクラスなので、皮肉というか、ふうむそうなのか、何が正しいのか、という気分になる。

私はそのデンマークの考え方めちゃくちゃ素敵だなと思うが、やはりそれはデンマーク社会の中での考えであって、日本でその価値観を無理やりひとりで転用しようとしてもうまくいかないと思う。

でも、知ることは大切だ。

さっきお母さんと話していた。
マリーとマリアは大学を休んでフォルケに来ていた。
母は言った。「その子たちは何を勉強しにフォルケに来ているの?」
かつて、最大の難問であった。
かつて、私は言った。
「就職前に海外で住んでみたかったのと、英語を話せるようになりたいからだよ」
雪の降る1月、私からの質問に、アンナやマリアはさらっと言った。
「休憩したかったからかな。」
そして今日、私は言った。
「休憩しに来たんだと思うよ。」
「大学では医学を勉強していて、フォルケではなんの授業をとっていたの?」
「農業とかアウトドアとかセラミックとかだよ」
「?」
「フォルケは、何か特定の専門知識を学ぶところじゃないんやで。」

『人との繋がりを通して、人生を豊かにするためのところなんだよ。』
とは、なんとなく恥ずかしくて言えなかったが、一番大切なところであった。なんか日本語だと色々恥ずかしくなっちゃうので、英語で話すのがけっこう好きである。リアクションとりやすいし。

そして、そういう個人が集団の中で自分にとっての幸せを見つけるということが、人生を豊かにするということで、
それが、民主主義の中で善良な市民を育てるということだと、グルントヴィは考えたわけだ。

という話を前にもnoteでした気がするが、グルントヴィさんまじすごいよな。よくあの時代に、そんな賭けみたいなことしたよな。日本の「ゆとり教育」とは何が違ったのか、また調べてみようと思います。


はい、はじめに戻りますが、
例えばマリーはこれから医者になるんだけど、二年くらい大学休んでて一年は二つのホイスコーレに行っていた。
ホイスコーレで医者のスキルなどは何も学んでいない。
ではホイスコーレでの一年は無駄だったのか?

少なくとも、同じ学校で私は、
マリーが毎日トレーニングをしていたところ、スケッチに挑戦していたところ、セラミックでコップを作っていたところ、色んな国の人とたくさんたくさん話、笑っていたところ、一緒にボロボロのバイクで120キロ走ったこと、森に散歩へ行ったこと、たくさんセーターを編んでいたところ、私に手編みの手袋をくれたこと、床に寝っ転がって、話したこと、たくさんふざけているところ、みんなを笑顔にさせて、引っ張ってくれて、一緒に幸せをたくさんつくっていたところ。

マリーのそんなところを、たくさん、私はこの目で見た。
あの時間が無駄だった?
そんなわけない。

マリーのあの時間を、そんなわけないと思うから、私も、自分がホイスコーレで過ごした時間を、無駄だっただなんて、そんなわけないと肯定できる。

他人と共に生活する中で、どのように関係を構築し、その中で、心地良い場所を探す。
難しい、人生の課題だ。
それに、ポエムと共に、アートと共に、自分と人と向き合うことを学ぶ、場所だったのである。

そしてタイトルに戻るが、マリーはこれからの長い生活の中で、ホイスコーレでの暮らしをたまに思い出しては、
「あのとき心地良かったこと」をまた、行うのであろうと思う。
医者になったからといって、医者と言う仕事がマリーの全てではない。
マリーはマリーだ。
自分を、自分の芯を探し、戻ってくるところをたくさん積み上げる。
意識は巡る。



父方のおばあちゃんは、小さい頃から私にお小遣いをくれた。
小学校のとき、誕生日や夏休み、冬休みにおばあちゃん家に行くと、5000円をくれた。
私は親にお小遣いをもらったことがなかった。
というかそもそもお金をつかわないので、どんどん貯金できていた。お金の価値もありがたみも、特に分かっていなかった。
親は私がおばあちゃんにお小遣いをもらう度、「なんぼもろたん!」と分かりきったことをしつこく聞き、「ええのお!」「ちゃんとお礼いいや!!」と言った。
当たり前のことなのだが、当時はとてもいやだった。私はなにもしてないのに、怒られてる気分だったのだ。それならなにもいらないしおばあちゃん家も行きたくないと、本気で思っていた。
今なら分かる。
子供を育てるということは大変にお金のかかることだ。別に裕福でもないこの家で、家族旅行も毎年行って、私たちに好きなことをさせようと習い事などもさせて、学費も払って、なんて考えると、とんでもなくお金がかかる。
親がどれだけ苦労してたか、と思う。
だから、悪いのは私の親ではなく、そういう状況をつくっている日本社会だったのだ。
その今ある社会の中で、ちゃんと周りの人と話合って、みんなの最善を探ることが大切だったのだ。私はいやだなと思ってもえらい子として言わずに我慢してたけど、ちゃんといやなことはいやだと言わなきゃならなかったのだ。
そうやって話し合いでみんなの意見を聞き、より良い方向へ進めようとすることが、本当の民主主義なのかな、と思う。
もちろんこれは小さい例なのだけど、そうやって自分の意見を発信して、人の意見を聞いて、考えること。
"What you say, makes me think"

これもまた、フォルケホイスコーレという学校を通して、私が考えたことでもある。


デンマークに行って、色んなことを学んだ。
学んだのだけれど、日本語にすると、いろんなことを「考えた」と言うべきかと思う。
デンマークに行っただけではない。去年からデンマークのことを調べ、1月に実際に行き、そして日本に帰ってきて、今の今まで、私はずっとホイスコーレについて考えている。あの経験はなんだったのか。ホイスコーレの本を読んだり、北欧のデザインを勉強したり、し続けている。
そして、少しずつ、最近ようやく、「フォルケホイスコーレとはなんだったのか、デンマークという国はどういう国だったのか」ということを、言葉にでき始めている。
こうやって自発的にものを調べ、言葉にし、人に話し、夜な夜な考えることを、
「学び」というのではないかなと思う。

そしてまた大事なことは、ただデンマークに行っただけではこんな学びは起きなかったということだ。
マリーやマリアという、かけがえのない素敵な友だち。
アリックス、クリス、アマンダ、コリン、ショーコ、スーヨグ、アンナ、クララ…
かれらの言葉や行動が、私を考えさせたのだ。
かれらに出会わなければ、例えば私が一人コペンハーゲンで過ごしただけでは、このような学びは得られなかったのだ。

"What you say, makes me think"

これは、最近あるホイスコーレの先生が出版した本のタイトルである。
この意味も、ようやく、少しずつ腑に落ちるようになってきた。
人との出会い、交流。
生きた"human interaction"が、私を成長させたのだ。


そう思ったこの記憶を、
いつかの私の意識がまた、かすめるのだと思う。




まだもう少しまとめるには時間がかかりそう。
でも今なら、
「デンマークで何を学んだの?」
という問いに
うまく言葉にできなくても、
堂々と自信をもって、答えられる。



アデュー

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