ある日突然「全て辞めます」と言いたくなる絶的な衝動を飼い慣らす
ありませんか?
私はあります。
リセットして遠くに行きたい。
煩わしいものから、スッパリと縁を切りたい。
私はその衝動が、自分の生まれ日からくるものである事を最近知った。
四柱推命では「絶」と呼ばれるものだ。
ググると、「絶する」「絶してなんぼ」などと言う言葉が飛び交う。
魂が浮いているんだと。
やっぱりねぇ…。なんだか腑に落ちた。
その場にいても、「波長が合わない人」と同席すると、直ぐに魂が浮き始める。
「あ、やばい。話聞いとかなきゃ。なんて言ってたっけ?弟さんの話だっけ?」
などと焦って、ご主人の愚痴を弟さんのことと勘違いして素っ頓狂な返事をしては怪訝な目で見られる。私の日常だ。
この悪癖を克服するために、親が私に与えてくれた環境は、厳しくも清貧な、しかし心温まる生活であった。
口煩い母と理想主義の父の元で、「普通でいなくちゃ」と勉強や学校生活を頑張って、地に足をつけて生きてきた。
一つ一つ投げ出したりしないよう、投げやりにならないように。
幸せが、繋がるように。
でも、突然、寝る時や家に帰る時、ふと。
このまま何もかも捨ててしまいたいなと思う時がある。
絶りたくなるのだ。
どんなに身軽になるのだろうか。
春風に舞う花びらのように、光る野原を目指してみたい。
ただ、その先の、日は陰り冷たい雨ばかりが降り、濡れた地面から起き上がれない孤独が私を苦しめる事も、同じくらい簡単に想像できるのだ。
そこでまた、現実に戻り家路に着く。
皆んなも同じなのか。
心のうちを覗くことはできないし、逃避願望が根底にある人を見抜くこともできないので、今だ同志に会ったことがない。
ただ、実体験から基づく明らかな特徴が一つ。
夢想家は浪費家ですぜ。
これ、確か。
金の価値がぼーんやりしてる。
天からも回りものだと本気で思っている(ごめん)
それでいて、(恐らくだけど)美しいものや芸術的なもの、感性そのものに強く引かれる。
絶にとって、お金は人生を楽しむために湧いてこなくちゃならないし、
絶にとつて、人間讃歌はしがらみと化す前にリセットしなくちゃならない。
美術芸術音楽に惹かれて、純粋な心で対峙し才能を発揮する。
やってられるかぁ〜〜!
と思うけど、やってみたい。
王侯貴族のようにお金はいっぱい。
でも楽器弾いたりして、才能を発揮できるツールを持つ。
でも、閉じこれられた人間関係の中で過ごすのではなく、花びらののように流れて生きていきたい。
これが、夢を見る絶の実態です。