「外」の成り立ちと「卜」との関係
提要
この記事は、常用漢字「外」の成り立ち(字源)を、「卜」との関連に基づき、先行研究を踏まえて纏めたものである。結論を先に述べると、「外」は標準となる縦線から外側であることを示した筆画を加えた指事字に、声符「月」を加えた形声字であり、卜兆(甲骨を焼いた際にできるひびの形)の象形である「卜」とは無関係の別字である。
甲骨文の「卜」字
甲骨文の前辞には「某某卜、某貞」という形式が使われる。この「卜」は卜兆を象った形で、占うことを意味する漢語{卜}を表す字であり、甲骨文には頻出する。
まず卜兆というものをもう少し詳しく説明する必要がある。甲骨文には占いの際にひびを刻む習慣があった。通常はまず、甲骨の裏側に「鑿」と呼ばれる深い窪みと、「鑽」と呼ばれる浅い窪みをセットで作る。
これに熱した棒を当てて焼くと、表側に「卜」形の亀裂、すなわち鑿に対応する箇所に縦のひび、鑽に対応する箇所に横のひびが入る。分かりやすい例として、『合集』10964を示す。
ここで注目して欲しいのが、10964正の右上、「辛亥卜、丙貞」中の「卜」の字形の横棒が、中心側を向いている点である。
つまり字形が実際の亀裂の形に対応していると言える。これは何も偶然ではない。もう一つ、『綴彙』904の摹本を示す。
ここには多くの前辞が刻まれているが、そのほぼ全ての「卜」字の横線が、千里路側へ向いているのが分かる。かつて陳夢家は『殷墟卜辞綜述』で「もし卜兆が左向きなら卜辞中の“卜”字の横枝も左へ向く。逆も然り。」と指摘した。この規則が100%保たれていたわけではないにせよ、殷人は卜兆の向きと「卜」字とを対応させていたことが見て取れる。
「卜」字の反転形の字
『合集』34189に、「卜」字とその反転形が同じ文中に出現する。以下、この反転形をAと表記する。
釈文を示す。
①庚辰卜、于A勺土。
②庚辰卜、于内勺土。
これは対貞であり、②で「内」となっている箇所は、①の「卜の反転形」と意味的に対になっている。
また、『花東』236.27に「壬、衁于室A」とある。
加えて、『史記』殷本紀に現れる商王「外丙」「外壬」は、甲骨文ではそれぞれ「A+丙」「A+壬」の合文で書かれる。
このAは後世の「外」字とするのが最も合理的である。『合集』34189は「内」「外」の対応する辞であり、『花東』236.27の「衁于室A」は、衁(祭祀名)を室外で行うという意味である。
なぜ「外」が「卜」を反転させたような字形で書かれるのか。林澐は「王、士同源及相關問題」の中で「外」字を取り上げ、「当時の人は卜兆の横枝の無い方が外で、有る方が内だという固定観念があった。」と考察した。上述の例から分かるように、信頼できる指摘である。すなわち、「外」字は上述の観念に基づき作られた、基準となる縦線から外側(つまり千里路とは反対側=「卜」字の横枝とは逆側)を示した指事字である。
以上を考慮すれば、「卜」と「外」が同時に現れた時、それぞれ逆向きになるという理屈が分かるだろう。ちなみに、先ほど挙げた『花東』236.27の「外」字は腹甲の右側にあり、同じ側に「卜」字が八つ出てくるが、全てその規則に従っている。
声符「月」の添加
ただ、もちろん「卜」と「外」は字形が酷似しているため、当時の人は混同してしまうことがあっただろう。実際に、上に挙げた『綴彙』904の摹本においても、千里路より左側にもかかわらず、横線が左へ伸びた「卜」字がある(気が向いたらウォーリーを探せ的な感覚で見つけて欲しい)。
姚萱『殷墟花園莊東地甲骨卜辭的初步研究』は、「初期にはこれらの規則が守られていたが、次第に厳格ではなくなっていき、且つ書写媒体が甲骨ではなくなることで区別に難がでてきたため、後に{外}を表す方には声符“月”を付して分化した。」と述べる。西周金文では、もっぱら声符「月」を伴って書かれる。
この形が、現在の「外」の直接の祖先である。
「上」と「二」との関係における比較
似た例として挙げておきたいのが、「上」と「二」である。「上」は基準となる横線と上側を示す筆画からなる指事字であり、その形は「二」と酷似している。
両字は似ているが、「大」と「夫」のように一形多読の関係ではない。要するに「似ているだけで形を共有しているわけではない」ということである(ちなみに「上」は春秋晩期に縦線が加えられ、現在の形となった)。
「卜」と「外」も同じで、形は酷似しているが、その構意が明確に異なる。すなわち卜兆の象形に由来するものと、基準となる線から外側を指す指事字(上や下と構意の類別が同じ)であり、両者は別字で、字形を共有していると見るべきではないと筆者は考える。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?