たぬきは新しい!?信楽焼の歴史と特徴

みなさんは信楽焼と聞いてどんなイメージをお持ちですか?
まず思い出すのはたぬきの置物ではないでしょうか?
実は信楽焼のたぬきは信楽焼の歴史の中ではすごく新しく、広まったのは戦後と言われています。
じゃあ信楽焼ってどんな焼き物?というと歴史がとても長く、その時代のニーズに合わせて変わってきているのでとても多種多様な焼き方や釉薬を使った商品が多いのです。今日はそんな信楽焼の歴史を簡単にお伝えできたらと思います。

始まりは鎌倉時代後期
愛知の常滑焼の技術が伝わり、古琵琶湖層の粘土層が耐火性が強く粘性も強い器作りに適した土が取れたことから、窖窯(あながま)での焼き物作りが盛んとなり、奈良や京都、大阪にも近いことから陶芸の産地として盛んになりました。

室町・桃山時代以降
茶道が盛んとなり、「茶陶信楽」として茶人をはじめとする文化人に重宝され珍重されるようになりました。

江戸時代
商業の発展に伴い流通が盛んになってきたことで日常陶器として茶器や土鍋、徳利、水甕などを大量に生産され、幕末には陶器製灯明具の一台生産地となりました。

明治時代                               明治時代に入るとなまこ釉という釉薬が開発され家庭用の火鉢の生産が盛んになり、戦後にかけて全国シェア80%を超える一大産地となりました。

昭和時代                                                     

昭和26年に昭和天皇が信楽行幸の際、沿道にたぬきの置物に日の丸の旗を持たせて沿道に設置した情景を御製を詠んだ逸話が新聞に掲載され全国に認知されるようになり縁起物として店頭に置かれるようになり、信楽焼=たぬきの置物という印象が強くなった。

現在                                これまでの歴史を踏襲し茶道具としての「わび さび」の世界観を大切にしながら火鉢に使った多様な釉薬も使用し、需要に合わせて生活食器や植木鉢、衛生陶器まで多岐にわたる製品を30以上の窯元が製造しています。

まとめ                               信楽焼は、日本六古窯の一つとして数えられるくらい歴史の長い陶芸の里でありながら、時代に合わせて茶器、火鉢、生活食器と様々な製品を作る柔軟な窯元だからこそ、多岐にわたる土、釉薬、焼成でバリエーション豊かな製品を作成しています。

多種多様な器と出会えるセラミックアートマーケット          2022年11月4.5.6に開催されるセラミックアートマーケットでは特色がある窯元が一同に介しているのであなたのお気に入りの窯元や器と出会えるかもしれません。一枚一枚手作りなので、ぜひ現地へ足を運んで一期一会の出会いを楽しんでいただけたらと思います

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?