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久しぶりに東京国立近代美術館で、日本画を堪能してきました

週末、久しぶりに自転車をキコキコと漕いで、江戸城の北の丸にる東京近代美術館へ行ってきました。東京国立博物館(トーハク)に所蔵されていない、常設展…というかMoMATに所蔵されている、明治や大正時代の日本画が見たかったからです。トーハクのように観光客が多いわけでもなく、みなさんじっくりと作品を鑑賞しようという人たちばかりなのも、たまには良いですね。

江戸城北の丸にある東京近代美術館




■キレイとフシギが混ざった土田麦僊さんの《舞妓林泉》

土田麦僊《舞妓林泉》1924年・絹本彩色

土田麦僊さんの絵を見るのは今回が二回目。たしかこの方も、ヤンチャな人生を送っていた気がしますが…どうだったでしょうか。

そうした人生とは真逆の、鮮やかだけれど華美ではなく、センスの良さが光る色使いが、とても好きです。そのセンスの良さは、最初に見た作品だけではないんだなぁと、今回の《舞妓林泉》を見て感じました。

舞妓さんの骨格は、東京ではあまり見かけない骨格をしています。まるっと小さな顔立ちで、描かれている愛らしい目をしていますが、これはよそ行きの目なんだろうなと、うがった感想を抱くのはわたしの歳のせいでしょうか。

背景は、どこかモデルにしたところがあるんだろうなと思わせるような具体性がありつつ、もちろんどこなのかは分かりません。そして舞妓さんの着物や舞妓さんの顔や手や足がリアルなのと真逆に、そのアンリ・ルソーのような平面的で不思議な雰囲気の背景の描き方が面白いですね。

トーハクのように頻繁に行くわけではないので、作品の一点一点が新鮮です。舞妓さんの近くには、鈴木主子(きみこ)さんの《和春》が展示されていて、これもまた好みの作風です。思えばわたしは、近美の昭和初期までの日本画の作品が、とても好きなんだろうと思います。江戸時代までの書画をしっかりと踏襲しつつ、でもたしかに江戸時代よりも進化しているというのがしっかりと感じられるからかもしれません。

■鏑木清方さんが褒めた、ひたすら清涼な雰囲気の《和春》

 

鈴木主子《和春》1936年(昭和11年)紙本彩色・1936(昭和11年)・紙本彩色 color on paper

この《和春》という言葉も、初めて聞いた言葉ですが、とても良いですね。やはり現代人よりも戦前の日本人は、全体的に言葉というか漢字のセンスが良いように思います。どんな意味なのか調べようと思いましたが、作品の英語タイトルが《Mild Spring Day》と記されていたので、なんとなく分かりました。

鈴木主子《和春》1936年(昭和11年)紙本彩色

そして、この花はなんだろうと思ったら、これも解説パネルに記されています。いつも近美に来ると思いますが、解説パネルが分かりやすく、その作品への愛情を感じます。

梨の花が盛りです。桜が散ったあとは、こんなふうに白と黄色と緑の春が訪れます。

解説パネルより

そう絵に描かれた情景を短く的確に記したあとに、今作が出品された展覧会での審査員による評価を記しています。その審査員とは、鏑木清方さん。

鏑木清方は、若手のなかでは構図も描き方もしっかりして描写が行き届いた佳作だと、この作品を褒めました。素直に描くこと、衒い(てらい)がないことを価値基準の上位に置いていた清方の、きびしいお眼鏡にかなった作品です。

解説パネルより
鈴木主子《和春》1936年(昭和11年)紙本彩色

■横山大観や今村紫紅の仲間…小杉未醒の《Llama物語》

会いたかった人の作品もありました。小杉未醒(みせい)さん。東京国立博物館(トーハク)に展示されている《東海道五十三次絵巻》を、横山大観さんや下山観山さん、今村紫紅さんといっしょに旅して描いた一人です。同絵巻をnoteする際に、何度も名前を記しましたが、小杉未醒さんの作品って見たことがないなぁと思っていました。最近知ったのですが、その小杉未醒(放庵)さんの作品って、トーハクにはないんですよね。だからこの横山大観さんや今村紫紅さん、下村観山さんの世代が、トーハクに所蔵されるか近美に所蔵されるかの、ちょうど境目の世代だということ。3人の作品は、(たぶん)両館で見られますが、小杉未醒さんは近美にしかない…ということ。

その小杉未醒さんの作品がこちら。ジャジャンッ!

けっこう独特の画風です。

タイトルは《羅摩物語(Story of Ramayana)》。英語タイトルの方がわたしはピンッと来ますが、古代インドの叙事詩「ラーマーヤナ」を画題にしたものです。わたしも「ラーマーヤナ」に詳しいわけではありませんが、この叙事詩については、時々、トーハクの東洋館地下1階で見かけるので、親しみはあります。

解説を頼りに絵解きをすると、叙事詩の主人公・ラーマー王子の妻・シーター妃は、魔王に連れ去られてしまいました。幽閉先で鬱々と過ごしているシーター妃の元に、ラーマー王子の使者として白い猿が現れるんです。そして妃に「まもなく王子が、猿軍団を率いて助けに来ますよ」と告げるんです。

この絵は、その時の様子を描いたもの。妃は片頬に手を添えながら「まぁ! うれしぃ〜!」と驚きつつも喜び、手に持っていた白い花をポロッと落としてしまうんです。

ということで、↓ 白い猿がシーター妃に「もうすぐラーマー王子が妃を助けに来ますよ!」と告げていますね。

妃が落としてしまった白い花は、従者の一人が拾って胸に捧げているようです。

■むっちゃリアルな新感覚の水墨画

《春宵花影図(しゅんしょうかえいず)》

作者は長州の萩の出身の松林桂月さん。生まれは1876年…明治維新から8年が経ったころですね。この頃の萩は、多くの地元出身者が成し遂げた維新に沸き立っていたかもしれません。「とうとう長州が天下を取ったどぉ〜!」と。でも、松林桂月さんのWikipediaを見ると、日本画…南画の師匠についたということも関係するのか、薩長閥のコネを使って成り上がったという雰囲気は見られませんね。そのためか作品が展示されているのも、近美で一番映り込みが激しくて、作品が見づらいケースの中でした(←関係ないと思うけど……あの部屋、どうにかならないものですかね…)。

こんなに写実的な浮世絵を見たことがありません。もちろん近現代の水墨画は、こういうのも珍しくないのでしょうけど、この《春宵花影図(しゅんしょうかえいず)》が描かれた時代はどうだったでしょうか。描かれたのは1939年(昭和14年)のこと。盧溝橋事件が2年前に起こり、日中戦争が始まり、これから太平洋戦争へ拡大していくという時代ですね。そうした時代に、この作品はニューヨーク万博に出品されたそうです。

1963年に美術探求社から出版された、難波専太郎著『松林桂月 增補改訂版』には、その時の様子が次のように記されています。

水墨画は今日桂月をおいて他にやるものがない。「夜桜」や「夜梅」は特に得意の画題であって人の真似の出来ないものがある。水墨画の技法に琳派風の手法を加え、水墨の妙味を発揮したものである。品格・風雅・精神的な表現、それらがどれだけ外人に理解されたかわからないが、大変な好評でアメリカ各新聞雑誌は写真入りで大いに称讃した。非売品として出品したが、日本大使館を通じて、買いたいという外人が三人もあった。其後またボストン大学からも申込まれ、日本大使館からも希望され、どちらにどうと言うのも工合が悪いので、すべてことわって自宅に所蔵されて居る。

難波専太郎 著『松林桂月』,美術探求社,1963. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2499723

なぁんて、ひとしきり松林桂月さんのことを調べていたら……わたし、この方の作品をこれまでトーハクで観ていて、すごく良いなと思ったことを思い出しました! あの作品も、この作品も、松林桂月さんのだったんだ! とびっくり。

あの作品は、こちら《渓山春色》…トーハク蔵
この作品は《山居》……トーハク蔵

この作品の方、《山居》については、メモ程度にnoteした後に、詳細をnoteしようとしていて忘れていました。そして松林桂月さんの名前も記憶から遠のいてしまっていましたが……そうでしたか、近美の《春宵花影図(しゅんしょうかえいず)》と同じ松林桂月さんの作品だったんですねぇ。

《春宵花影図(しゅんしょうかえいず)》

先述した難波専太郎 著『松林桂月』には、88歳の元旦を迎えた松林桂月さんの自邸の様子が次のように描かれています。

国立博物館に「春渓」「長門峡」他に屏風二双と、幽谷先生の物などを寄贈し、国立近代美術館春宵花影」「深林」二点を寄贈した。』と記されています。また、昭和三十八年、松林桂月さんが八十八歳の頃の元旦の自宅の様子が記されているのですが、「奥の大広間には客がつめきっている。恩師幽谷先生の花鳥堅幅が掛けてあり、枝ぶりのい、梅の盆栽が置いてある。

難波専太郎 著『松林桂月』,美術探求社,1963. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2499723

晩年にあっても、師である野口幽谷さんを慕っていたことがうかがえますね。

その隣だったかの、同じく映り込みが半端ない、あまり好ましくない展示ケースに架けてあったのが、川合玉堂さんの《二月月(New Moon)》です。1907年(明治40年)に描かれたもの。

川合玉堂さんは、上述の松林桂月さんと2〜3歳違うくらいの同世代。並んでいる作品の制作年は、川合玉堂さんのが明治末の1907年で、松林桂月さんのが昭和10年代ですからちょこっと離れています。でも、川合玉堂さんのも新感覚の水墨画という感じですね。

個人的には松林桂月さんの《春宵花影図(しゅんしょうかえいず)》ほどのインパクトを感じることはありませんでした。でもこれ、どちらも最悪の展示ケースの中に入っているため、あまりフェアな比較にはならないなぁとも思います。もっと良い環境で鑑賞できたら、川合玉堂さんの作品にも、今回とは異なる印象を受けた可能性は高いです。だって、こちらもすごい作品だとは思いますからね……ただわたしの心には刺さらなかったというだけで。

■今回最大の収穫は、橋口五葉さんを知ったこと

橋口五葉さんは、1881年(明治14年)に薩摩・鹿児島で生まれた、装幀作家または浮世絵研究家としてWikipediaで紹介されています。また「最晩年、新版画作家として新境地を開こうとした矢先に急死した」とあります。

現在、近美に展示されているのは、1920年(大正9年)に描かれた《温泉宿》という作品です。同作を描いた翌年の2月24日に亡くなったそうです……一昨日が命日だったんですね。

「新版画」というのが何なのか分かりませんが…この作品もとても良いものでした。Wikipediaには「アール・ヌーヴォー調の装幀本、「大正の歌麿」と形容された美人画を残している」ともありますが、《温泉宿》を見る限り、そう呼ばれても不思議はないですね。他の作品を見たことはありませんが、今作のように、美人の背景に草花を描き込んだ作品が多かったのかもしれません。今回のは……わたしが知っている草花でいうと、キョウチクトウでしょうか……(間違っている可能性大です)。

浮世絵…版画を見る時には、髪の毛の生え際や草の葉の部分を見ると、なんとなく良さが分かるような気がしています。《温泉宿》について言えば、生え際は、まぁまぁの描写だし、細い葉の描き方も細かいですし、なにより花の部分が精緻に描き込まれています。

それにしても明治大正の日本画の絵師たちが描く日本の女性は、とても美しいですね。女性からすると怒る人もいるかもしれませんが、今も続く日本人の…特に男性が抱いている「美人」の基準は、この頃に成立したものかもしれません(もちろん時代とともに基準は変わっていくでしょうし、個人差も大きいですけどね)。

まぁとにかく橋口五葉さんは、わたしにとっては夏目漱石の『吾輩ハ猫デアル』の装幀などを手掛けた人として記憶の端に残っている方。今回の《温泉宿》の解説パネルを確認したときも「この人って…なんか聞いたことあるなぁ」と。

それで調べてみると、『吾輩ハ猫デアル』などの初版本の装幀を担当していました。しかも! 中村不折さん(挿絵担当)と。下の絵は初版なのか分かりませんが、大倉書店から明治38年に出版された『吾輩ハ猫デアル』の上巻です。

その夏目漱石による序文には、「此書を公けにするに就て中村不折氏は数葉の畫(画=絵)をかいてくた。橋口五葉氏は表紙共他の模様を意匠してくれた。雨君の御蔭に因つて文章以外に一種の趣味を添へ得たるは余の深く徳とする所である。」と記されています。

夏目漱石 著『吾輩ハ猫デアル』上,大倉書店,明治38. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/13046229

夏目漱石さん…けっこう美術にうるさい印象があるのですが、この2人とはうまがあったのかもしれません。また、縁=コネも重要ですね。

Wikipediaによれば、橋口五葉の長兄が、熊本の第五高等学校で夏目漱石の教え子だったそうです。また中村不折さんは、言うまでもなく根岸の住人で夏目漱石の親友・香川照之…じゃなかった…正岡子規の真向かいに住んでいましたから、その縁で知り合いになったのかもしれません(現・書道博物館)。

夏目漱石 著『吾輩ハ猫デアル』上,大倉書店,明治38. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/13046229
中村不折の挿絵

あと、ちょうどこの4月から足利市立美術館で「橋口五葉のデザイン世界」という展覧会が始まるそうです。足利から府中市美術館→碧南市藤井達吉現代美術館→久留米市美術館へと巡回するそうなので、見てみたいですけれど……出不精のわたしは、府中までは行かないかなぁ……。

展覧会名:「橋口五葉のデザイン世界」
会場・会期(予定)
足利市立美術館 2025年4月5日(土)~5月18日(日)
府中市美術館 5月25日(日)~7月13日(日)
碧南市藤井達吉現代美術館  7月23日(水)~8月31日(日)
久留米市美術館 9月13日(土)~10月26日(日)
監修:岩切信一郎

左:化粧の女(千葉市美術館)
右:髪梳ける女(千葉市美術館)
黄薔薇
『吾輩ハ猫デアル』上・中・下編(夏目漱石著)
橋口五葉による夏目漱石著作の装幀
橋口五葉による泉鏡花著作の装幀
『銀鈴集』(泉鏡花著)の橋口五葉による装幀

とまぁ話が脱線してしまいましたが、近美の展示に戻りたいと思います。

■桜舞う近美の展示室

近美で最も贅沢な空間と言ってもいいんじゃないでしょうか……何階か忘れましたが、西側に位置する広いスペースで、いつも日本画の屏風絵など、大きな作品が5〜6点、並んでいる部屋です。今回もまた贅沢な、春の雰囲気が満載のラインナップになっていました。

まずは近美で3月13日から始まる『美術館の春まつり 2025』のチラシの全面にプリントされている川合玉堂さんの《行く春》。重要文化財に指定されているので、以前開催された同館の『重要文化財のすべて』的な名前の特別展で見たはずなのですが、今回は春が間近の時期に見たからなのか、とても爽やかな気持ちになりました。

川合玉堂《行く春》1916年 重要文化財(展示期間:2月11日~4月13日)

左右一双の屏風絵なのですが、展示室の導線の通りに近づいていくと、多くの人が右隻の右側から眺めることになると思います。右隻の右側には、どこかの渓谷を流れる川の下流が描かれていて、二艘の屋形船が川上に向かっているようです(もしくは下流に下っているのかも…)。画面にはちらほらと桜の花びらが舞っていますが、右隻の右側から左へと歩みを進めると、舞う花びらが濃くなっていき、左隻にまで進むと「あぁ…この桜の木の花びらが散っているのか」と思い当たります。

もうなんだか、春のあの独特の柔らかくて平和な空気感や香りが画面いっぱいから伝わってきます。川合玉堂さんって、なんだか知らないけれどすごい人…っていうイメージしかなかったのですが、この屏風を目の前にして、はじめて「いいね」と思いました。こりゃあ人気があるのも、この作品が重文に指定されるのも納得です。

川合玉堂《行く春》1916年 重要文化財(展示期間:2月11日~4月13日)
川合玉堂《行く春》1916年 重要文化財(展示期間:2月11日~4月13日)

さらに展示ケースのギリギリにまで顔を近づけて桜を見ると、「これって、どこからか拾い集めた桜の花びらをペタペタと貼り付けたんじゃないか」ってくらいにリアルに一枚一枚の花びらが描かれています。なんですかこの立体感は…というか立体“感”ではなくて、半ば立体なんですよ。

一昨年(2022年)に、サントリー美術館で開催された「京都・智積院の名宝」の時に見た、長谷川等伯の息子の長谷川久蔵さんの襖絵のような立体の桜でしたね。いやぁ…単にゴッホみたいに盛り盛りに絵の具を盛って書いたのではなくて、「あぁ〜桜の花の美しさをもっともっと絵で再現したいよぉ〜」って、絵師や画家が苦悩して描いた結果が、この絵の具を盛り盛りにして描く描法だった…みたいな感じがして、感銘を受けてしまいました。

↓ サントリー美術館で開催された「京都・智積院の名宝」をレポートした記事ですが、あの素晴らしい長谷川久藏さんの桜の絵の細部をWeb記事に載せるのは禁止だったので、全体写真しか載せていません。

わたしもその川合玉堂さんの苦悩を写真に取り込みたくて、スマートフォンのシャッターを切ったのですが、うまく行きませんでした…(この日は愛機のOLYMPUS PENが不調で、使えなかったのが惜しまれます)。

川合玉堂《行く春》1916年 重要文化財(展示期間:2月11日~4月13日)

この展示室の見どころは、まだまだありました。下は菊池芳文さんが1914年に描いた《小雨ふる吉野》です。

菊池芳文《小雨ふる吉野》1914年(展示期間:2月11日~4月13日)

近美の解説は本当に素晴らしい内容のものが多いなと思うのですが、こちらの解説も、作品を見てから読むと理解が深まり、また改めて作品を見るとジワッときます。

解説は「桜の名所である吉野の、およそ100年前の光景です。」の一文から始まります。そして「遠くの桜が雲とまぎれる光景は、古歌に詠まれた『み吉野の吉野の山の桜花白雲とのみ見えまがひつつ』の世界そのものです。」と。

この絵の本歌が、「後撰集」にある、誰が詠んだかわからない(よみ人しらず)歌なのだということが分かります。

みよしのの 吉野の山の 桜花 しら雲とのみ 見えまがひつつ

(吉野の山の桜の花は、まるで白い雲と見まちがえるほどに咲いているよ)

こちらの絵も、涙が出てきそうなほどきれいです。この桜の美しさはなんなの? って、思ってみたら、解説にその秘密の一端が記されていました。

タイトルには“小雨”とありますが、かなりの雨が満開の桜を濡らしています。(中略)たとえば花びら。下辺に胡粉(白い絵具)の溜まりができるように描いているので、まるで花びら一枚一枚が雨の滴をのせているかのようです。

解説より

そうして花びらを近づいてよく見ると、解説のとおり(川合玉堂さんの作品と同じように)本物の花びらが貼り付けてあるんじゃないかって思うほどに美しいです。細部にまでこだわっているから、その細部が視認できないほど離れて見たときにも、リアルな桜の山が感じられるんでしょうね。もし菊池芳文さんが見た吉野の情景を、カメラマンが撮ったとしても、ここまで美しく表現できないんじゃないかと思います。写真を撮るのではなく、絵を描く意義を感じますね。

とにかく素晴らしい! ということで、その吉野の桜の対面に、存在感たっぷりに展示されているのが、船田玉樹さんという方が、戦前の1938年に描いた《花の夕》です。

船田玉樹《花の夕》1938年(展示期間:2月11日~4月13日)

これは枝垂れ桜でしょうか…梅や桃でしょうか…。タイトルが「花の夕」で、英字タイトルも「Flower(Image of Evening)」としかないので、なんの花なのかはわたしには分かりませんでした。でもなんとなく桜の花として鑑賞しました。

船田玉樹《花の夕》1938年(展示期間:2月11日~4月13日)

こういう描き方もアリだなぁと感じます。パンフレットやチラシで見る印象とは大違いです。

解説にも、そのあたりのことが書き込まれていて…要約するのが難しいのですが、ぼたぼたと絵の具を垂らして偶然性を大切にするアクション・ペインティングの手法で描かれたと思われる人もいるかもしれませんけど…「でも違います」とはっきりと記しています。

「実物を見ると、花のひとつひとつに筆でかたちをとった跡がはっきりと残っている」と指摘し、「マゼンダ(ピンク)色にも濃いや淡いがあることが分かる」とし、アクション・ペインティングではないのですが、ちゃんと一枚一枚を作者が描き込んだものですよとしています。

船田玉樹《花の夕》1938年(展示期間:2月11日~4月13日)

作品に近づいていってみると、たしかに船田玉樹さんが、枝も花びらも描き込んでいっていることが分かります。

そうして細かく描かれた木の幹まで見ていくと、木肌がやっぱり桜のように思えますね。わたしは長野で見たことのある…品種までは分かりませんが…花びらが八重になっている桜の木のように思えました。

ということで、まだまだまだまだ良い作品が展示されていたのですが、今回のnoteは以上にしたいと思います。また気が向いたら、今回近美で展示されていたほかの絵もnoteしていきたいと思いますが…そういう気分になるかどうか……。まぁでも近美のMoMAT展(収蔵品展)は、いつ行っても素晴らしい作品が多く展示されています。なんでトーハクと比べて、来館者が劇的に少ないのかよく分かりませんが…まぁゆっくりと見られるのは良いことだし、別に増えてほしいとも思いませんが(笑)

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かわかわ
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