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禍話リライト:怪談手帖:彭侯(ほうこう)

みなさん、子どもの時におふくろの味、親父の味、おばあちゃんの味、おじいちゃんの味ってあったと思うんです。いわゆる思い出の味ですね。
それを大人になって再現してみよう!と思ったけど再現できないこともありますよね。
それはひょっとしたら砂糖を入れすぎたとか単純なことかもしれないし、子どもの時だから美味しく感じていた何かがあるのかもしれない。
でも、そうでなかったとしたら?

Aさんの母方の実家の裏には小さな山があった。
先祖代々の所有であったが山林としての価値は低く、もうずっと放置されているような状態だったという。しかしながら母方のお爺さんは例外であって、定年で職を辞した後、Aさんが小学校へ上がったあたりから頻繁に裏山に入っていた。

お爺さんは「この山にも良い木がある。それを見繕うのだ」と言っていたが誰も真面目に取り合ってはいなかった。
「まぁ、爺さんはずっと郵便局員で山仕事なんてしたことなかったですからね。何で急にそんなこと言い出したのかも分からなくて…」

実際、何度、山に入っても成果らしい成果は見られなかった。
「老後の道楽なら土でもいじればいいものを…」
「山師の真似事ではどうしようもない」
そんな風に口さがないことを言う親族もいた。

それでも孫であるAさんはお爺さんにべったりだった。
「いやぁ、別に俺が特別、爺さんっ子だったって訳じゃないんですよ。なんて言うかな、もっと直接的と言うか打算的と言うか…要は食い気です、食い気」

当時の彼がそうまで懐いていた理由、
それは山から帰ったお爺さんが作る独特の味噌漬けだった。

「シワシワのひだみたいな黒っぽい茶色で見た目は全然美味しそうじゃないんですよ。でも、すごい癖になる味で」
いわくコリコリブキブキとした独特の歯ごたえをしており、少し生臭く舌が痺れるほど塩辛い。しかし、強烈な塩辛さの奥に強い旨味があって、やけに後を引くのだと。
「こう、ほんの端っこを齧り取ってから白いおむすびを頬張ると一欠でいくらでも食えるんですよ。
あと熱い番茶でもあったら最高っていう…。爺さんは地酒のアテにしてたなぁ…」

そんな味噌漬けをお爺さんは裏山の奇妙なものから作っていたのだという。

「小さいと言っても、それなりに奥行はある山なんですが中程に古い木の集まったエリアがあるんですね。何度もついて行ったことがあって、今でも鮮明に覚えていますよ」

道とも言えぬ山道の上、野良着姿のお爺さんの背を一生懸命に追っていく脳裏に焼き付いた光景。
お爺さんは何度か立ち止まってブツブツ言いながら立ち並ぶ老木のうち一本に目星をつけて近づいていく。すると木の根元あたりに黒い影があるのに気づくのだと言う。木の影から半分ほど覗いたそれは横を向いて座る犬のような輪郭をしている。
ただ頭や手足などの区別は曖昧で黒い色…正確には黒っぽい茶褐色をした瘡蓋だらけの塊のようである。お爺さんは道具袋からハサミを取り出すとそれに手を伸ばしてジャグジャグと大雑把にいくらかを切り取る。そうして手を合わせて何かしらの言葉を呟いてから、やけに大儀そうに戻って来る。

「まぁ、要は木に生えるキノコだと思うんですよね。形からするとキクラゲみたいな。まぁ、それの味噌漬けって言う。…でも変だったのは爺さんが歩いていくまで、どんなに木に目を凝らしても見つけれないんですよね。結構、後になってキノコ狩りが趣味って奴に色々、聞いたりもしたんですけど季節とか地域とか色とか生え方とか、色々考えて貰ったんですけどね、ぴったりこれだっていうキノコが無くって…」

子供心にも引っかかるところがあったようでお爺さんに色々と尋ねたりもしたらしい。
「ただ、爺さんの答えもズレてて。自分は木と話せるんだって言うんですよ。少し前に気づいたとかって」
山によく入るようになったのもそのせいであり、良い木と駄目な木が見分けられるから、ずっと木と交渉してるのだ漬物作りはそのついでだ、と。
お爺さん、孫にだけは色々とそういう話をしてくれた。
「ま、子供が分かるようにそういう言い回しをしたってだけかも知れませんけどね」

Aさん自身もあの癖になる味噌漬けが食べられればいいと思っていたので、それ以上あまり問題にはしなかった。
「どのくらい続いたかなぁ…半年ぐらいだったような気もするし…二、三年ぐらいだった気もするし…。そこ、なんか曖昧なんですよね」

お爺さんは木の剪定に行くと言って山に入った日に倒れた木に押し潰されて亡くなった。
発見したのはAさんと友達だった。
例の木の影にある塊を自分以外にも見せてやりたくて遊びに来た友達を伴って後を追ったのだ。
「…爺さんの両足が…横倒しになった木の下から斜めに突き出してて…」
最初それを目にしたAさんは実感が湧かずに、ただポカンとしていた。慌てて木の向こうに回った友達があぁ!と甲高い声で叫ぶのをどこか他人事のようにぼんやりと聞きながら、ゆっくり顔を上げると、視界にある樹木の影すべてにあの横を向いた犬のような黒い塊がザザザザザザッと、ほんの数秒の間に早回しの映像のごとく蔓延っていた。

山全体が病気になっていくみたいだった、とAさんはそれを表現した。コピーペーストしたように全く同じ無数の黒い輪郭が視界を埋めている。

「その時に思ったんですよね。そういえば、いつ見てもどこから見ても全部同じ形に見えるのって変だよなーって」

パニックになった友達が彼の手を引っ張っていたがAさんは恐怖や困惑、悲しみなどよりもある強い感覚に飲まれていた。

食欲。

「あれだけあったら、どれだけいっぱい味噌漬けが食えるんだろうって。薄情でしょう?作ってくれた爺さん、すぐそこでぺしゃんこになってるのにねぇ」

お爺さんの葬儀があった後、裏山は立ち入り禁止になった。Aさんは見たままのことを伝えたが家族にはひたすら困惑された。皆を伴って現場に戻った時には山を埋めていたあの黒いものは影も形も無くなっていたからだ。

居合わせた友達とは絶交した。
あの時、見たものをAさんが「犬みたいな」と言ったら彼からは「いや、あれは全部、木から覗いている人だったろ!」と言われ、激しい口論になったのだ。

Aさんはその後、一人でこっそり山に入ろうとして見つかっては厄落としと称した色んなことに連れ回されるというのを繰り返した。
そのせいでとうとう母の実家自体に行くのを禁止されてしまったという。

以来、数十年赴いていない。

「それでもなんでか、あの黒いものの形だけは本当、さっき見たばっかりみたいに、ずーっと鮮明に頭に残ってるんですよ。こうして目を瞑ってもね、くっきり輪郭が浮かぶし。何なら今、あんたが持ってるその紙に書いてみましょうか」

不意の申し出に僕は戸惑いつつも「お願いします」と言おうとして何故か自分でも分からないまま「いえ、大丈夫です」と答えてしまった。
「そういうと思いました。それで正解ですよ多分」

Aさんは深く頷きながら「何でか、あれについて書いた絵とか字とかは、すぐに潰れちゃうんですよね」と言った。

「何か見てて気持ち悪くなるようなね、痒くなるみたいな…何ていうのかな…病気の腫瘍みたいになっちゃうんですよ」
お爺さんの日記もあったのだが山に入り始めたあたりの記述だけ文字がグジュクジュと潰れてしまい、何年かしたら判別も出来なくなってしまった。
見る人はそれらをみな気味悪がったが彼自身はその潰れた跡に何故か強く気持ちが惹きつけられた。

「いや、今でもあの味噌漬け無性に食いたくなることがあるんですけど…その感覚が…潰れた文字を見た時と全く同じで…。これって絶対、あの山には近づかないほうがいいってことなんでしょうねぇ…」

彭侯とは中国から日本へ伝わった古い木の精霊、木霊の親戚とされるものの名称である。
中国に伝わる話では樹齢千年のクスノキを切ったところ、流血とともに倒れた木から人の顔をした犬のようなものが出てきた。それを煮て食うと犬のような味がした、とある。

中国の伝承にしばしば見られる食べられる怪物、精霊の一つではあるが本邦では妖怪のカテゴリに組み込まれゲゲゲの鬼太郎にも独自の解釈で出演するなどして知名度を得ている。今回の話については様々な属性から、その名前を仮につけたものである。


…いかがでしたか?あなたが食べていた思い出の味も得体のしれないものかもしれませんね。

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こちらはツイキャスで放送されている「禍話」で語られた怪談を元に文章化しました。

出典 禍話フロムビヨンド 第15夜 余寒スペシャル(2024/10/19) 22:05あたり〜

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