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中国最古の詩「詩経」を読んで
子供のころ、よく、
草採りをさせられた。
草はすぐ生えるし、
嫌になるくらい、
たくさん生えている。
それを根っこから引っこ抜く。
結構な重労働。
黙々と作業する中で、
このカゴがいっぱいになったら、
僕の好きなあの子を
デートに誘う事が出来るなどの
願をかけて、
草を採る。
このようなことは、だれしも、
覚えがあるのではないか。
仕事や、勉強や、何かしらの
作業を行う時に、
辛さを乗り越えるための、
”おまじない”として。
期限までに、これが終わったら、
これがいっぱいになったら、
なになにが叶う、
というような願。
これは、昔からあったことらしい。
*
中国最古の詩に「詩経」というものがある。
紀元前九世紀ごろに集められたもの。
今から約3000年前、
孔子の編集といわれている。
殷の世から春秋時代までの詩311編を
収めている。
以下は、白川静「詩経」からの抜粋である。
原始の歌謡は、本来呪歌であった。
歌謡は神にはたらきかけ、神に祈ることばに
起源している。
そのころ、人びとはなお自由に神と交通
することができた。そして神との間を
媒介するものとして、ことばのもつ呪能が
信じられていたのである。
(略)
旅の無事を祈って、野草を摘み、草を結ぶ
などの行為が、そのまま予祝の意味を
もつとされた。
(予祝:神にことの成就を祈る)
(略)
神霊はあらゆるところに遍在しており、
その姿もさまざまであった。
『草木すら言問ふ』というとき、
草木にもまた神が宿ると信じられていた
のである。大きな樹は特に神聖な樹であった。
(略)
草摘みは会うための予祝であり、また遠く
にある思う人への魂振りとしての行為でも
あった。
(魂振り:魂に活力を与え再生される呪術。
みたまふり)
中国の古代歌謡 P30,31,P46
以下に「詩経」から、
草摘みに関する詩を2つ載せる。
周南『巻耳』
はこべを摘みに摘むが、
容易に籠にみつるまでにならない。
ようやく摘み終えた籠を、
思いを込めてその果てを征人が
遠く旅をつづけているであろう
大道のほとりにおく。
※征人:遠く防人にゆく夫のこと
大道:都から東方の諸国を結ぶ東西の大幹線路
中国の古代歌謡 P43
小雅『采緑』
朝早くから朝食までに緑を摘むが、
手のひら一杯にならない。
願い破れ、髪はうるおいを失い、
乱れてしまった。
かえってすぐに洗い清めよう。
朝早くから朝食までに藍を摘むが、
ひざかけ一杯にならない。
五日のうちにこれだけと誓いをたてたが、
六日になってもまだ成就しない。
中国の古代歌謡 P43
*
3000年前の人も、今も、
人が人を思う気持ちには、
変わりがない。
人を思い、自分の思いを、
想い人に重ねる。
太古、言葉は、装置であった。
祈りをささげるための言葉は、
交信の手段だった。
太古、人は、神と交信をして、
神に支配されていた。
人は祈りをささげ、
神に要求した。
人は、族と呼ばれる、
小さな社会で生活し、
人との交流も、
神の許しを必要とした。
全ては神の支配の中で人が存在し、
人に自由はなかった。
なぜなら、人は気まぐれな神に
命を握られていたから。
神とは、大地、空、森、水、動物、緑。
人は、神から与えられ、
生かされていた。
それは、ほかの動物たちと、
なんら変わらない。
人と動物たちは同じように
神を恐れ、
神に仕えていた。
神にささげる言葉は、
日常の言葉とは異なり、
より洗練されたものになり、
磨かれて、詩となった。
こうして、詩は生まれた。
時が過ぎ、人は神からの自立を
模索しはじめる。
国を造り、人が人を支配する
社会に進歩する。
人は、神から少しだけ、
解放されて、少しの自由を得る。
人が人を想う気持ちを歌う。
人の悲しい気持ちを歌う。
歌はあふれて、詩があふれる。
3000年の太古から、
人を想う詩が作られ、今に伝わる。
そのころの人を想う気持ちは、
今の僕たちと何も変わらない。
言葉に想いをのせて、詩を歌う。
その想いは、エネルギーとなり、
その想いと同じ、
エネルギーを引き寄せる。
祈りは、想いのエネルギー。
歌は、たくさんの想いを
集合したエネルギー。
詩は、時間を超越し
想いが蓄積されたエネルギー。
言葉は、想いを、
招く。