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m_miyamoto_529
エッセイ なんとなく、けだるい日
けだるい。
理由もなく、なんとなく、
けだるさを感じる。
けだるさを振り払おうと、音楽を聴く。
だけど、うるさく感じる音ばかり。
けだるさは抜けない。
詩を読んだり、買いためていた
小説を読んだり。
でも少し読むと、
放り投げてしまいたくなる。
何を見ても、心に沁みない。
これじゃない、これじゃない、
の繰り返し。
何を求めているのか、
自分でもわからない。
自分が書いた詩を読み、手直しして、
読み直し、手直しして、を繰り返す。
時間をかけて手直ししたのに、
余計悪くなる。
直しているうちに、収拾がつかなくなり、
元に戻すこともできず、捨ててしまう。
この繰り返し。
*
noteに投稿を始めたときは、誰かが
読んでくれると想うとそれだけで、
嬉しかった。
投稿をはじめて。
「スキ」がもらえて。嬉しくて。
また、投稿をして。
「スキ」がもらえなくて。
がっかりして。
また、投稿して。
気が付くと、
誰かに「スキ」をしてもらうことが
目的になってしまっている自分がいた。
他の人は「スキ」が何十個ある。
僕は「スキ」が1個しかない。
この違いはなんだろうなどと、考える。
考えはじめると、嫌になる。
けだるい日の午後、
なぜ、こんなことになったのかと思い返す。
けだるさは、
僕が道から逸れてしまったことを
僕に教えてくれる、アラームだ。
初心を忘れない。
楽しむ。
そして、続ける。
僕はある言葉を思い出した。
『初心者の心には多くの可能性があります。
しかし専門家といわれる人の心には、それは
ほとんどありません。
いろいろなことを分け隔てすると、あなたは
自分で自分の限界をつくってしまいます。
なにかを求めることが強すぎたり、また、欲
が強すぎたりすると、心は豊かで、満ち足り
た状態ではなくなっていきます。
<中略>
初心者の心、「初心」には、「私はなにかを
得た」というような思考がありません。どの
ような自己中心の思考も、無限に広い心の中
に限界をつくります。なにかを達成したい、
とか、達成した、というような心がないとき
、つまり、自分中心の思考がないとき、
私たちは、本当の初心者なのです。
このとき、私たちはなにかを学ぶことができ
ます。
初心者の心は、すべてを受け入れる慈悲の心
でもあります。私たちの心が慈悲に満ちてい
るとき、それは無限なものになっています。
』
鈴木俊隆「禅マインド、ビギナーズマインド」
p24出所
楽しむために、何でもいいから、
書いてみよう。
初心者の心で。