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エッセイ 癒えない渇き

僕は宇多田ヒカルの歌の中でも、
「真夏の通り雨」を度々、
聴きたくなる。

真夏の歌だけど、季節に関係なく、
聴きたくなる。

宇多田ヒカルが亡くなった母を意識して、
書かれた歌らしい。

歌の背景を知り、聴いていると、
いろいろと思う。そして考える。


僕も、父の死に立ち会った。

母から連絡があり、仕事を切り上げ、
車で3時間くらいの実家近くの
病院に駆け付けたときには、
父は、もう、意識がなかった。

医者からは、父は聞くことも、話すことも
できない状態と、説明を受けた。

ときどき、血を口から吐きながら、
ビクビクと全身を痙攣させる父を見つめ、
僕はなにもすることができない。

家族が見守る中、定期的に繰り返す痙攣は、
とても苦しそうで、見ていられない。

家族で相談して、
徹夜の付き添いは僕となった。
僕が付き添いしたいといったからだ。

夜中、やはり定期的に痙攣が繰り返され、
そのたびに、背中をさすってあげる。
それしかできない。

痙攣して苦しそうな父に、
死が近づいていることを感じた僕。

これまで何もしてあげられなかった。
親不孝な自分を謝りたくて、
「今まで、ごめん。」
と謝ったとき、
父は僕に首を振っていた。

「謝らなくていい」というように。
僕は驚いた。

痙攣の間隔が長くなり、
少し安心して、横になっていると、
僕は寝てしまったらしく、
看護師に起こされたときには、
父は、虫の息だった。

看護師から家族を呼ぶように言われ、
朝の4時に電話をかける。

家族が駆けつけてきたときには、
まだ脈はあったけれど、
もう、皆が覚悟を決めていた。
不思議に涙はでなかった。

亡くなって8年経つけれど、
あの夜のことは、忘れられないし、
誰にも言えない。

僕は、思い返す。

父は聞こえないし、
話していることも分からない状態だと
思っていたのに、分かっていた。

父の傍で、医者にどのくらいもつのかを
確認していた内容も聞こえていた。

自分がもう死ぬことが分かっていた。

誰にもその不安を言えず、
苦しいばかりで、
寂しいばかりで、
周りにたくさん人がいても、
誰も自分をわかってもらえなくて、
ひとりで死んでいくしかない。

その辛さは、どれほどのものだったか。

僕は後悔する。

なぜ、もっと気づかう事が、
出来なかったのか。
なぜ、付き添いしたのに、寝てしまったのか。
なぜ、起きて、横にいて、
あげられなかったのか。

何度も何度も、後悔する。

痙攣して、苦しそうな父が、
脳裏から離れない。

"ずっと止まない雨に
ずっと癒えない渇き"
 *宇多田ヒカル 真夏の通り雨

僕は、「真夏の通り雨」を聞きながら、
癒えない渇きを、感じる。

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