風雨は時の余り

雨の日には、出会った言葉たちをメモした
手帳(今はスマホです)を読み返して
みるのもいい。

そして、その時に何を感じてこの言葉を
メモしたのかは、思い出せなくても、
新たに感じるものがあれば、なおいい。

その一つの紹介です。

「四種類の馬の話」
ある経典(*)に、四種類の馬の話が
あります。
四種とは、卓越した馬、優秀な馬、
普通の馬、そして劣った馬です。
卓越した馬は、
鞭の音が聞こえる前に、騎手の意志に
したがって、
早足や並足、あるいは左右に走ります。
優秀な馬は、
鞭がちょうど皮膚に届くか届かないうちに、
卓越した馬と同じように走ります。
普通の馬は、
身体に鞭の痛みが感じたときに走ります。
劣った馬は、
痛みが骨の髄まで達したときに走ります。
劣った馬が走ることを学ぶのに、
どんなに大変かわかるでしょう。
この話しを聞くと、
誰もが卓越した馬になりたいと思います。
卓越した馬になることはできなくても、
せめて優秀な馬になりたい、と思います。
これがこの話しの通常の理解です。
<略>
ブッタの慈悲を考えてみれば、
ブッタがこの四種の馬に対してどう感じて
いたかは、すぐにわかるでしょう。
ブッタは、卓越した馬よりも、最悪の馬に
対して、より慈悲を感じたはずです。
<略>
自分が不完全であるからこそ、
道を求める心のしっかりとした基礎が
できるのです。
<略>
ときに最高の馬は最悪の馬かもしれないし、
最悪の馬は最高の馬になりえると考える
のです。
*雑阿含経典、第三十三巻

鈴木俊隆「禅マインド・ビギナーズマインド」p.52より抜粋

僕はこの本を何回も読み返しました。
この本しか読んでいない時期がありました。

本はボロボロになり、ページは抜け落ち、
テープで貼り付けても
そのテープが破れるくらいに読みました。

藁にもすがる思いで。

著者:鈴木俊隆(すずき・しゅんりゅう)
1904年生まれ、1971年逝去。
神奈川県平塚市の曹洞宗松岩寺に生まれる。12歳で静岡県周智郡森町の蔵雲院の玉潤祖温老子に弟子入り、駒沢大学在学中に蔵雲院住職、1936年に静岡県焼津市の林叟院の住職となる。1959年渡米し、サンフランシスコ桑港寺住職となる。<略>
渡米12年の間にアメリカにおける禅の基礎を築いた。欧米では20世紀を代表する精神的指導者の一人とされる。

鈴木俊隆「禅マインド・ビギナーズマインド」著者より

この本を本屋で手に取ったのは、単なる気まぐれだった。
すこし禅に興味があったのかもしれない。

パラパラと、ページをめくり、「あとがき」を読んでいると、
次の文章に目がとまった。

桑港寺の法話のとき、女性がとり乱して、
ロサンゼルスの禅の師が、自分の弟子入りを拒絶した、
といいました。鈴木老子は、もう一度戻れば、
彼は受け入れるだろうといいました。
「ああ、あなたも拒絶される」と女性は
泣きながらいいました。
「いや」と老師は、本当の同情をこめていいました。
両腕を広げ、袈裟の長いすそが両側に広がりました。
一歩、女性のほうへ進んでいいました。
「私は、誰も拒絶したことはない」

鈴木俊隆「禅マインド・ビギナーズマインド」p230

僕はこれを読んで、泣いていた。
本屋で泣いていた。

そして今も。

ボロボロになった本は、
今でも大切に本棚にしまってある。


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