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エッセイ 表現する人

表現する人は、何のために表現するのだろうか。

自分を、
自分の中にある何かを、

表現したい、
形にしたい、
この世界に表したい、

という強烈な欲求からだろう。

表現するために、
絵や彫刻や様々な表現手段で、
自分を表わす。

その絵が、世間に認められなくても、
描き続ける。作り続ける。

たとえ作風を変えたとしても、
それは認められたいためではなく、
それまでの表現方法では
満足できないからだ。

主体は自分の側にあり、
作品の出来、不出来を決めるのは、
本人だ。

もちろん、認められたい欲求はある。

その狭間で葛藤する。

でも妥協はしない。

自分の内側から、突き上げてくる、

この感動を、
この閃きを、
この想いを、
表現したい、
形にしたい、

という切なる欲求が
彼らの行動原理なのだから。

答えが先にあり、表現手段を選び、
表現する。

1つ何かを表現すれば、

興味は次の作品へと移る。

その作品は、時代を超えて愛される。

天才たちを突き動かしてきた
悲しいまでの衝動は、

僕たちを突き動かしている
衝動でもある。

でも天才といわれる人たちは、
妥協しない。

自分を信じ続ける。

決して折れない。

こんな厳しい世界に身を置くことは、
僕には到底出来ないけれど、
見習いたい。

僕の大好きなショートショートの天才、
星新一は作品づくりをエッセイで
次のように書いている。

「締め切りが迫ると、一つの発想を得るためだけに、八時間ほど書斎に閉じこもる。無から有をうみだすインスピレーションなど、そうつごうよく簡単にわいてくるわけがない。メモの山をひっかきまわし、腕組みをして歩き回り、溜息をつき、無為に過ぎゆく時間を気にし、コーヒーを飲み、自己の才能がつきたらしいと絶望し、目薬をさし、セッケンで手を洗い、またメモを読みかえす。けっして気力をゆるめてはならない。この峠を越せば、あとはそれほどでもない。ストーリーにまとめて下書きする。これで一段落。次の日にそれを清書し完成となる。清書の際には、もたついた部分を改め、文章をできるだけ平易になおし、前夜の苦渋を消し去るのである。あいだに一日か二日おけば、なお理想的である」

星新一『私の小説作法』から

これを読んでしまうと、大変すぎて、
書けると思えないけど、

頑張りすぎず、欲を出さず、
自分に出来ることを続ける。

こんな風に作品を書きたい。

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