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エッセイ 粟立つ

あわ立つ。

髪の毛がさかだち、
全身の毛穴が開き、
感情の回路が開き、
涙腺が開く。

日常の会話、
映画の中のセリフ、
記憶の中のワンシーン。

突然、僕の琴線きんせんにふれる。
そして、あわ立つ。

感動より先に、あわ立つ。
感動はあとから、ゆっくり、やってくる。

あわ立つと、全身がしびれるようになり、
一瞬、恍惚状態となる。

辞書で調べると、あわ立つとは、

寒さや恐ろしさのために、体の毛穴がふくれて、
皮膚に粟粒ができたようになる。鳥肌になる。

広辞苑

とある。

確かに僕も、恐怖で髪が逆立ち、
あわ立つという経験もある。
でもこんな経験は少ないのではないか。

僕の中では、
感動を先触れするときに
あわ立つような気がする。

それは、僕への知らせ。
僕にとって、喜ばしいものを知らせてくれる予告。

例えば、本屋で本棚を見て回っているときに、
ふと手にした本で、
なぜか突然、あわ立つことがある。

例えば、映画のタイトルをながめていた時に、
なぜか突然、あわ立つことがある。

ぞっと、するのではない。

髪の毛の毛穴が開く感覚がして、
ぞわぞわと頭のてっぺんから、身体に軽い電気が走り、
それを読めと、それを観ろと、それをやれと、
なんとなくいわれている。そんな気がする。

気が進まない、足が向かない、手がでない、
そんなときは、その通りにする。

考えるではなく、感じる。

孔子はこう言われた。

わたしは十五歳で学問に志し、
三十になって独立した立場を持ち、
四十になってあれこれと迷わず、
五十になって天命をわきまえ、
六十になって人のことばがすなおに聞かれ、
七十になると思うままにふるまって
それで道をはずれないようになった。

岩波文庫「論語」金谷 治訳注
 巻第一 為政第二 四 出典

天命とは、天のさだめごと。
人間の力を超えた運命としての意味をいう。

孔子の言葉の意味はわからないけど、
わからなくても、感じることが大切なのだ。

僕の行きたくないと感じることを、
僕が行かないといわなくても、
僕は行かなくてもよくなってゆく。

そして、感じることに従えれば、
道をはずれないのだと思う。

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