エッセイ 父の古い財布
少し前のこと。
実家から電話があった。
古くなった実家をリフォームするという。
家にある古いモノは捨てるから、
必要なものがないか、確認の電話だった。
僕は実家を出て長いから、
特に必要なものはないといい、
電話を切ったけれど、
ふと、父の古い財布が気になった。
あの財布にあった新聞の切り抜きは、
まだあるだろうか。
*
僕がまだ小学生のころ、
あるテレビアニメが流行っていた。
再放送を繰り返すうちに
人気が出てきたという類。
あまりの人気に劇場版が制作され
封切りされることになった。
夏だったと思う。
僕はその映画が見たくて、でも、
僕の街には映画館がなかったから、
嫌がる父にねだり、電車に乗って
映画館のある街まで観に行った。
父と、どんな会話をしたかは
覚えていないけれど、
確か帰りに映画のパンフレットを
買ってもらった気がする。
*
それから、何回かの夏が過ぎ
僕は大人になっていた。
元々寡黙な父とは疎遠となり、
僕が仕事の関係で実家から
引っ越してからは、
会うこともなくなった。
年に一度、
正月だけは実家に帰ったけれど
父とは、ろくに話もしなかった。
話す機会はいくらでもあると
思っていた。
*
そんな父も亡くなった。
もう、大分前のことになる。
けれど、つい、
昨日の事のようにも思える。
お葬式の後、
遺品の整理をしているときに、
父の見覚えのある財布が出てきた。
中を見ると、
きれいな一万円札が一枚と、
きれいに切り取られた新聞の
切り抜きがある。
大事そうに畳まれた
切り抜きをひらいてみると、
あのとき一緒に観に行った
映画の広告の切り抜きだった。
思えば、あれが一緒に映画を
観に行った最後だったかも
しれない。
父は映画好きだったから、
もう一度、僕と一緒に映画を
観に行きたかったのだろうか。
今となってはわからない。
でも、ささやかな
そんな望みも僕に言い出せず、
一緒に観に行った思い出を
大事に財布にしまっていたと思うと、
新聞の切り抜きを捨てる気になれず、
一万円札と一緒に財布に戻して、
母に手渡した。
話す機会はいくらでもあると
思っていたけれど、
その機会はないままだった。
*
お盆が近くなったせいか、
ふと、
父の古い財布のことを
思い出した。
あの新聞の切り抜きは、
棄てられてしまったことだろう。