エッセイ 父の古い財布

少し前のこと。

実家から電話があった。
古くなった実家をリフォームするという。

家にある古いモノは捨てるから、
必要なものがないか、確認の電話だった。

僕は実家を出て長いから、
特に必要なものはないといい、
電話を切ったけれど、

ふと、父の古い財布が気になった。

あの財布にあった新聞の切り抜きは、
まだあるだろうか。

僕がまだ小学生のころ、
あるテレビアニメが流行っていた。

再放送を繰り返すうちに
人気が出てきたというたぐい

あまりの人気に劇場版が制作され
封切りされることになった。
夏だったと思う。

僕はその映画が見たくて、でも、
僕の街には映画館がなかったから、
嫌がる父にねだり、電車に乗って
映画館のある街まで観に行った。

父と、どんな会話をしたかは
覚えていないけれど、
確か帰りに映画のパンフレットを
買ってもらった気がする。

それから、何回かの夏が過ぎ
僕は大人になっていた。

元々寡黙な父とは疎遠となり、
僕が仕事の関係で実家から
引っ越してからは、
会うこともなくなった。

年に一度、
正月だけは実家に帰ったけれど
父とは、ろくに話もしなかった。

話す機会はいくらでもあると
思っていた。

そんな父も亡くなった。
もう、大分前のことになる。

けれど、つい、
昨日の事のようにも思える。

お葬式の後、
遺品の整理をしているときに、
父の見覚えのある財布が出てきた。

中を見ると、
きれいな一万円札が一枚と、
きれいに切り取られた新聞の
切り抜きがある。

大事そうに畳まれた
切り抜きをひらいてみると、

あのとき一緒に観に行った
映画の広告の切り抜きだった。

思えば、あれが一緒に映画を
観に行った最後だったかも
しれない。

父は映画好きだったから、
もう一度、僕と一緒に映画を
観に行きたかったのだろうか。

今となってはわからない。

でも、ささやかな
そんな望みも僕に言い出せず、

一緒に観に行った思い出を
大事に財布にしまっていたと思うと、

新聞の切り抜きを捨てる気になれず、
一万円札と一緒に財布に戻して、
母に手渡した。

話す機会はいくらでもあると
思っていたけれど、

その機会はないままだった。

お盆が近くなったせいか、
ふと、

父の古い財布のことを
思い出した。

あの新聞の切り抜きは、
棄てられてしまったことだろう。

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