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子どもの言語学習過程から感じること

こんにちは。バンコク在住、2歳と5歳のわんぱく兄弟子育て中のHakuです。

更新がすっかり滞ってしまっており、今更ながら2025年最初のnoteです。今年も引き続きマイペースにはなりますが、できるだけ考えを発信して行きたいところです。

そんなバンコクは、ここ数日大気汚染(PM2.5)が深刻な状態で、世界ワースト10位に入るほどになっているとか。アプリでの大気汚染指数の確認が日課となり、体感でも目に見えてどんよりとした空気の霞や(天気は良いのに空の先が見えない)妙な臭いを明らかに感じます。

長男のプリスクールではお外遊びがずっと制約されているのはもちろん、ついにはランチまでクラスルームで食べることになり、(普段は半屋外のカフェテリアで大勢で食べている)日常生活でも大気汚染による不自由が続いています。

毎朝登校の際に「今日もair pollutionかな〜」
と5歳にしてこの単語を頻用することになるのは親としては何とも複雑な思いですが、何年かしてタイでの生活を振り返った時に思い出したりするのかな。なるべくポジティブな経験を増やしてあげたいとは思いますが、その地域の特性を理解して適応して行くことは、どこに暮らしていても必要とされる、子どもにとっての生きる力のように感じます。

天気は良いのに空が霞んで見える

さて、本題に移りますが、タイトルの通り最近は長男のプリスクールでもPhonics(英語の文字と発音の関係性を学ぶ学習法)やReading学習が増えて来ており、着実に英語が身に付いてきているように思います。
家庭内では基本的に日本語ですが、日本語が通じない大人やお友達に話しかける際は英語に切り替えたりと、本人の中でも使い分けが出来ているのかなと様子を見ています。

そして彼の中でどのように単語の習得が進んでいるのかを分析したときに面白いな、と思ったことがあります。
たとえば、比較的早い段階でよく使っていた下記のような単語。本人に日本語の意味を聞いてみるとこのような回答でした。

friend お友達、仲良くすること
sorry ごめんなさい
excuse me ちょっと待って
shine きれいなこと
beautiful 素敵、きれい
superhero カッコいいこと
yacky くさい
などなど

中には私たちが想像する厳密な日本語訳とは少し違っている単語もあります。おそらくですが、長男の頭の中では、英語の単語をわざわざ日本語に変換するような行程は必要としておらず、あくまでも生活の中のシチュエーションで使っている意味として理解しているのだと思います。
「何のために英語を学習するのか」と考えてみたときに、今の時点では決して正確な日本語訳をする必要は無くて、生活の中でコミュニケーションの道具として使えることが優先されるので、このように使える英語として意味を理解して会話ができていれば良いのかなと思っています。

一方で、「英語やだ〜日本に行きたいなぁ〜」などと発言することもしばしば。そんなときは、もしかすると親のエゴで今の環境で過ごさせているけど、本人の希望ではないのかな…なんて思うことも。

でも、それが日本語だろうが英語だろうが遊びではない勉強要素が増えてくると、おそらく渋る機会が増えてくるのかなとも。
今はまだ子どもたちの様子を見ながら、海外生活での英語学習を応援して行きたいと改めて思っています。

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