印章業者のホントに小さな声

ハンコの廃止を訴える理由に「面倒だから」という声が多いんですが、何と比較して面倒だと感じるのでしょう?

まず、サインと比べてみましょう。ハンコはたしかに、ハンコそのものと朱肉が必要で、書類の所定の枠内に収めなきゃいけないし、失敗しないように捺さなきゃっていうプレッシャーもあるかもしれません。では、サインならどうか。まずペンがあればOK。名前なんて生まれてから今まで一体何回書いたことか、簡単、単純、楽なもんです。でも…、26文字のアルファベットの組み合わせの名前をサインする欧米と、10万種類以上あると言われ、画数もやたら多い漢字のサインをするのが簡単で楽なんでしょうか?例えばあなたが、部下の書類にサインをする責任ある立場だとしましょう。多くの部下があなたに承認を得ようと、入れ代わり立ち代わりサインを求めてきます。一日に何十枚もの書類に、サイン、サイン、サイン…。これ、面倒じゃないですか?偉い立場の人じゃなくても、例えば腕をけがしている時、身体が不自由な方など、様々なケースがあります。サインの必須条件は、自著することと、常に一定の筆跡で記すことが求められます。筆跡が違えば本人性を疑われ無効になったりトラブルになる可能性もあるんです。

重要な契約なら、いちいち印鑑登録証明書を取りに役所へ行かなければなりません。重要な書類だから仕方がありません。でも、登録カードがあれば手続きはカンタンです。「サイン」の場合はどうでしょうか?契約社会と言われるアメリカも、重要な契約時には、公的にサインを認めてもらう必要があります。それが「ノータリーパブリック」と言われる制度です。調べてもらえば分かりますが、印鑑証明書を取るより、はるかに面倒なことが分かります。アメリカへ旅行した時に、クレジットカードを使いサインを求められて、書いたらパスポートを出すように言われ、そのサインと見比べて「違う」と言われるかもしれません。そのくらい、サインは常に一定の筆跡を求められます。なので、成人して社会に出る時には特にサインを書く練習をさせられる、とも聞きます。簡単そうに見えて、実はキッチリしているのがサイン文化なんですね。

今は、デジタル化だ、電子印鑑だ、電子サインだ、という流れが自然です。私もそれは賛成しています。ただ、「ペーパーレス化」とセットでなければ本当のデジタル化にはなりません。(失礼かもしれませんが)下町の小さな事業所で、年配の経営者がバリバリにパソコンを駆使してデジタル認証を利用している風景は想像できないですし、大きめの企業のオフィスに、プリンターもコピー機もFAX機もシュレッダーも無い、ということも私には想像できません。それに、電気やネットがダウンしたらすべてお手上げ、っていうレアケースも考えられます。

ハンコは文化と言われます。昔から根付いているから文化なんだろうと思います。欧米はサイン文化がデジタルと融合して共存しようとしています。であれば、日本は独特のこのハンコ文化を、日本のやり方でデジタルと融合して共存することが、正統的な進化と考えることは出来ないものでしょうか?

私は印章業者の端くれとして、ハンコのデジタル化を真剣に考えています。


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