《✴︎自分にないもの✴︎》
人は自分以外の誰かになりたいと思いがちだ。
今世界は
大体の人が沢山の情報を受け取れるようになっていて
沢山の素晴らしい生き方をしている(ように見える)人をいくらでも見つけることが出来る。
それを見て
『素敵な言動をしているな』
『こうなれたらどんなに幸せか』
そんなことを思い、憧れ
出来ていない自分に落胆したり悔しくなったり。
《あなたはあなたのままでいい》
そんな抽象的なメッセージに安堵しては
ふと、前に進んでいない自分を責めて。
そうなりたい、と思うような人にも
簡単に繋がれるようになった世の中で
その憧れの誰かに近付いて
自分もそうなったような気になったり
いつかはそうなれると思い描いてみたり。
視野ばかりが広がって
視座が上がっていない状態。
わかっているけどできない、みたいな。
今より高みを目指す前に
わたしは今この位置にいるんだと
自分を見切ることは必要だと思う。
あなたが憧れるあの人も
普段の生活をのぞき見れば
意外とあなたが思うようなあの人じゃない。
言葉でなど、いくらでもなんとでも言える
笑顔などいくらでも作れる。
有益な情報を周りに与えられる人が
あなたより幸せとは限らない。
幸せだと高らかに表現する人もいれば
ひとりこっそりとそれを味わいたい人もいる。
不幸だ、ということも同じ。
自分にないものを持ってる人を見て
自分より幸せそうだと見てしまっているだけで
見えているものだけでなんて
何も測れないのであって。
《あなたはあなたのままでいい》
それは
変わらなくていいとか
そのままで十分素晴らしいとか
そういうことじゃなくて
自分にないものを持っている
その誰かに憧れる必要はない
そういう風に捉えたら
少しは楽なのではないかと思う。
たくさんの人が羨望の眼差しを向ける誰かの
か弱い姿、なんてものはたくさん見てきた。
誰しも表と裏があるもの
表を見せる場面
裏を見せられる場所
どちらもみんな持っていて
それは無くなることはなくて
それぞれに調整して生きてるんだとわたしは思う。
太陽を抱くノチウの家
エリコハク