人には誰でもない時間が必要
家や職場、学校では人それぞれの役割がある。
人はその役割に応じたキャラクターを、演じる事を強制されている。
ただ、特定の誰かに強制されている、という話じゃなくて自分が自分で演じる様にしていると思う。
おそらく、それがその場で最適な能力や空気感を出すために、当人の個性+その場で必要な役割を果たすために作り上げられた人格なのだろう。
その人格でいる間は別に苦痛ではないけど、あるとき、ふとそれが苦痛になることがある。
あれ、結局僕は何がしたかったんだろうとか、このままでいいんだろうか、と思う一瞬がある。
たぶんそれは、その場に応じたキャラクターを演じるのに疲れている証拠なんじゃないかと思う。
1番素になるのは、やっぱり1人でいる時の自分が1番素の状態なのだろう。
その時とのギャップが大きければ大きいほど、無理をしているはずだ。
ただ、好むと好まざると役割に応じたキャラクターは今の社会では必要だろうし、素の自分のままでは生きづらい人もいる。
なので、キャラクターを演じることは必要だ。
ただ、やっぱりどこかで素の状態になる時間が人には絶対に必要だ。
別に自分だけの空間じゃなくてもいい。
自分の事を知らない人ばかりの空間にいれば、自分は他の誰でもない、名も無いただの人だ。
他の誰でもない。
完全なモブキャラクターになる。
そんな時間が1日の間に必要だと思う。