大人になった瞬間を覚えているか 〜『君と夏が、鉄塔の上』読書感想文〜


最後に空を見たのはいつか。

大人になった瞬間を覚えているか。

僕は、この小説を読んだとき、大人になったのだと思う。
今この文を読んでいる人は、きっと『君と夏が、鉄塔の上』をすでに読んでいるか、これから読もうと興味を持っている人であるはずだから、あらすじは少し触れる程度にしておく。

この小説は、鉄塔好きの伊達、幽霊が見える比奈山、奇行を繰り返す帆月の三人が、帆月を介してでしか見ることのできない鉄塔の上の男の子の謎を追う、ある夏の話である。多分。

あらすじはこれで十分だと思う。たいていの読書感想文は同じことが言えるけれど、結局、読むことが全てだと思う。

多分。としたのは、最後まで一連の出来事が本当のことか否かがわからないからだ。それは、読者にも、伊達や比奈山にも、見ている帆月にもわからない。これは、僕たち読者が実際に同じ体験したとしても、比奈山の推測に当てて考えると何が事実で、何が幻かなんてことは誰にもわからないのだ。

まあでも、そんなことはどっちだっていい。

ここで、最初に戻ろうと思う。
僕は、この小説を読んだとき大人になった。正確に言うと、大人になっていたことに気付かされた。この物語には、そういう力がある。

僕は今学生で来年から社会人だが、この小説を読むまでは、僕は自分がまだまだ子供だと思っていた。でも、それは違った。なぜなら、僕の子供の頃の経験や記憶は見事に死んでいたのだから。

木島の前では調子よくふざけたり冗談を言ったりする伊達が、帆月や比奈山の前では少し違った振る舞いをすること。強がりや自意識が人によって変わることは、僕も経験があった。全く忘れていた。

お祭りに着ていく皆の服装や髪型がわからなくて心配になったこと。あったあった。全く忘れていた。

鉄塔が完成すること。そうだった、見慣れた景色が変わることは子供にとっては大きな出来事だ。全く忘れていた。

水筒の麦茶の味。いつだって最高だった。全く忘れていた。

僕の子供の頃の記憶は、いつの間にか帆月の母のように、思い出すのに何らかのきっかけが必要な死んだ思い出になっていた。

僕は、自分が大人になったことが半分認められず、まだまだ子供の探究心を持っていると信じて、鉄塔の見える公園探しにでも行こうと思った。

行こうと思ってやめた。雨降ってたし。

子供の頃なら天気なんか関係なく、感情を優先して絶対公園探しに行ったはずだった。でも今の僕は行けなかった。雨降ってたし。

伊達も雨降ったら外には出なかったじゃん、という言い訳を考えている時点で、全くもって子供の心なんてなかった。

やっぱり僕は大人になった。


ここで、僕の感想文は日をまたいでいる。

今は、公園のベンチで書いている。

先日の自分があまりに情けなく、鉄塔の見える公園まで自転車を漕いだ。

鉄塔が見える公園が全く見つからずに、案外時間がかかった。上空を見ながらゆっくりと自転車を漕ぐ様は、きっと非常に滑稽なものだったはずだ。

でもその瞬間だけは、僕は子供のようだった。伊達が言うように、鉄塔はちゃんと繋がってんだなあ、なんて思いながら自転車を進めた。やはり知らない奴が意味なんかないって言うのは違うな。周りから見たらただのヤバい大人なのだけれど。

そもそも、「子供のようだ」と感じる時点で大人なのかもしれない。子供なのか大人なのか、大人になりたいのかそうでもないのか、矛盾ばかりだが、そういえば、いつだって考えが一つである必要もないのだった。比奈山は自分の見ているものを信じていないし、帆月は忘れて欲しいとも忘れて欲しくないとも言う。鳥人間コンテストを飛び込むものと捉えるか、飛び上がるものと捉えるか。

小説の題や帯をはじめとして、多くの紹介では鉄塔がメインのように扱われるこの作品だが、僕は「記憶」がメインであると感じてしまう。それが正しいかどうかはわからないのだが、やはりそれは僕の中の感情が全てで、答えなんてどっちだっていいのだ、とも思う。

この物語が沢山の人に与えた感動や興奮も、色々な人の中で何度も死ぬ。そのぶん、やはり生まれるものもあるのだと思う。
木島は街の変化を成長と言った。自分の中の記憶が次々に薄れ、自分の一部分が何度も死ぬ。それでも、新しく生まれた記憶が自分を作っていくのだと信じたい。

この本を読んだ人、これから読む人、全員に聞いてみたい。

最後に空を見上げたのはいつか。

自転車で公園に行ったのはいつか。

大人になった瞬間を覚えているか。

少しだけ、まあまあ格好良い気がしなくもない、それっぽいまとめ方が出来た所で、公園でスマホとにらめっこする大人の怪しさは増すばかりだし、蒸し暑いし、蚊に刺されたし、帰ろうと思う。


ギリギリ読書感想文のような雰囲気を醸し出しているこの文章も、忘れられたら死ぬ。そのときは、この感想文も鉄塔を渡り、荒川に流されるのだろうか。形のないデータは、荒川への行進に入れて貰えるのだろうか。大人になった僕は、それだけが心配だ。



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