私に起きた事実を書くことが何故「弁護士に相談する」と言われるのか
私個人に起きた出来事として書きます。
誰かを誹謗中傷する意図はありません。
ただ私に起きた事実を書くだけのこと。
そして私はその自由を制限されたと感じてしまっていることを書こうとしている。
事のはじまりはこの記事を書いたことです。
私が、実名で本当に私に繋がる電話番号も書いて『若者メンタルサポート協会』に問い合わせをしたことから始まりました。
そして、代表の『小杉沙織(岡田沙織)さん』とメールのやり取りをすることになりました。
上記の記事を書き、問い合わせをして、代表の方から直にメールをいただくと言う驚きの体験をしました。
最初のメールは私に対して大変好意的な内容でした。
それが以下の記事の様な終わりになりました。
ハココの一番のモヤりポイント
下記が送られてきたことで、このメールのやり取りの主題が『問い合わせた内容』である『kayaさんの件』ではなくなったのです。
上記に私は憤りを隠せなかった。
以下の文章は私が送ったメールの原文ママだ。
これらに対し、
また揚げ足を取られた…と感じた、私は解離の人や精神障害の方を侮辱などしていない、私もうつ病経験者で、そのような意味で言ってないことを何故また言葉の一部を切り取って決めつけてるのか?
という始まりで返信してきた小杉氏は、
そうして、『私』について『弁護士に相談する』と言ったのだ。
私の疑問は『なぜ《kayaさん》のことだけを法的措置を取ると言うのか』についてもだった。
これに対する答えは二度に渡ってなのか、誤送信なのか、
一通目には、
二通目(書き直し?)には
私は上記の返答が「カヤさんを訴えることには時間もお金も労力もかからないから訴えることにした」と取れてしまう。
暇空氏はカヤさんよりよほど影響力があり、カヤさんに経由で受ける誹謗中傷の比ではない(はず)のに(時間もお金も労力も無駄になるから)放置することを選ぶが、「コスパもタイパも良いお手軽なカヤさんは法的措置に出ます」という無茶苦茶な宣言に感じた。
さらに『《kayaさん》の告発には正義が無い』とでも言うかのような、本当にただの『虚言』に基づく『誹謗中傷』としているのだろうな、と。
しかも『虚言癖』としている《根拠》は『中村氏がそう言っていたから』である。
まず、その前のメールでは
と言っていて、矛盾に感じたのだ。
私は憤りをさらに募らせ、さらにメールを送った。
ちなみに、
と言っておられるので、しっかりと明記します。
小杉沙織氏は「精神障害者を侮辱するようなこと」は言ってないそうです。
私はこのやり取りで『若者メンタルサポート協会』に対して不信感を抱くことになりました。
これは私に起きた事実から私が勝手に感じたことです。
しかも「弁護士に相談する」と言う文言を度々使われたために、私の言葉を《抑圧》されていると感じている状態が現在に至っても続いている。
実際に、警察の方に話を聞いていただいてもいる。
まだ話は途中ではあるけれど。
私は個人的に、これらは私にあった事実であり、私の主観であり、それをここで公開することが「弁護士に相談する」ことだとはとても思えない。
法律に明るいわけじゃない。けれど、私はなにか間違っていただろうか?
さっぱりわからない。
なぜ私が「弁護士に相談される」のかもわからない。
なぜ「一方的に叱責している」として「私が責められている」のかもさっぱり分からない。
ものすごくモヤってる。モヤってるから「弁護士に相談される」かもしれないけれど、書きました。
私はこれらをなぜ書いてはnoteに書いてはいけない、と思わされているのか。
わからない。
どうして書いてはいけないものなのか?
さっぱりわからない。
追記(2024/4/28)。
私はこの件に関わることを決めたとき、本当にどちらが事実を言ってるのかわからなかった。
いまですらわかってない。
ただ、それとは別に『メンタルサポート』という看板を掲げた支援団体の代表から「精神科医と話したところで『虚言』は『解離だから仕方ない』として理解を求められる」と言われたことに猛烈に腹が立ち、その怒りから攻撃的になった。
その点は反省している。というかすべき点だ。
けど、この文言が飛び出してから、この件は私にとっては『カヤさん』という女性のことについて話すことより、『その発言をが許せない』という思いを伝えることに重点を置いた。
私の中で《論点》が変わっていた。
小杉氏はそれに気づいてはいなかったかもしれない。私が勝手に《論点》を変えたことに。
解離性障害に『虚言』という症状はない。
解離の症状を呈す人が、あたかも『嘘をついているかのように誤解されること』ならある。
少なくとも『若者メンタルサポート協会』は解離について詳しいかのように書いている。理解があるのように書いている。
その支援団体の代表から言われたその言葉に、恐らくだが、私は『傷ついた』のだ。
私は「納得がいかない」とか「モヤモヤする」と憤っているときの状態を『傷つき』だとして周囲に諭される。
が、私にはわからない。
傷ついてなんかない。納得できないだけ。不当だと思うから、理不尽だと感じるから許せないだけ、私は怒ってるの!と言う。
それでも、周囲は『傷ついたんだよ』と諭す。
もし『カヤさんの言っていることが事実無根である』とわかったら、その旨を伝えるつもりでいる。
それでも、私は小杉沙織さんからのメールにあった文言で『傷ついた』のだと思う。
それは私の誤解釈でのものだったとして、本来の意図すら私には伝わってもいない。説明もされていない。
だから私は、この『傷つき』については、訂正しないだろう。