自分の好きを全開放した日。自分にこれ以上の我慢を強いたくない
わたし自身に自分の好きなものを与えること
好きな服を着ることからはじまった
わたしは、性被害に合う前は、周囲からあんまり浮かないような服を着ていました。
色もデザインも地味なものを好んでいました。好んでいたと言うか、可愛いとか、きれいとか、個性的とか、絶対に似合わないって思い込んでいて、地味なものばかりを着ていたのです。
でも被害後、何かの枷が外れたように、むしろ、好きな服、着たい服しか着られなくなりました。
出かけるとか出かけないとか、誰かに会うとか、ひとりでいるとか、そんなこと関係ない!
常に、大好きな服を着たい!
そんな強い欲求みたいなものがすごく湧き上がってきて。
そこそこ気に入っているレベルの服じゃなくて、本当のお気に入りで常に過ごすようになりました。
よくわからないけど、とにかくもう嫌なことをしたくなかった。
自分に嫌なことを強いたくなかった。
我慢っていうのを強いてしいられることが嫌になった。
その最初に解放したのが服装だった。
地味なものしか似合わないと思う……とか、そんなのどうでもいい。
着てみたい服を着たい!
好きなデザインの服がいい!
その中に似合うのがあるかもだし!
試着すらしないで、どうせ似合わないとか言うのやめる!
酸っぱいブドウも食ってみるんだ!
酸っぱいかもしれないけど、おいしいかもしれないんだよ!?
一番に与えることにした好きが服装になったのは、保護入院のときに、はじめのうちは私服の持ち込みが禁止になっていて、貸し出された服を着ることに強い抵抗があったこと、それがものすごく嫌だったことからかもしれない。
それに、同じ時期に入院していた措置入院の一つ年下の男性がした話もあると思う。
あまりに普通の男性で、ナイフを所持し他害の恐れありと両親によって警察に通報されての措置入院らしい。異常者扱いされて最悪だったと話していた(真偽不明だが、普通なひとに見えた)。
「ナイフなんて持ってないし買ったこともないのに措置入院とか、人権ってものは俺には無いのか?って、うちに来た警察も不思議がりながらも、措置入院は決定事項で、病院に連れてこられて、保護室に入れられて、謎のダッサイ、パジャマよりもさらにダサい服に着替えさせられて……。俺、思うのよ。服ってさ、ひとのアイデンティティをかなり表現するものだって。そのひとのアイデンティティそのものすら、そこにあるって思うのよ。でさ、俺は服にけっこうこだわりがあんの。それなのに、これを着ろ!着ないなら拘束だ!って。もうね、すげえ惨めな気持ちで着て、俺っていうものを、このダサい、クソダサい服が全否定してくるような気がしたんだよ……」
そんなに服って重要なものなのか……アイデンティティか……。
そんな刷り込みに左右されたかどうかはわからないけれど、それでも妙に印象に残った話だった。
15歳から風嬢をやっていたとかの女性もいたし、解離性障害の女性は、わたしが解離と聞いてものすごく喜んでいた。同じ病気の患者さんに会ったことがない……と。
急性期の閉鎖病棟ではあるけれど、みんなが重症というわけでもなく、割と楽しい会話もある。
不思議なほどに、普通の会話が可能なひとばかりの、珍しいくらいに落ち着いている急性期の閉鎖病棟だった。
(このロビーで過ごすようになるまでのわたしが、このときの最重症患者だったのでは?と思ってしまうほどに、平和な病棟でした。ナースステーション前の個室に施錠で管理されているわたしは、室内で錯乱しているか気絶しているか、人格交代して環境に不満を訴えているか、という……)
まあ、とにかく。
退院して、それから少しずつ、気に入った服を集めはじめた。
でも、それによって不自由にもなってしまった。
好きな服、気に入っている服しか着られなくなってしまった。
気に入っていない服を着ることにものすごく苦痛を感じるようになってしまったのだ。
こんな服では外出したくない、できない。近所のコンビニにも行けない。家から出ることも無理。
いつからか、それらに自分を守られているかのように感じていて、そうでない服装で出かけることが、危険に飛び込むことのように感じていた。
いつ誰に襲われたっておかしくない!そんな世界には出られない!
そんな気持ちを、好きな服が抑えてくれる。そして外出可能になる。
ここにだけ極度に限定的に、自分の嫌なことを受け入れたくない思いが強く出ていた。
被害時の服装は、派手でもなく、露出があるわけでもなく、地味なタートルネックの上にミドル丈のゆったりとしたワンピースを重ね着していて、地味さが全開であったはずで、性的にみられる要素とは無縁に思えた。むしろ幼い印象すら与えるかもで、童顔であったためにそれでバランスが取れるかのような。
でも性被害ではよく、服装に批判が集まったりもして。
わたしの、被害時の服装、ダサさと芋っぽさと地味さ全開でもダメなのに!
服装はマジで関係がなかったということが身に染みていた。だから、好きな服を着てやる!に振り切った。
何なら、過去一体重あった16歳のとき、古本屋さんで立ち読みしていら痴漢に遭った。ダブダブのズボンだった。
自分でも信じられなくて、この体形で?この服装で?と思って、場所を移動しても相手は付いてきて、身体を触ってきた。
そこで確信した。痴漢だ。
どうしてか顔を見ることすらもできなかった。男性の方を見ることも出来なくて、すぐに店を出た。
すぐそばに店員さんがいたのに、なにも言い出せもしなかった。
その当時のことを思い出したらもう、体形も服装も何も関係ねえじゃねえかよ!と、急にそこの部分の好きを、まったく譲れない状態になってしまったのだ。
自分にとっての「好き」を重視してみよう!
まるで、良いことのように感じるけれど、これはこれで生き難い状態だった。
生活に服装がいちいち関係して、フル装備でいたいのだ。
毎日をそれで過ごしたい。そうしないと安心していられない。
鎧のようなもの。お気に入り度=防御力なのだ。
化粧は好きでないし、そこはどうでもよかったのだけれど。
とにかく服を!服を好きなのにしたいの!
毎日どの服を着るのかと決めることが大変になっていた。
大袈裟なのだけれど、あまり気分の乗らない服で出かけたら、きっと悪いことが起きるに違いない!と確信じみたものを持ってしまった。
逆に言うなら、それさえクリアすれば外出は可能なのだから、良いことではある。あるのだけれど……。
何はともあれ、悪い事ばかりではない。
いまは、割りと平気になってきたし、二軍の服もある(許せる)。
普段はこれでいいかっていう感じの、リラックス用のもの。
でも、外出するなら、いまだに防御力が最強(=最も気に入った服)がなきゃ無理でもある。
わたしの服は、個人的に妥協は一切なし(でもプチプラ服)。
「たかはし」で買う、いつものプチプラよりは高い服(たかはしは様々なブランドの売れ残りを売るお店)。
そしてまれに、わたしの購入可能価格にまで落とされたバーゲンセールで、よく聞くショップの服を買う。
あとは、古着。セカンドストリートなんかで買ってきたもの。
クローゼットにあるのはそれらのみ。
ワンピースが好き。長いスカートがいい。
ゆったりした着心地が好き。
フレアのロングスカート、その中にロングのペチパンツ。
普遍的なのも、個性的なのも好き。
ナチュラル系もカジュアルも好き。
ぞろーっとした感じ(伝わるかな……)が好き。
女性らしいデザインも好き。カッコイイ系も好き。
見るだけだけど、ロリータ系も森ガールもかわいい。
レイヤーさん見るのも好き。
原宿系もいい。ストリート系もいい。
でも、もともとタイトなのとミニは嫌い。
本当は魔女さん服、旅人の服みたいなのが良い。
旅装束が着たい。魔法使いの旅装束。魔法使いのローブが着たい。
ハンドメイドでならあったりするけど、高くて買えない……。
だからそれは諦めよう。
でも、他の好きな服は着るのだ。
他の服で、着こなしで、組み合わせで、それに近づけていくのだ!
プチプラでよくある、魔力の上がりそうなアクセサリーを身に付けたりして、魔力が3上がった!とか、ウキウキでつける。
他には、ピアスのインダストリアルを縦にクロスで入れたいけど、耳の形が向かないらしい……。
髪色は青か緑にしたい。ピンクアッシュもいいな。インナーカラーとかもやってみたい。
でも、それには、トラウマができてから常に1、2個は常備された円形脱毛が、ハゲが邪魔だ。
なんかあんまりよくない気がするし。
でも、ハゲがなくなったら、青か緑に、ピンクアッシュに、いやアッシュに!むしろ白に!とか思っている。
そんなこんな、この頃から、体調が悪いときほど、自分の好きをたくさん纏って出かけるようになった。服もアクセサリーも。
くすんだ苺のイヤリング。イヤカフをたくさんつけて。
指輪もして。
トルコのお守りのブレスレッドに、ハンドメイドマーケットで買ったビーズのブレスレッドも。
ロングネックレスやラリエットももちろん。
そして、鞄には、かつての友人にプレゼントされたエンゼルエッグを忍ばせる。
最高に防御力が欲しいときは、伊達メガネが必須(視力は両目1.0以上ある)。
わたしは、それで、自分を守れるって自信をどうにか持てる。
自分はきっと大丈夫だって。
きっときっと、大丈夫でいられるって、おまじないのように。
そうして出かけるようになった。
他にも、自分の好きをひとつずつ、わたしにさせてあげてきた。
または諦めざるを得ないと知る。
とにかく、わたしの好きを、自分にさせていった。与えていった。
ガーベラが好き、白のガーベラ。
だから、机に造花だけれども飾ることにした。
異世界に通じていそうだな、と思う。そのガーベラさんを遠くに感じるとき、わたしは自分の調子の悪さに気づく。
本当は、ガジュマルの木を鉢で育てたい。
けれど、いまの体調では枯らしてしまうかもだから、まだダメ。
でもいつか、ガジュマルの木を観葉植物として育てたい。
多幸の木とかそういうのはどうでもよくて、わたしはガジュマルの根っこが大好きなのだ。
本棚の1段を、好きなものを飾る場所にした。
好きな小物をたくさん並べている。
その時その時で、少しずつ変わっていく、その棚。
現在並んでいるのは。
安く売っていたエジプト硝子の香水瓶。
トルコのチャイのカップ。
凝ったデザインの使い難そうなスプーン。
昔、二十歳になったら死んじゃおうって、そのときまでに嫌な気持ちを吐き出して入れておくために買った小さな小物入れ。それはどこかの国のもので何を入れるかもわからない小さな金属の小物入れ。
お土産でもらった、オレンジで黄色い水玉模様のネコ。
木彫りの小さな熊。凝った掘りキツネ。バンビの置物。
カプセルトイのヘラジカ、ワニ、ゾウ、シロクマ。
ガラスの小物入れ。使う予定のないバレッタ。
いろんなお気に入りがそこにいる。
他にも、本棚には、有孔ボードにの穴にDIY用のつまみや取っ手を、ただ並べて取り付けたものも飾っている。
Coccoを集めはじめたのもこの頃。
わたしにとってCoccoの歌声はとても優しく響いた。
わたしもCoccoの曲を口ずさむ。
育てたお花もわたしがいなくても生きている。
誰かわたしを止めてよ。
壊れちゃった、あたしのハート。
あんなことするような子じゃないんだって、勝手言ってらババア。
わたしの「Cocco」への想いは下記の記事で書いています。
自分に自分の好きをたくさん与えて、与えまくって。
そんな15年とか過ごしても、わたしはいろんなことがぶっ壊れたままにいる。
自分の尊厳というものが踏み躙られる感覚がよくわからないし。
そんなものがあったとも思えない。
そんな性被害者のその後にいるわたしは、わたしのことまったく大切に思うことも出来ないし、大切に扱うことも出来ない。
でも、わたしにとっての大切を大切と思えている自分を誇りに思えたりもするようになった。
最初に自分に対して好きと感じた部分は「脳」だった。
それは、ちょこっとグロいかも。
でも、わたしの「脳」はいつでもとにかくわたしの意識が望む望まない関係なく、わたしの生命維持に徹している。
そしてわたしにたくさん思考をさせてくれた。
空想に浸らせてくれた。
そんな「脳」があって、わたしは生きているんだって。
だから、自分の一番好きな部分として感じるのだ。
そのひとを作っているものは「脳」だ。
見た目もある意味「脳」が保っているし、内面は「脳」に左右される。
つまり、わたしは、自分の「核」を好きと感じたのかもしれない。
わたしは思う。
わたしの「核」にある、見ることの叶わない「何か」は、誰にも変えられることも触れることすらできないものだと、信じたい!
「魂」と呼ぶのか、「意識」「精神」というか、「脳」がすべてを司るかも知れなくとも、感じることも触れることも「わたし」にしかできない「何か」には、きっと誰にも何もされていないって。
わたしにとってとても大切な二つの曲
まず、林原めぐみさんの「Just be conscious」。
ラノベとして一時代を築き、アニメでヒットした「スレイヤーズ」という小説の映画中の一つで使われた曲だったと思う。
林原めぐみさんは声優さんで、主人公の声を演じたひと。
歌手としても活動していて、元祖声優で歌手としてオリコンに入ったひと。
声優仲間に女王と呼ばれる存在。
この曲に出会ったのは小学生のとき。
ずっとこの曲が大好きです。
明日の自分を好きになりたいから、今日の自分をギュッと抱きしめるんだって、小学生の頃になんだかもう感動してしまったのです。
小学生のわたしは自分がすでに嫌いでしかなくて、何の役に立たない、つまらない存在だって思っていて。
でも、わたしがわたしを好きと思えなければ、誰に好かれていると言われても、その言葉で安心することもできないことを悟ってしまって。
下校時に何度も歌った。何度も何度も。
泣きそうになりながら、歌いながら帰った。
そしてもう一つは、鬼束ちひろさんの「Castle・imitation」。
RPGのエンディングテーマ曲をして出会った曲。
割と嫌われている、クソゲーと名高い(らしい?)ゲームですが、ブレス・オブ・ファイヤ5「ドラゴンクォーター」というゲームの曲。
物語を終えて聞いたこの曲は、感動と言うしかなかった。
暗いストーリーで、残酷な描写もありR-15とかに指定されていたと思う。
でも、賛否両論ある中、わたしの中では本当に心に残っているゲームです。
遠い過去の大戦で地上には住むことが不可能になった世界で、地下に築いた要塞のような場所から、地上を目指す物語。地上が住める場所になっているかさえわからないけれども、地下の空気も悪く、その中で生きることのできない少女を連れて脱出を、希望かどうかも分からない、小さな可能性に全てを掛けて、地上を目指すもの。
エンディングでも、地上が安全なのか、ほとんど描かれない。
ただ、地上に辿り着いて、草原を、空を、明るい光あふれる世界を、目にする。
けれども、少女を連れて脱出を試みた主人公は、生きているのかもわからない、そんなラスト。
鬼束ちひろさんが好き、と言うひともあまりわたしの周囲にはいません。
でも、この曲がもう本当にすごく好き。
「生きて」と繰り返す強さ。ゲームの物語を表現するに本当に適していて、ゲームと共に好きだが溢れる曲なのです。
(SNSの投稿で「脳をケースにしまっておくのは勿体ない」などと言うのは、この曲から受けたものです)
好きを自分に与え続けたわたしに起きた変化
我慢はもう嫌だ!
そんな気持ちから、自分の好きを自分に与えて、与えることを課して。
ときに強迫的に、強いるように好きなことをさせて。
性被害後に、わたしが出来るようになったことがある。
主に店舗で役に立つこと。もしかしたら、ごく普通のことかもしれない。
商品がどこにあるのか、目当てのものがあるなら手っ取り早く店員に聞くこと。
アパレルのショップ店員を、ひとりで静かに見たいからと、ついてこないでほしいと、サラリと伝えること。
逆に話しかけて、サイズ違いがないのかを聞く。
なんなら試着して、イメージと違ったとか、サイズが合わないなどの理由を告げ、買わないことまでできるようになった。
実は、わたし自身、ものすごく驚いている。
アパレルのショップは、店員さんが怖いからと入れない場所だった。
あのひとたちをどうしたらいいんだ!わたしはひとりがいいのに!でも、売り子さんは売ってなんぼ。ついてこられても文句言えないんじゃないか……?
そんな風に店舗に入ることすらできなかった。
電気屋さんでも、自分でネットでしっかり調べて、それを買いに行く的な感じでいたし、カスタマーセンターに電話するときなんかは、嫌な思いをさせてしまう……なんて、びくびくしていた。
でも。
これ良いかも!と思った商品の説明を聞いて、やっぱり購入しなくていいかなとか、ちょっと別のものにしようと思ったら、思っていたのと違うとか、もう少し考えるとか、購入しないことを告げることも、似た商品はないかと更に聞いたりすることも。
予算を告げて、その範囲でのおすすめを紹介してもらったり、少し予算から出てしまった部分を、これも買うんだけど……?といい感じに下げてもらったり。
カスタマーセンターへの問い合わせに緊張することもなく、発生している問題を告げ、解決を落ち着いて頼むことができるようになったし、修理を依頼することも堂々と話せるようになった。相手の主張に不満がある、こちらに不利益になっている、なら文句を言う。
なにかの契約をするときには、疑問点をしっかりぶつけるし、言っていることに違和感があれば、即、こうじゃないのですか?と聞き返す。
何かのサービスを受けるなら、一度できないと断られても、これこれこうでとこちらの事情を説明することで、実は可能であったという事柄もずいぶんとあると知った。
損しなくて良いところでの損なんてものはもうしたくない!
そういうことだったのかもしれないし、何かに遠慮してもどうせ嫌な目に遭うのだから、遠慮しなくていいかもなら遠慮なんかしたくない!って、そんな感じだったのかもしれない。
はじめは、ものすごく緊張したけれど、いまは平然とできるようになった。
ちなみに、上記のことで不快感を示した店員さんはいない。コルセンの相手もそう。
だって彼ら彼女らは、仕事をしているだけで、わたしは難癖つけて怒鳴り散らすとか、理不尽なクレームをつけているわけでもないし、ごく普通の客なのだ。
むしろ、店舗でなら、はっきりしない態度の方があちらもどうしたらいいのかわからないかもだし、こちらがこうしてほしいと要望を伝えての店員の対応は、普通に仕事の範囲のものであったし、熱心に選んでいる、熱心に契約に挑んでいる、そんな客に映るのかもしれなくて、そのためか、ただそれがデフォルトだからか、店員さんとかもしっかりと対応してくれて、説明をしてくれる。
お客様であるからとあぐらをかくわけではないが、すみませんが、と声をかけ、最後にはありがとうとお礼を言う。
説明してもらっても購入を決めかねたら、迷っていることを伝える。
無理に買わせようなんてする店員さんなんてのはそうそういないのだ。
どうして、そんなにも遠慮していたのかもわからないほど、買い物というものが、より有意義にできるようになった。
こんなところで時間を無駄にしたくない!
立ち止まらずを得なかった時間の分まで、取り戻す勢いで生きたい。
出来ることも動ける時間も限られてしまったその中で、自分にとっての大切なことに多く時間を使いたい!
こんなところで妙な損をするなんて本当に損でしかない!
しなくていい損なんてしたくない!
自分の行動ひとつで、こういう小さな損からは解放されるんだ!
そうやって、ほんの少し、図太く生きることを覚えた。
図太くなんかないのかもしれない。普通なのかもしれない。
でも、わたしにとって本当に大きな変化だった。
そもそも、店員さんは店内のことの仕事をしている。
買う買わないの意志は、わたしにある。
聞く意味もなく、興味もないのに説明を聞こうというわけでもなくて、購入を真剣に考えるから聞くことが店員さんの邪魔だっていうのは違うだろう。
でも、その結果、買う買わないは、やっぱりわたしが決めていいはず。
買わないからってわたしは悪くない。はず。
だって、必要ないのに買っても意味がない。
それに、話しかけられたってだけで、興味もないのに説明を聞いている客の方が邪魔だろうし迷惑だろう。
だってわたしは買わない。
買う可能性のあるひとに話しかけた方が絶対的に店員さんにも良いだろう。
説明が欲しい欲しくない、おすすめを話して欲しい欲しくないの意志表示なんて、なんてことないものだった。
カスタマーセンターに、苦情を言うことも、こちらに何の非も無いなら堂々と訴える。
この辺が、生き方として大きく変わった。
自分のために生きる。
少なくとも、嫌なこと、損でしかないことを、しない。
お気持ちだけで十分です。
要りません。
興味ないです。
迷惑です。
こんな程度のノーを放つなんて、レイプされまいと死に物狂いの抵抗をするより、よほど簡単なことだった。
どんなにノーを突き付けてもそれを強いてくるというのは、絶対的にオカシイのだと、ようやく理解したような気もした。
ただ、これらが、すぐに出来るようになったわけでもなく。
わたしは失声を何度も経験している。
被害後はとくに多かった。解離での交代人格に吃音があるひとがいたりもする。
とにかく、色んな人に、筆談をお願いしなければならない状況になって、お願いをすれば……。
実はたくさんのひとが、そのことを無視することもなく、むしろ親身に対応してくれたると知ったこと、それが大きく影響した。
こんなわたしに?こんな親切に?本当に驚いた。こんなにも面倒なのに?って。
わたしからの言葉は、メモ帳に書き込まれる手書きの文字。
それに、ときに耳が聞こえないのかな?とまで考えて、それでもどうにか力になろうとしてくれる。
そこで、わたしが耳は聞こえます、声が出ないだけです、ありがとう(先頭のページに常に書いてある提示用。声が出ないと耳も聞こえないとよく誤解されたので)と見せると、少し申し訳なさそうに微笑んだりして、口頭で説明してくれる。
ひとは、ちゃんと、やさしい。
わたしは確かにヒトに傷つけられた。
でも、ほとんどのひとは、ちゃんとやさしい。
きっと、それがふつうなんだ。
そんな当たり前を知った。
その上に、仕事中の店員さんなら、尚のこと、仕事としてのそれを全うするのだ。
そうして、様々なショップ店員、勧誘、配布員、カスタマーセンター、何らかの窓口、その仕事のひとにそのひとの業務内容を頼むこと、断ることに、どうして罪悪感を抱いていたのだろうか?と思うようになった。
わたしの「好き」を紹介します
透明水彩。色がきれい。にじみもきれい。
セロハンみたいに重なっていく。色と色。
わたしも描くし、自費出版の絵師さんのイラスト集を買ったりする。
文章を書くこと。小説もどきや、詩を書くこと。
純文学の小説を読む。気になった小説は片っ端から読む。図書館のヘビーユーザーだ。
好きな歌手の曲を聞く。歌う。
とくにいまは、上の二曲を歌っている。
カラオケにたまに言って、ものすごい熱唱をする。
全力で感情も込めて歌う(採点しても90点には届かない音痴)。
Coccoのコスモロジーやらフリンジなんかが本当は歌いたいけど入ってない!とか。
とにかく、興味持ったことを何でも調べてみる。
わたしは、被害後に、自分の大好きだった読書が出来なくなっている自分に気づいたとき、生きている意味がもうないような気がした。
文字を読んでも意味が全く入って来ない。そんな自分に絶望した。
ある意味、フラッシュバックに狂いそうになったり、悪夢で眠っていられもしない、ずっと緊張が続いて、それらでの疲労よりも何よりも、ショックを受けた。
気分転換に、なんとなく空き時間に、とにかく没頭していた読書。
どんなときも飽くことなかった読書が、できない。
わたしにとって文章は自分を表現するものとして重要なものだった。
公募に応募したりもしていた。編集者から電話を受けたこともあった。急に現実味が出て怖くなって、当時のわたしに耐えられもしない締め切りのある生活を想像して、その先っへのアクションはしなかった。
でも、わたしにとって、大切なこと、小説もどきを書くことと、読んで考えを巡らせること。
それができないわたしに意味はあるのか?
でも、そのとき、わたしに唯一読む事ができた本があった。
「14歳 いらない子 / 著・ヨヅキ」
詩集のようなもので、わたしが14歳のときに入手した本だった。
寂しげな写真と、もの悲しく痛みが走る言葉が並ぶ。
境遇は全く違う。でも、当時のわたしはわたしを「いらない子」だと感じていたから、購入し、ずっとずっと大切に持っていた本。
読んで、そして、わたしは、詩を書くことにした。
文章は、小説もどきは書けなくても、詩は書けた。
こころを、思考を、怒りを、悲しみを、虚しさを、絶望を、詩のようなものとして吐き出して、わたしはまだ生きていられるような気がした。
小説が読めないとき、文章の意味が上手く理解できないときは、定期的に訪れて、そのたびに、わたしは「14歳 いらない子」を読む。
ヨヅキさんは、現在どうしているだろうか?
生きているのだろうか?
彼女は、どうしているのだろう?
同じくらいの年のはずの、ヨヅキさん。
「ありがとう」を、あなたへ。
痛みを記したあなたの言葉は、いまもわたしに、何かを訴え続けています。
あなたにとって、あの本の出版はどんな意味があったのか、わからないけれども、それでも届いたひとのもとで、確かに息をしていて。
黒歴史になっているの?それとも?
そんなこんなで。今日は終わりにします。