エシカルを考える、「当たり前」で自分を苦しめていないか
エシカルは思いやりの心を持って「一人ひとりが正しいと感じたこと」。このシリーズでは「エシカル=思いやり」をもって暮らしていくためには、どうしたら良いのかをテーマに、お話ししていきます。
今回は「当たり前」について考えます。当たり前は、色々な意味を持っていて人によって様々な捉え方をする言葉です。多様な社会をつくるとき、この「当たり前」がマイナスに作用することがあります。また、相手と自分の「当たり前」が違うことで、衝突が起きたり、上手くいかない時に自分を責めて苦しんでしまうこともあります。
「当たり前」という言葉は、以下のように使われることが多いのではないでしょうか。
・見た目や性別、状態での「当たり前」
例)女性だから(男性だから)、社会人だから、日本人だから、など
・習慣や慣習による「当たり前」
例)結婚するのが、子供を育てるのが、会社員はスーツを着るのが、女性は化粧をするのが、など
・境遇や状況での「当たり前」
例)出身地が〇〇だから、□□学校に通ってるから、結婚しているから、シングルだから、子供がいるから、仕事が△△だから、など
見た目や性別、状態の当たり前は【常識】という意味として使われ、習慣や慣習の当たり前は、【思い込みや偏見】という意味、そして境遇(家庭環境・経済状態・人間関係などの状況)の当たり前では、生活環境や行動を勝手に【判断】する意味として使われていると思います。
このように「当たり前」という言葉は日常的に使われていますが、「当たり前」は、時には自分や相手を傷つけてしまうことがあります。
人々の中の「当たり前」は、育った家庭環境や、教育、国、文化など様々な要素によって培われていきます。学校や会社などの集団生活で、みんなが正しいと思ってやっていることが当たり前となりやすく、家族や友人の意見の中でも、マジョリティの考え方・行動が当たり前となりやすい傾向にあります。そして、人はそんな当たり前に対して、特に違和感がなければ「そう、これが当たり前だよね」と意識することなく自然と吸収して過ごします。
「ルール」という言葉は、当たり前に似ています。皆さんもご存知の通り、世の中はルールに溢れています。「ゴミは収集場所に出す」「自動車は指定の駐車場に停める」「タバコは喫煙所で吸う」など、社会にはルールがあって、人々がきちんと守って行動することで、誰もが安心して気持ちよく暮らせるようになります。ほとんどの人が、わざわざルールと意識していなくても、正しい常識だと思った行動をとっていると思います。そうして社会生活を送る中でルールに従う行ないを繰り返すことで、「当たり前」と等しい意味に変化していくのでしょう。
「当たり前」があると生きやすい?
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