ティピカの香りに癒されて (6)
2月の最終週、ケイさんが帰国するということで、チャイからご飯のお誘いがあり、私とルーはパクソンに来ていた。
「ケイさん、今週末、帰国なんですね」
「そうなんですよ。それで、この前、シンダートに行こうって言って行けなかったから、今度こそ、みんなで行こうって話になって」
「そうでしたね。あの時、行けませんでしたもんね。シュウくんは?」
「もうすぐ来るそうです」
「とりあえず、コーヒー淹れて」
ルーがチャイに言って、チャイがいつものようにコーヒーを淹れ始める。
「チャイのコーヒーを飲めるのも、あと2日かあ」
ケイさんが言った。
「今年もいい豆を仕入れられて、良かったよ」
「次、来られるのは、いつですか?」
「5月くらになりそう。日本の仕入れ元から、パクソンに視察に行きたいって連絡があって、アテンドかな。センさんが新しい品種のコーヒーの木を植えるって言っててね。それも見たいし」
「そうですか。また早く来て下さいね」
「そう言えば、あれからシュウくんと何度かカフェで会って、話したんです」
「どんな様子でした?」
「まあ、色々考えるところもあるみたいだった。リリーは、前みたいにシュウくんのこと手伝うようになってるようで、よく一緒にいるのを見るよ」
「ケオたち3人とはどうなったんですかね」
「どうだろう。リリーがケオたちと一緒にいるのは見るけど、シュウくんと一緒にいるところは見てないな。トゥーン曰く、ケオはリリーが好きらしい」
「そっか。色々ありますよね。私みたいな日本人とか外国人が中に入ることで、それまでの関係性に変化が生じるっていうか、そういうのありますよね。私も、若い時は色々ありましたよー」
「はは、色々ありそう」
「自分はラオスに来て初めてのことばかりで何もかも新鮮だし、ラオス人は親切だし面倒見もいいし、わいわいやってるのが楽しくて、そういうラオス人同士のことにまで気が付かないんですよね。若い時は特に」
「そうかもしれませんね」
「今思うと、知らず知らずのうちに仲間内のラオス人のこと、傷つけてたのかもしれないなあって思うことあります。っていうか、今回のことで、色々思い出して」
「分かります。でも、結局、マリーさんは変わらずラオスにいて、そういう人たちと今でも付き合っていて、その関係性の中で生活してて。何が正解かなんて分からないけど、マリーさんのこれまでの選択は間違ってなかってってことなんですよ、きっと」
「そうなんですかねー。でも、ケイさんにそう言われると、そうなのかもって思っちゃいます」
チャイが淹れてくれたコーヒーを飲みながら、ケイさんと話をしていると、シュウくんがカフェにやって来た。
「この前は、ありがとうございました」
「ううん、インターンの方は問題なく?」
「はい、またリリーが色々手伝ってくれていて」
「そう、よかった」
カウンターでルーと話していたチャイがシュウくんに気付いて言った。
「シュウもコーヒー飲む?」
「いえ、今日は農家さんのところで色々試飲させてもらったので、ちょっとカフェイン取りすぎな感じなので」
「オーケー。じゃあ、もう少ししたらトゥーンとノイも来ると思うから、ちょっと待ってて」
トゥーンとノイがカフェに来るまでの間、シュウくんの今日のコーヒーの試飲の話や、ケイさんの今回のコーヒーの買い付けの話などを聞いた。
日本から遠く離れたパクソンの小さなカフェで、それぞれ全く違った環境から集まった日本人が、それぞれのコーヒーの話をしている。
不思議な感じだけれど、日本ではまだ馴染みのないラオスのコーヒーを通して、それぞれが感じたことを共有している、こういう時間が好きだ。
しばらくしてトゥーンとノイもやってきて、みんなで近所に新しく出来たというシンダート屋へ行った。
日も落ちて、少し肌寒いくらいの気温にまで下がったパクソンでのシンダートは最高だ。
パクセーから毎日いい肉とシーフードを仕入れているらしく、パクセーのシンダートと遜色ないくらいのクオリティで、美味しかった。
ラオスでは、食事に行ったときに割り勘にすることはあまりない。明らかに目上の人がいればその人が支払うし、友達同士でも、交代で誰かがまとめて支払うことが多い。
この日は、みんなの分をチャイとルーが2人で分けて支払ったようだった。
カフェに戻ったあと、まだ飲み足りていないらしいルーはチャイとケイさんを誘って、ビールを飲み始めた。
シュウくんは、今日は疲れていると言って、宿泊している近所のゲストハウスに戻って行った。
トゥーンはバイクでノイを家まで送っていった後、カフェに戻ってきて、飲んでいる輪に加わった。
私はお酒が飲めないのでチャイが淹れてくれたコーラを飲みながら、ラオス語と英語がミックスした男性4人の酔っ払いの会話を聞き流しながしている。
お酒が飲めない私は、こういう席にいるのは退屈だろうと思われるけど、そうでもなくて、意外と心地いい。
もちろん、私は見ず知らずの酔っ払いの話を心地よく聞くほど心が広い人間ではないので、この酔っ払いたちが私の愛すべき人たちだから、という前提なのだけれど。
さすがにパクセーまでの運転が心配なので、ビールの空き瓶が4本になったところで、後ろ髪を引かれているルーを促して、私たちはパクセーへの帰路についた。
ケイさんが帰国したあと、3月に入って1週間ほど、私とルーはビエンチャンに出張に行っていた。
パクセーに戻った後も、私は仕事が少し立て込んでいて、パクソンにはなかなか行けていなかった。
ルーは、ビエンチャンから帰った後も、相変わらず週に何度かパクソンに行っていて、カフェでシュウくんとりリーが一緒にいるのを何度か見かけたと言っていた。
3月の中旬ともなると、日中の気温も上がってきて、パクセーは暑い日が続くようになっており、そろそろパクソンに行きたいなあと思っていたところ、次の週末には帰国を控えていたシュウくんのために、今週末、カフェでバーベキューをやるからと、チャイからルーに連絡があった。
週末、私たちは、パクセーでワインを買って、チャイのカフェに向かった。
私たちはいつものようにバチアンカフェで軽くランチを済ませて、14時くらいにはカフェについたが、入れ代わり立ち代わり、色んな人が出入りしているようで、カフェの前庭ではビールをのみながら何かの肉を炭火で焼いている男性陣がいて、既にいい感じに酔いがまわっているようだ。
私も何か準備の手伝いでも、と思っていたが、チャイのお母さんも来ていて、トゥーンやノイだけではなく、コーヒーの組合関係の女性たちがせわしなく動いている。
私が何か手を出すと、逆に迷惑なりそうだったので、おとなしくカフェのカウンターに座って、カウンターの中にいるチャイに話かけた。
「シュウくんは?」
「今、シュウとリリーは買い出しに行ってるよ。もうすぐ帰ってくると思う」
「そう。久しぶりにチャイのコーヒー飲みたいんだけど、淹れてくれる?」
「もちろん」
そう言って、チャイはいつものようにコーヒーを淹れてくれる。
ルーはカフェの前庭で準備をしているトゥーンと何かを話したあと、カフェに入ってきて、買ってきたワインをカウンターに置いた。
「ワイン買ってきてくれたんだ。ありがとう」
コーヒーを淹れる手を止めることなく、チャイが言った。
「これ、この前飲んだら、美味しかったんだ」
チャイは、もともとワイン好きという訳ではなかったようだが、ルーがビエンチャンやパクセーで買ったワインをチャイへのお土産に持って来るようになって、一緒に飲むようになったらしい。
チャイの淹れてくれたコーヒーを飲んでいると、シュウくんとリリーが戻ってきた。
リリーはそのまま、カフェの外で準備している女性陣に交じっていった。
カフェの中に入ってきたシュウくんは、カウンターにやって来た。
「あ、ルーとマリーさん、サバイディ」
「サバイディ。もう既ににぎやかだね」
「僕もラオスでこんなバーベキューとか初めてなんですけど。チャイがセッティングしてくれて」
「今、鴨の準備してるから、夕方までには焼けると思うよ」
「おー、鴨あるんだー」
鴨肉好きのルーはうれしそうに言った。
「インターン、どうだった?」
「色々、勉強になりました」
「リリーとも、仲良くやってるみたいね」
「はい、元の関係に戻ったかというと分からないんですけど。でも、リリーが以前のように接してくれるおかげで、助かってます」
「ケオとかとは会った?」
「はい、この前、リリーが誘ってくれて、他のメンバーも一緒に滝に行ったんです。お互い何も言わなかったんですけど、普通に接してくれました」
「そう。やり残したことはない?」
「そうですね。色々あって、色々考えて、まだ何か結論みたいなのは出ないんですけど。でも、来て良かったって思ってます」
「そっか。また、来ると思う?」
「正直、まだよく分かりません。日本に帰ってみて、また色々考えて、それでもまた来たいって思うのか、どうなのか」
「そうだよね。後からじわじわ来る感情とかもあるしね」
「でも、どちらかというと、やり切ったっていうよりは、もっと何か知りたいことが増えたような気がしてます」
「一度日本に帰って、気持ちが落ち着いて、自分の中で熟成した後、それでも、やっぱりまたここに来たい、って思ったら、来ればいいよ。チャイはいつでもここにいてくれるし、私も多分いるから」
「マリーさんは、ここに永住するんですか?」
「うーん、なんか永住とか覚悟してる訳ではないんだけど、ルーと別れない限りはいるんじゃないかな」
「なんか言った?」
チャイと話していたルーがすかさず言った。
「なんでもないよ」
「なんでもないです」
私とシュウくんは笑って言った。
外の景色が夕陽で赤く染まり始めたころ、気付けば、カフェの前庭には20人近い人が集まってきていて、飲んだり食べたりしている。
ほとんどが組合関係の人たちで、センさんやリリーのお姉さんも来ているようだ。
リリーやケオたちはもちろん、他の若いメンバーも集まっていて、シュウくんはその輪に入っている。
ルーは、鴨肉を焼いているトゥーンたちの所に行って、ビールを飲みながら、楽しそうに鴨肉が焼けるを待っているようだ。
私とチャイは、そんな風景を見ながら、静かにコーヒーを飲んでいた。
「今回も色々あったね」
「そうだね。マリー、ありがとう」
「いえいえ」
「マリーがいてくれてよかったよ。ケイさんも、ルーもね」
「チャイも色々大変だったでしょ。トゥーンもケオとか若いメンバーと色々話してくれたみたいだし。シュウくんのために、こんなに人が集まって、みんな楽しそうで。結局は、チャイの人徳だよ」
「そんなことないよ。でも、こういう風景を見るのは、やっぱりいいね」
「本当に。私も、今、幸せだなあと思ってた。シュウくんに、ここに永住するのかって、さっき聞かれたんだ」
「なんて答えたの?」
「ルーと別れない限りは多分、って。日本人からすると、永住って言うとすごく大層なことみたいに聞こえるけど、私はそんなに大事だと思ってなくて。たまたま、自分にとって一緒にいて心地いい人とか場所とかがあるのがここだっただけなんだよね」
「でも、それって、実は結構ラッキーなことなんじゃない?自分にとって、心地いい場所とか人とか、見つからない人もいっぱいいると思うよ」
「そうだよね。私、ラッキーだよね」
「そんなマリーに出会えた僕もルーもケイさんもシュウもラッキーだよ」
「そうかなー。そうだといいんだけど」
「鴨肉、焼けたよ!マリーもチャイも食べようよ」
カフェの窓から顔を出して、ルーが言った。
「ルー、ラッキーだね」
「本当に、ルーはラッキーだよ」
私とチャイは、笑いながらルーに言った。
「何言ってんの?いいから、早く早く。美味しいから」
ルーはそう言って、鴨肉のところに戻っていった。
「ルー、ワイン飲む?」
チャイが前庭にいるルーに聞いた。
「飲む飲む。開けておいてー」
チャイはワインを開けて、グラスを2人分用意して、私にはコーラを入れてくれた。
そこにルーが鴨肉や美味しそうな焼き野菜をたくさんお皿に乗せて、持って来た。
私たち3人は乾杯して、焼き立ての鴨肉を食べた。
外はもう夕陽も沈みかけて、徐々に空が暗くなってきていた。
パクセーは夕方でもまだ蒸し暑い時期になったが、パクソンは、まだ肌寒いくらいまで気温が下がる。
この少し冷たい空気を肌で感じながら、やっぱり、今の私にとっての心地いい居場所はここなんだと、再確認していた。
(おわり)