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ティピカの香りに癒されて (1)

昨日は、今年一番の寒さで、パクセーでも気温が12℃まで下がった。パクソンは、おそらく一桁台の気温まで下がったはずだ。

夫のルーは長袖の上にパーカーを着て、さらにダウンジャケットも用意している。

私は、長袖のカーディガンを羽織り、ウールのストールを持って行くことにした。

日本人の私にとっては、若干肌寒いとは言え、ダウンを着るほどではない。ただ、日が落ちると一気に寒くなるのは経験済みなので、こういう時はストールを持参することにしている。

ラオス人の夫にとっては、極寒の地に向かう心境なのだろう。

パクセーを昼前に出て、途中の「バチアンカフェ」で、まずはランチ。

2人でパクソンに行くときには、ここでランチをするのが定番となっている。

カフェがパクソンで自家栽培しているコーヒー豆を使ったコーヒーが飲めるカフェだが、カニのスープで食べるカオピヤックが有名で、パクセーから約15Kmも離れているのにも関わらず、パクセーからわざわざ来た人や、パクソンに向かう観光客などで、いつも賑わっている。

カニのカオピヤックは、少しとろみのついたオレンジ色のカニのスープが、太目でもちもちの麺に絡んで、とても美味しい。肌寒い時には、余計に身体に染み渡る。

私はお酒を飲まないので分からないけれど、しょっちゅう二日酔いしている日本人の知人いわく、二日酔いの次の日には、このカオピヤックのスープがたまらないらしい。

身も心もぽかぽかになった私たちは、パクソンへの道中のお供に、夫はライムソーダ、私はカフェオリジナルのコーヒーゼリーの入ったコーヒーシェイクをテイクアウトして、パクソンへ向かった。



「バチアンカフェ」から車で約30分。

私たちは、パクソンの中心地にある「ディーカフェ」に着いた。

「サバイディ、チャイ。昨日は一段と涼しかったねー。パクソンは寒かったでしょ?」

「気温が5℃まで下がったよ」

「えー!パクセーでも10℃くらいまで下がったらしいからね…」

「いつものティピカでいい?」

「ルー!ティピカでいいよねー?」

「あー、さっむー。早くあったかいコーヒー淹れてー!」

「オーケー」

「昨日、パクソン、5℃だったらしいよ」

「ほんと?」

「今年1番の寒さだったよ」

会話をしながらも、チャイの手は止まらない。コーヒー豆の重さを測り、ポットのお湯を沸かし、コーヒーカップを温める。着々とコーヒーを淹れる作業が進んでいく。

カウンター席で、チャイが丁寧にコーヒーを淹れてくれるのを見るのが、私はとても好きだ。

この一連の作業を見ていると、なぜだか心が落ち着いてくる。

毎回、同じ作業だけれど、注意深く、確実に、丁寧に行うことの美しさに、なんだか安心するのかもしれない。

チャイがコーヒーを淹れる工程を初めて見た時のことを思い出した。

1杯のコーヒーに、こんなにも真剣に向き合って、集中して、淹れる人を初めて見た。

もしかしたら、これまでにも、そういう人が淹れてくれたコーヒーを飲んでいたのかもしれないし、私が気付かなかっただけなのかもしれない。

パクセーに住むようになって、観光や仕事でパクソンにも来るようになり、コーヒーというものがが身近になった。

焙煎されたコーヒー豆が出来上がるまでに、どれだけの時間と手間がかかるかを知った。

だから、いちから自分で育てたコーヒーの木から収穫したコーヒー豆を使ってコーヒーを淹れる作業が、余計に愛おしく感じるのかもしれない。

コーヒーのいい香りがしてきた。

一旦お湯で温めたコーヒーカップにコーヒーが注がれる。

2杯のコーヒーを注いで、残った分は、コーヒーサーバーに入れたまま、置いておいてくれる。

いつも、少し多めに淹れてくれるのがうれしい。

先週、店内にある焙煎機で焙煎したばかりだというティピカの豆で淹れたコーヒーは、雑味がなく、すっきりした味わいで、冷えた身体に染み渡る。

「マリー、ちょっとお願いがあるんだけど」

コーヒーの香りをかいで、一口飲んだところで、チャイが言った。

「うん、なに?」

「来月、うちの協同組合に日本人の学生がインターンで来ることになったんだ」

「また?」

「一度、断ったんだけど、どうしても、って頼まれちゃって」

「そっか」

「それで、前回みたいなことにならないように、今回はマリーが少し手伝ってくれない?たまに様子を見にきてくれるだけでいいんだけど…」

あれから、もうすぐ1年か…

あの子はどうしているだろうか。

結局、あまりいい気分じゃないまま、日本に帰国してしまった日本人の学生のことを思い出した。

「ルー、どちらにしろ、週に何度かはパクソンに来るし、いいよね」

「いいんじゃない。チャイもその方が安心でしょ」

「そうだね」

「ところで、今日は仕事?」

「うん、3月にビエンチャン出張が決まってるんだけど、その前にちょっと調べることがあって」

「コーヒー関係?」

「いや、今回は農業全般みたい。そう言えば、ケイさんは、今度いつ来るって?」

「ああ、ケイも来月、来るって連絡があったよ」

「そう、久しぶりに会えるね。楽しみだなあ」

ケイさんは、日本のコーヒーの商社のスタッフで、主に買い付けを担当している。普段はタイに住んでいて、東南アジアでのコーヒーの買い付け担当をしているので、年に何度かパクソンにやってくる。

ケイさんの奥さんはタイ人で、私の夫がラオス人ということで、少し境遇が似ているからか、なんとなく話が合う。もともと、ベースにある価値観が似ているのかもしれない。

それぞれの生活のこと、コーヒーのこと、コーヒーを作っている人たちのこと、そして、それらと自分たちがどうやって関わっていくかということ。

そういうことをちゃんと話せる人って、意外と少ない。

だから、年に数回しか会えないけど、ケイさんは、私にとっては貴重な友人なのだ。

「そう言えば、チャイ、クリスマスはどうしてたの?」

「特に何も。マリーは?」

「パクセーホテルのクリスマスディナー。ここ数年は毎年、パクセーホテルだね。最近は、他のレストランとかもクリスマスディナーとかやり始めて、ラオス人も結構行ってるみたいよ」

「へー。パクソンは、相変わらず、若者が飲み会するくらいなもんだよ」

「ラオス人は、ビールを飲みむ理由づけになるなら、なんでもありだもんね。クリスマス、西暦のお正月、ベトナム正月、そしてラオス正月…」

「さすが、マリー。よくお分かりで」

横でチャイの弟トゥーンのとクリスマスの飲み会の話をしていたルーが、すかさず話に入ってくる。

「日本人だって、クリスチャンじゃないのにクリスマスやって、ニューイヤーズイブはお寺にいって、ニューイヤーはシントーだっけ?」

「神社ね」

「そうそう、ジンジャに行くじゃん」

「似たようなもんだね」

「ほんと、節操がない」

「どちらも、いいものはなんでも取り入れる柔軟な国民性ってことよ」

チャイは、コーヒー農家の協同組合の代表もしていて、日本のコーヒー商社とも長い付き合いがある。その関係で、日本にも行ったことがあるし、日本人の知り合いも多い。

なので、私の夫であるルーよりも、むしろ、日本のことを知っている。

そして、日本人らしさというのものが、勤勉であったり、真面目であったり、丁寧であったりするのならば、チャイ自身のキャラクターが、日本人である私よりも日本人らしいと思うことさえ、たまにある。

何をもって、日本人らしいとかラオス人らしいとか言うのかと問われれば、非常にあいまいで極めて主観的なことなんだと思うのだけれど。

「今日は、これからどこか行くの?」

チャイの問いにルーが答える。

「この後、この前、新しくオープンした観光農園を見に行ってみようかと思ってて」

「ああ、あそこのオーナー知ってるから、連絡しておいてあげようか」

「ほんとに!?ありがとう。助かるよ」

チャイは、あまり八方美人なタイプではないし、なんなら、ちゃんと人を選んで人付き合いをしているようなタイプなのだけど、なぜだか、いろんな分野の人に頼られたりして、結果的にとても顔が広い。

こういうのを人徳というのだろう。

私たちもコーヒーのことやパクソンのことで何か困ったことがあったら、とりえずチャイに相談してしまう。

ラオス人でありながら日本人のことも知っているので、公私ともに相談しやすくて、ついついこのカフェに来てしまうのだけれど、たとえ相談ごとがなくても、この居心地のいい空間でチャイの淹れたコーヒーをゆっくりと飲むだけで、帰る頃には心が満たされてしまうのだ。

早速、チャイが農園に連絡してくれて、今なら農園のオーナーがるというので、すぐに向かうことにした。

「チャイ、いつもありがとうね」

「お互い様だよ。インターンのこと、よろしく。ケイにも聞いて欲しいから、ケイが来たら、また詳しく話させて」

「オーケー!!じゃあ、よいお年を」

「ソックディピーマイ」

「ソックディピーマイ」

ルーもチャイに年末の挨拶をして、私たちはカフェを後にした。



カフェを出て、車で10分ほど行ったところにある観光農園に着いた。

パクソンは、もともと、コーヒーだけではなく、野菜の一大生産地でもある。

標高が高く、1年を通して涼しい気候と、豊富な雨量のおかげで、ラオスの気温が高い平地では栽培の難しい種類の野菜を栽培することができる。

最近は、イチゴなどのフルーツやレタスなどの野菜を栽培して販売すると同時に、敷地内で採れたフルーツや野菜などを使った料理が楽しめるカフェやレストランを併設したり、訪問者が収穫体験をすることができる施設もある観光農園が相次いでオープンしている。

ラオス人はSNSに写真を投稿したりするのが好きな人が多く、いわゆる「インスタ映え」するスポットが人気になる傾向があるので、敷地内にはきれいな花や植物を植えたり、ベンチやモニュメントなどアイキャッチなスポットを設置することで、多くのお客さんを集めることができるのだ。

外資が参入するほどのマーケットではないけれど、ラオス人の行動や購買傾向を感じるには、いいスポットだと思う。

チャイが連絡しておいてくれたおかげで、オーナーのラオス人のおじさんとも会って話を聞くことができて、もし日本人が視察に来る場合には、話を聞かせてもらえることになった。

農園内を一通り見学して、帰りに、新鮮な野菜をたくさん買って、農園を後にした。

その後、私たちは、自分たちのコーヒー農園に向かった。

2年前、パクソンに小さな土地を購入して、コーヒーの木を植えたのだ。

今はパクセーに住んでいるけど、将来的には、農園の敷地内に小さな家を建てて、こちらをベースに住みたいと思っている。

買った土地は整備されていなくて、森みたいな状態だったけど、敷地内に小さな川が流れていて、それが私もルーも気に入った。将来建てる家は、この小川の側に建てるのだ。そうすれば、水の流れを聞きながら眠ることができる。朝、起きたら、まだ靄がかかっている中、川の上に張り出したテラスでコーヒーを淹れる。

そんな夢みたいな生活。日本にいる時には想像もできなかった。

ゴージャスなタワーマンションに住んで、マンション内のプールやジムで汗を流し、キッチンは広々としたシステムキッチンで、買い物は近所の高級スーパー。

そんな生活とは対極にあるような生活だけれど、今は、将来の目指すべき生活像が見えて、むしろ充実している。

そして、そんな生活をするために、今は頑張って働こう、と思える。

コーヒーの木に実が成って収穫できるようになるのは、植えてから、3年後くらいから。

今年、私たちの植えたコーヒーの木にも、少し実が成ったけれど、木の成長に養分をまわすために、実は赤くなる前に摘んでしまう。

普段、パクソンに住んでいない私たちの代わりに、チャイの弟のトゥーンが、たまに農園を見てくれていて、何かと世話をしてくれているので、助かっている。

このコーヒー豆で儲けようとかいう訳ではなく、というか儲けられるほどの広さでもないのだけれど、自分の手で一からコーヒーを育ててみたかった。

夫のルーは、私と出会う前、パクソンの最大手のコーヒー農園で働いていた経験があったおかげで、有り難いことに、色々コネクションがあって、必要な設備や道具、育てるための技術や知識などを、各方面の専門家に助けてもらっている。

その中でも、一番お世話になっているのがチャイなのだ。

こんなにも恵まれた環境でコーヒーを育ててみるという貴重な経験ができている私は、きっと幸せなんだろうなあと思っている。

来年は、少しでもコーヒーの実を収穫できれば、豆の処理や加工も自分たちでやって、自分の農園で採れたコーヒー豆でコーヒーを淹れるのが、今から楽しみでしょうがない。

コーヒー農園に着くと、一応簡易的に作った柵に設けた門を開けて、車で敷地内に入り、家を建てる予定でそこだけ木を植えていない空き地の場所に車を停める。

車から降りると、空気がひんやりしていて、涼しいというより少し肌寒いくらいだ。

家を建てる予定の場所の近くには、大きな木を何本か切らずに残しているので、ちょうど日蔭になっている分、余計に空気が冷たい。

小川の水の音を聞きながら、大きく深呼吸をする。

今この瞬間、私の吐いた二酸化炭素を木々が吸って、代わりに新鮮な酸素を放出してくれているようなイメージが頭に浮かぶ。

少し森林の中のような香りのする、この澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込む、この瞬間が大好きで、身体の中にある沈殿した澱のようなものをキレイに流してくれるような気分にさえなる。

ルーは、コーヒーの木をチェックしながら農園を一回りして、車のところまで戻ってきた。

「さっき、トゥーンとも話したけど、問題なさそうだね」

「ここのところの寒さで、ちょっと心配だったけど、大丈夫そうで、よかったよ」

「寒くなってきたね」

「ね。気持ちいいけど、ちょっと身体が冷えてきた」

「帰ろっか」

「うん。今日は、シンダートでも食べに行く?」

「いいね。乾季の寒い時はシンダートに限る」

シンダートというのはラオス式の焼肉で、ジンギスカンのような鍋の中央で肉を焼いて、周りはスープを入れる溝になっている。そこに野菜などを入れて煮て食べるので、焼肉と鍋を両方楽しめるのだ。

私たちが農園を出たのは、17時近くになっていた。

パクセーとパクソンを結ぶ16号線は、東西にまっすぐ走っているので、パクソンからパクセーに向かう時、ちょうどいい時間帯にあたると、とても美しい夕陽を見ることができる。

今日も、乾季らしい、真っ赤な燃えるような夕陽を見ることができて、身体も心も温かくなるような気がしていた。


(つづく)


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