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喪失と沈黙。能登半島地震を遠隔地で被災した心の作業。

状況も感情も刻々と変わる。こくこくこくこく

1月1日のこと

友人に電話をかけた。私が被災地である珠洲に住んでいることを知ってくれている友人。しかし、あらゆる方面への考えや思いが捉えどころもなく私を取り巻いていて、言葉にならない。その沈黙のなかにある私という存在の広大さがなかなか伝わらない。あまりに広大すぎて、どこを切り取って言葉にすればよいのかわからない。だから何も伝えられないし、電話やLINEだからなおさら、相手にとってはただの沈黙でしかないようだった。たしかに支えが必要だった。言葉にならないものが「ある」ということが伝わらず、簡単に切り捨てられてしまう。心配してもらうことって難しい。「心配してよ」と言えばいいのだろうか。

地震が起こったとき、私は京都 天橋立に滞在していた。現地から私の住まいが半壊し立ち入ることは危険だと聞いていた。「家の荷物はもうダメかも」と話すと「大事な物は持ってきた?」と聞かれた。

大事なものってなんだっけ

と混乱すると同時に、まるごとが大事なんだけど、とも思った。まるごとであることを損なった。そのことへの無理解に私は口ごもる。この怒りをもって、私は自分の悲しみに触れた。

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