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心にぽっかり穴が空いたはなし 

今日、唐突に心にぽっかり穴が空きました。
話すと長くなるのですが、自分の心の整理をするためにもここに記そうかと。

結果から言うと、実の父が亡くなっていたことに今日気づいた、わけなのですが。
それってどうゆうこと?って感じですよね。

私の母は、私が3歳くらいの時に父と離婚していて、私はそれからずっと父に会ったことはなかったんです。写真で見たことはあるので、父のイメージだけはありました。父には会ったことなかったのですが、父方のおじいちゃんの家には、母とたまに行ったりしてたんですよね。

そんな父方のおじいちゃんが私が中学の時に亡くなって。
おじいちゃんの葬式の時に、初めて?父と顔を合わせました。
今でもその時の映像は記憶になんとなくは残っているんだけど、何か会話したかな?とか何故か全然覚えていなくて・・・。というか記憶から消し去ったのかもしれない。

というのも、私の父は世間的に見て、しっかりしている人とは言えず・・・
そんな父の、人としていたらない部分の話は、私が高校生くらいになってから母から聞いてはいたのですが。祖父の葬式で会った時も、酒を飲みすぎて酔っ払い、酒が入ったコップを祖父の遺影に投げつけていた映像と祖父に対してのどうして死んでしまったんだ!という怒りの声だけが私の記憶として残ってしまっている、という状態です。そんな父だから、私の腹違いの姉や兄とも疎遠なわけで。

元々、私の父も複雑な人生?を歩んでいて。養子として育てられたので、祖父も私の父にとっては実の父ではないのですが。私が祖父に会うのは数ヶ月に1度で、祖父がどんな人だったのか、どんな人生を歩んで、どんなふうに私の父を育てたのか、というのは詳しくは分からないけれど、私にとっては普通の優しい祖父でした。

そんな祖父に育てられた私の父は、私が言うのもなんですが、事実見た目もスラっとしていて長身で、おしゃれで高いスーツを着こなす、なかなかのイケメンで、まさに昭和のプレイボーイ。私の母は3番目の結婚相手だったんです。若い頃の写真を見ると、まぁ、モテそうな感じの父でした。

私には腹違いの兄弟、姉と兄がいて。姉のことも祖父が育てていましたね。歳は私と10個以上離れていたので、私が小学生の頃には高校生で、祖父の家に暮らしていて、そこにたまに?父が帰ってくる、みたいな生活だったのかな。その頃は、私の母も離婚しています。兄の話も聞いたことはありますが、名前だけ知っていて見たことはありません。

そんな感じの関わり方だったので、中学生の時の祖父の葬式で初めて会った以来、会ったこともなかったし、正直会いたいと思ったこともなかったですね。

それが、どうして今回「父の死」を唐突に知ることになったかと言うと、
私の母方の父(私のおじいちゃん)の家の建て替えがあって、私は母が亡くなっているので、私の戸籍謄本や、私が母と父の娘であることを証明するために相続などもろもろの確認のため、父の戸籍謄本が必要になったんです。

私の戸籍謄本と、母の除籍謄本(亡くなっているので)で、父の本籍住所が確認できるので、それで父の戸籍謄本を取るべく今日役所に行ったわけですよ。
父の本籍は私の戸籍謄本で知ることはできましたが、それ以外父の生年月日など知るはずもなく。しかし、事情を話し、記入しなくても、書類は取れたわけですが。

そしたら、父の戸籍謄本で、父が今年の5月に亡くなっていることが判明したんです。なんとも複雑な気持ちでした。会いたいと思ったこともなく、正直自分の親としての父の存在を感じたこともなかったんです。でも、「どこかで生きている」って当たり前に思っていたからか、「亡くなっている」という事実を知って、心にぽっかり穴が空いたような、でも悲しい、という感情ともまた違うんです、本当に心が「無」というか、虚しい、が近いのかな。

母が亡くなった時、私は自宅に連れて帰り看取りをしたのですが、父の最後はいったいどうだったんだろう?70代で亡くなったってことは病気をしていたんだろうか?再婚はしていないので、でも寄り添うパートナーはいたんだろうか?誰が亡くなった後の手続きをしたんだろうか?などいろいろ想像しても答えが出ないコトを考え始め、頭がぐるぐるし、でも心は空っぽ状態で、何もする気が起きず。

母が亡くなった時、父は母の死も知らないまま生きてるんだよな、伝えたほうがいいのか?でも知らせる方法もないし、今さら、、知らせるべきかも分からないしってことでちょっともやっとしていた時期もあったのですが。

母が亡くなった年に長男が生まれ、母には孫を見せることができたんです。私の勝手な想像だけど、父は周りから見たら、幸せな暮らしはできていなかったんじゃないか、って勝手に思っていて。お金のことやいろいろね。。

でも、そんな父でも、あなたの3人目の孫が産まれるよって伝えたら、きっと喜んでくれたんだろうか。そんなことを想像してしまった。父がどんな暮らしをして、どんな最後を迎えたのかいくら想像しても分からないんだけど、自分のルーツである「親の死」というのはやはりどんなに会っていなくても、思い出がなくとも、複雑に悲しいものです。

来月出産を控えている今のタイミングで知った、父の死。産まれてくる命と亡くなる命。私が今ここに生きていて、息子たちに出会えたのは、紛れもなく父と母がいてくれたから。

父のために私は何もできなかったかもしれない。父のことを特に恨んだり、嫌になったりしたことも逆になく、存在を愛おしく感じたり、寂しくなったりしたこともない。でも、母が愛して一緒になった父、そして生まれた私。母が父との交際中のキラキラした話を聞いて、とても楽しかったのを覚えている。

そんな私のルーツである二人がもうこの世にいないと思うと、とても悲しくなった。離れていても、記憶がなくても、はやりどこかに自分と近い存在が生きているってだけで、無意識に支えになっている部分があったことに気づきました。

父がどんな人かも分からないし、若い頃の写真のイメージしかないので、すれ違っても気づかないかもしれない、もしかしたら会ったら後悔するようなことになった可能性もあるけど。わたしの心がそう感じているのだから、きっとそうなのだと思う。

亡くなった事実を知った時、「無」の感情だと思っていたけれど、わたしはショックで悲しかったんだ。だから、自分の心を整理するためにここに記しているんだと思う。実の父の死を知ることさえできなかった。今回のこのタイミングで父の死を知ることはきっと運命だったんだろうと思う。

父は亡くなってしまったけど、生まれて初めて父に「ありがとう」と伝えたい。あなたがいたから、私が生まれて、そして大切なかけがえのない家族を持つことができたよ。私は一人っ子で母が亡くなった時もすごく孤独を感じたけど、もう大丈夫。母と父の分まで幸せに生きるよ。ありがとう。


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