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孔子先生は、食べ物にうるさい

儒学の祖、孔子先生の言行をまとめた本、論語に不思議な一節があります。

・教訓に混じった先生の生活

食(いい)は精(しらげ)を厭(いと)わず。膾(なます)は細きを厭わず。食の饐(い)して餲(あい)せると魚の餒(あさ)れて肉の敗(やぶ)れたるは食らわず。色の悪しきは食らわず。臭いの悪しきは食らわず。飪(じん)を失えるは食らわず。時ならざるは食らわず。割(きりめ)正しからざれば食らわず。其の醤 (しょう)を得ざれば食らわず。肉は多しと雖(いえど)も、食の気に勝たしめず。唯だ酒は量なく、乱に及ばず。沽(か)う酒と市(か)う脯(ほじし)は食らわず。薑(はじかみ)を撤(す)てずして食らう、多くは食らわず。公に祭れば肉を宿(よべ)にせず。祭の肉は三日を出ださず。三日を出ずればこれを食らわず。食らうには語らず、寝ぬるには言わず。疏食(そし)と菜羮(さいこう)と瓜(うり)と雖も、祭れば必ず斉如(さいじょ)たり。

論語 郷党編 第十の八

全文をざっと訳すと、

・飯は白くてよく、膾(刺し身)は細くていい。
・飯や魚が腐ったり、色が悪かったり、匂いが悪ければ食べない。
・煮方が悪いもの、旬でないもの、切り方がきれいでなかったり、味付けが違うと食べない。
・肉の量は飯より少なく、酒の量は酔いすぎない程度、よそで買ってきた酒と干し肉は食べない。
・しょうがは捨てずに食べるが多くは食べない。
・祭祀で使った肉は早めに食べる。
・食事時、寝るときはしゃべらない。
・粗末な食事でも、お供えするときは丁寧に。

郷党第十の八をざっと訳したもの

もうね、ただ孔子先生の食事の話だけの項目。
腐ったものを食べないのは当然としても、切り方が悪いとか、旬でないとか、煮方が悪いとか言って食べないという話が、なぜ他の教えに混じって記録されているのか。

・古典は修正不可

鍼灸学校では東洋医学の基礎となる古典を読みます。
いちばん有名なのが黄帝内経素問と霊枢。

この本、2000年前に成立したものですが、できてから一箇所も修正されていない(とされています)。変更部分らしいところがあると「後世の竄入」(後世の人が、まがい物を混ぜた)という扱い。

科学の世界なら、古い知識はどんどんと更新されてゆくものですね。しかし中国古典の世界では、新しいものは基本的には悪いものとされています。

というのは、
「古典とされている本は聖人が書いたものなので、一切の誤りがない」
と考えるのです。
修正の権利を持っているのは、その聖人以上の人だけ。もちろんそんな人はいるわけがないので(相手は伝説だ)、少々変なところがあっても修正されないまま何千年も伝えられるのです。

東洋医学の世界では、今でも黄帝内経などの古典には、一切の誤りがないことになっています。
黄帝内経にかかれていない治療を提唱した人が
「古典に載っていない治療だから、そんなものには意味がない」
と言われたことがあるほど(昭和の名灸師、深谷伊三郎の体験談)。

・作られた当時の姿を忠実に残したのか

論語の内容は全体にまとまりがなく、雑多。
並んで称される孟子が、しっかり構成された感じなのと対象的です。

思うに、論語は孔子先生にまつわる思い出話をまとめたものではないかと。
思い出すことを全部まとめたあとで価値が高くなり「これ、ホントはいらないのでは?」と思っても、誰も口にできない状況。

その結果が、こういう扱いに困る項目ではないかと考えるのですが、どうでしょうか?


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