孔子先生は、食べ物にうるさい
儒学の祖、孔子先生の言行をまとめた本、論語に不思議な一節があります。
・教訓に混じった先生の生活
全文をざっと訳すと、
もうね、ただ孔子先生の食事の話だけの項目。
腐ったものを食べないのは当然としても、切り方が悪いとか、旬でないとか、煮方が悪いとか言って食べないという話が、なぜ他の教えに混じって記録されているのか。
・古典は修正不可
鍼灸学校では東洋医学の基礎となる古典を読みます。
いちばん有名なのが黄帝内経素問と霊枢。
この本、2000年前に成立したものですが、できてから一箇所も修正されていない(とされています)。変更部分らしいところがあると「後世の竄入」(後世の人が、まがい物を混ぜた)という扱い。
科学の世界なら、古い知識はどんどんと更新されてゆくものですね。しかし中国古典の世界では、新しいものは基本的には悪いものとされています。
というのは、
「古典とされている本は聖人が書いたものなので、一切の誤りがない」
と考えるのです。
修正の権利を持っているのは、その聖人以上の人だけ。もちろんそんな人はいるわけがないので(相手は伝説だ)、少々変なところがあっても修正されないまま何千年も伝えられるのです。
東洋医学の世界では、今でも黄帝内経などの古典には、一切の誤りがないことになっています。
黄帝内経にかかれていない治療を提唱した人が
「古典に載っていない治療だから、そんなものには意味がない」
と言われたことがあるほど(昭和の名灸師、深谷伊三郎の体験談)。
・作られた当時の姿を忠実に残したのか
論語の内容は全体にまとまりがなく、雑多。
並んで称される孟子が、しっかり構成された感じなのと対象的です。
思うに、論語は孔子先生にまつわる思い出話をまとめたものではないかと。
思い出すことを全部まとめたあとで価値が高くなり「これ、ホントはいらないのでは?」と思っても、誰も口にできない状況。
その結果が、こういう扱いに困る項目ではないかと考えるのですが、どうでしょうか?