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二宮翁夜話 巻之一、第六節 「己に克つ」は、目的があるから尊い

自分の勉強も兼ねて、二宮翁夜話についての不定期投稿。ニワカのやることなので、読み間違いなどありましたら、ご指摘いただけると助かります。

・最初に

この節は、いわゆる「克己」の話。「己に克て!」の世界です。

強いですよね、己。
なかなか勝てません。素晴らしいライバルです。

・抄訳

人には欲があり、田畑には雑草が生え、橋や堤は古びて壊れてゆく。これはすべて止めようのない天理の働きである。
そこで人は、暮らし良いように天理の一部に逆らう。すなわち欲を抑え、雑草を除き、橋や堤を修繕することを人道とするのである。

永久不変の天理とは異なり、人道は自然には保てない。そこで、人道を維持する努力は尊いのである。

人道で勤めるべきは「己に克つ」ことである。
己とは私欲であり、心の田畑に自然と生えてくる欲という雑草を取り去って、米麦(良いもの)を茂らせるのが「己に勝つ」ことである。

・感想

天の理は、世の中のすべてのものを育て、また滅ぼします。
天の働きには善悪も差別もありませんが、人の目から見ると、都合の良い働きと悪い働きがあります。良い働きだけを得て、悪い働きを人の力で防ぐのが人道です。

欲も天のものですから、それ自体は悪いものではありません。だから
「欲を滅せよ」
とはいいません。

ただ欲が独り歩きすると、人の生活に差し支える。生活を守り豊かになるために、克己が必要。勤めることを尊いとしているのです。

あくまで、人の生活を守るという目的あっての克己です。
体育会系部活の「強くなるために己に克て!」みたいなもの?

・原文

翁曰、天理と人道との差別を、能(ヨク)弁別する人少し、夫(それ)人身あれば欲あるは則(スナハチ)天理なり、田畑へ草の生ずるに同じ、堤は崩れ堀は埋(ウヅマ)り橋は朽(クチ)る、是(これ)則(すなわち)天理なり、然れば、人道は私欲を制するを道とし、田畑の草をさるを道とし、 堤は築立(ツキタテ)、堀はさらひ、橋は掛替(カケカヘ)るを以て道とす、此(かく)の如く、天理と人道とは格別の物なるが故に、天理は万古変ぜず、人道は一日怠れば忽ちに廃す、されば人道は勤(ツトム)るを以て尊(タフト)しとし、自然に任ずるを尊ばず、夫(それ)人道の勤むべきは、己(オノレ)に克(カツ)の教(オシヘ)なり、己は私欲也、私欲は田畑に譬(タトフ)れば草なり、克(カ)つとは、此田畑に生ずる草を取捨(トリスツ)るを云(いう)、己に克つは、 我心の田畑に生ずる草をけづり捨(ステ)、 とり捨て、我心の米麦を、繁茂さする勤(ツトメ)也、是を人道といふ、論語に、己(おのれ)に克(かち)て礼に復(カヘ)る、とあるは此(この)勤(ツトメ)なり

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