川や海が道だと思って地図を見ると、見え方が変わった
地図を見ているときに、陸地をたどって移動するコースを考えませんか?
で、コースの途中に川や海があると「邪魔だな」と思ったりして。
これは現代人の感覚なんだなと今頃になって気づきました。
・山はすごい障害物
福井県に一乗谷遺跡があります。朝倉氏が支配し、織田信長によって滅ぼされた町ですが、昔の街の跡がそのまま埋まっていたというポンペイみたいな場所(トップ画像は一乗谷の再現遺跡。埋まっていた土台の上に、当時の家が再現されています)。
その一乗谷は、街全体が敵の侵入を防ぐ要塞になっています。といっても、実際には山に挟まれた谷間の上と下を門で塞いだだけ。
つい考えてしまうのは、両側の山を越えればすぐに入れるのではないかということですが、これが現代人感覚なのだと気づいたのは少ししてから。
現代人にとっては、陸には道が通っていて当たり前。しかし、平らで幅広く、車が走れるような道は近代までまったく存在していませんでした。
あちこちに残っている旧街道を歩いてみると、人がようやくすれ違えるくらいの幅しかないのが普通。
しかも、そうした旧街道は、当時としては通りやすいところを選んでできた道です。そう考えると、道でないところを通るのはめちゃくちゃに大変。
山だけでも十分に防衛になるわけです。
・川、海は単なる障害物ではない
逆に、川や海は単なる障害物ではありませんでした。
先程書いたように、昔の道はすれ違いがやっとで起伏も激しい。車輪もない時代、荷物は牛馬に積むか、人が運ぶしかありません。陸上の道では大量輸送ができないんですよね。
すると、基本的には平らで(水面だから)、船という形で多くのものを積み込める川・海は、唯一の輸送手段だったのです。
・地図を見直すと
そういう目で地図を見てみると、見え方が変わってきます。
とくに変わるのがヨーロッパ、アフリカ。
ヨーロッパの南半分をつなぐ地中海と黒海、わざとのように大陸に切れ込んでいる紅海。これが全部道路として機能すると考えると、ギリシャ・ローマやエジプトの発展がよくわかる。
イスラム勢力に紅海を押さえられて、しかたなくバスコ・ダ・ガマが喜望峰を回ったという話も納得。
日本の場合も、京都が重要だった理由がわかる。
琵琶湖の北側は日本海から20キロしか離れていません。深坂峠という峠道(けっこう高い)を超えさえすれば、琵琶湖から宇治川を通して大阪湾、太平洋まで水運がつながります。
先程の福井県一乗谷の発展も、水運があればこそ。
・現代でも大事な水運
いまでも日本の輸出入の99%以上は船によって運ばれているそうです。
奈良みたいに、海も大河もないところに住んでいると忘れがちなんですけど。
つい現代感覚で考えて、昔を理解し損なうことは多いような気がしますね。
歴史を見るときには、もっと注意しようと思ったのでした。