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「私性別とかほんとにどうでもいいと思ってるから」とか言いながら“女”に価値を見出そうとしてる奴っているよねって話。

 まず最初に言わせてもらうが、私もそうだ。だから、これを悪いと言っているわけではない。中高女子校で女だらけの学校で育ってきた。女子校育ちなだけあって、同性愛にもそれなりに理解があるつもりではある。さらに言えば、私は人生で一度も恋愛感情を持ったことがない。同性だろうと、異性だろうと、恋してるインスタのストーリーとかを見ると良いなぁと羨ましく思うと同時に、少し怖くなる。父親、幼馴染、たまたまラインを交換した他校の後輩。私の最近のトーク履歴にいる男はたったの3人だけ。当たり前に恋愛とは無縁の生活を送っている。基本、女子校の中高一貫生はかなりガツガツしていない限り、ほとんどがこうだ。

 私は女である自分に執着している自覚がある。着たい服着て、やりたいメイクして、髪の毛を伸ばして。そういう自分が好きだ。女であることに執着しているとは、そういう自分である必要があると思っていることだ。結果、それに縛られてる。女である自分に本来ありもしない要素を足していき、価値を見出そうとしてしまう。

 ツインテールにぱっつん姫カット、うっすら色づく桃色のリップ。いかにもな女の子になりたかった。

 もともとショートカットだったから尚更憧れがあった。黒い服が多かった小学校から、中学できっと世の中の女の子ってこんな格好してるよねみたいな感じになって、高校でメイク始めて量産とか地雷とかになった。

 女の子女の子したい。女子高生になりたい。ただただそれが全て。やっぱり自分が女であることに執着してる。

 でも、来世も女性として産まれたいかというとそうではない。ただ、男性として産まれたいというのも語弊がある。

 女装男子が好きだ。女の子の見た目から発せられる荒い言葉にグッとくる。これは、男の人に限らない。男性的な言葉遣いの女の子にもグッとくる。

 おそらくこれはオタクが推しの女装を見てキャーキャーいうあれとは少し違う気がする。


 きっと私のこれは、憧れだ。

 私は自分となりたい姿が遠くなかった。女の子として女の子になれてしまう。頑張れば理想に近づける。

 近づけようとする努力に意味がある。ほんとうに性別なんてどうでもいい。女性が男性に近づこうとするのも、男性が女性に近づこうとするのも、もちろん女性が女性へ、男性が男性へ。

 だから、私も同じように自分のなりたい姿に近づこうとしているだけ。たまたま、それが女だっただけ。けど、それは決して当たり前じゃない。

 見た目が中身とそぐわなければならないなんて誰が決めた。やりたい格好して、好きな言葉遣いして、好きなように生きる。

 理想は人それぞれ。それこそ昨今叫ばれている多様性とやら。

 私は今の自分を好きだと言える自分になりたいから、今日もスカートを履く。


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