「音を超えたプレーヤー 喜多美結選手とデフテニスへの挑戦」 デフテニスプレーヤー全豪オープン シングル3位、ダブルス優勝
「HUMAN」シリーズ1回目となる今回の取材は、デフテニスプレーヤーの喜多美結選手をお迎えし、全豪オープンでのシングル3位、ダブルス優勝の結果を残した強さの秘訣をインタビューしています。
喜多選手の真の強さだけでなく、生い立ちや仕事への姿勢もご紹介します。
取材:YYProbe開発してる人、YYコンサルタント きよっち
1.強さ、そして全豪オープンでの成功
◇全豪オープン、シングル3位、ダブルス優勝おめでとうございます。応援してくれるファンの皆さんへメッセージをお願いします。
今回は全豪オープン2回目の出場ということで前回の経験もあり、前回ほどプレッシャーを感じなかったです。自分らしくいることに応援していただけたことがとても嬉しいと思います。
昨年の全豪オープン出場時はとても緊張していましたが、今回は前回ほど緊張せずプレッシャーがない中でリラックスしてプレイできたことが結果に繋がったと思います。
◇全豪オープンで辛いと感じたこと、それを乗り越えたお話を聞かせてください。
大学の時と比較しても、試合数をこなせていないため常に辛い気持ちが付き纏いました。
コーチとのラインのやり取りの中で、仕事との両立に関して弱音を吐いたことがありましたが「両立の大変さは、出場を決めた時から分かっていたことだよね。やるしかないでしょう。」と言われ、辛い気持ちが吹っ切れました。
辛い場面で失うものはないと思いました。試合慣れしていないことも必然的に分かっており「やるしかない」と思ったら少し気が紛れてリラックスしてプレイに集中することができました。今思えば、辛さを乗り越える時にコーチの言葉が大きかったと感じます。
2.コーチとの特別な絆 〜コーチと築いた関係と、その影響力について〜
◇コーチとの関係は長いですか
私が大学1年生の時 3年生の先輩で、知り合って6年目になります。その先輩は留学でオーストラリアへ行っていました。
日本人の方なので、コミュニケーションは日本語でやり取りしていて、なんでも言い合える仲です。
コーチはテニスプレーヤーで、テニス部のキャプテンでした。団体チームで一緒にプレイをしていたこともあり、私がベンチコーチをしていたこともあるんですよ。
◇そのベンチコーチって、どの様な仕事ですか?
個人戦ではベンチコーチは入れず、団体戦の時はベンチコーチが入れるルールがあります。プレイを客観的に見てアドバイスをする仕事です。
私は、個人で集中してやるよりベンチコーチによる客観的なアドバイスがある方がとても助かります。私にとってとても重要な関係です。
3.テニスへの情熱と生い立ち 〜テニスを始めたきっかけと情熱〜
◇喜多選手の生い立ちについて、教えてください
小学生の頃は両親も自分自身も聞こえてないことには気づいておらず、10歳頃に母が左から声を掛けた時に聞こえないことが分かり、大学病院へも行きました。
聞こえなくなった原因も分からないです。
聴力は、環境が変わり疲れやストレスが溜まると低下していることがよくわかります。
テニスは9歳後半頃から始めています。始めるきっかけは、公園で家族と野球をしていた時に、私がバッドでボールを飛ばす様子を父が見ていて「ボールを打つセンスがあるな」と思い、両親が通うテニススクールに通う様になったことが始まりです。
生まれは東京で、5歳から大阪に住んでいました。大学生のときは奈良の聾学校の生徒にテニスを教えていたこともあります。
4.障がいを乗り越えた試合の旅 〜試合会場へ向かう際の困難と、それをどう乗り越えたか〜
◇聴覚に障がいがあることで試合会場へ向かう飛行機等の困りごとはありますか
音声アナウンス、特に英語は聞こえないです。救命胴衣の説明動画では手話による説明がありますが、機長のアナウンスは「アナウンス出ます」と表示され、内容が伝わらないために余計にアナウンスの内容が気になります。現地は英語でしたが、ゆっくり話してくれたり、選手とは世界手話やジェスチャーなどで意思疎通ができました。
◇今回の全豪オープンにおける合理的配慮はどうでしたか
審判のジャッジはホワイトボードを使用し書いて伝えてくれる場面もありました。他には昨年から引き続き手話通訳がいたことです。更に選手の後ろの掲示板が白く光り、とてもわかりやすかったです。例えば、アウトになっているのにラリーが続いている時に掲示板が白く光り気づくことができました。その白く光るボードの存在は昨年との変化点です。
5.仕事とテニスの両立
◇プレイヤーとして、食事等 体調管理で気をつけていることはありますか?
食べることを面倒に思ってしまうタイプなんです。1回/日しか食事しないこともありますが、練習する時はきちんと食べてます。
◇練習はいつ実施していますか
仕事がお休みの日などです。大田区で先輩と練習したり、神奈川や埼玉へ行ってます。そこには元同期がいて練習として相手になってくれます。
今年は、年始から地震があり練習はできなかったです。地震の対応が多かったですが、同僚のみなさんのお陰で予定通り試合に出場できたことに感謝しています。
そして、試合に慣れていることも重要だと感じました。ただ、仕事もテニスも大切ですが仕事の方が大切です。もし、テニスの大事な大会があっても、例えば震災等があって取材に行く必要が発生したら取材に行くと決めています。
2年後の東京デフリンピックへの出場もまだ分からないですが、プレイヤーとしてではなくデフリンピックの取材をしたいと思っています。
聴覚障がいについて伝えたい気持ちが強いんです。それを伝える絶好の機会がデフリンピックなんです。
プレイヤーしながら他の競技の取材ができるのか分からないです。きっと、それを実現した人いないと思います(笑)
◇同じ職業で同じ仕事をしている方に聴覚障がいの人はいるんですか?
アナウンサーやディレクターなどはいますが、記者はいないそうです。
聞こえにくいことによって、思い通りに取材できないことはあります。そんな時は正直に聞き取れなかったことを伝えますが、私は記者に向いてないのではないか・・・という
気持ちになります。でも、言い訳しない気持ちで記者を続けたいと思っています。
聴覚障がいに限らず、障がいのある人に対して取材のきっかけになることもあるので、障がいのあることを強みにできたらとは思っています。
一般的には、発話力は低下すると言われますが、ロジャーマイクを使用するとよくそれが把握できるんです。
◇ちなみに、来年の出場について検討していますか?また、時間の確保が難しくなった今、練習で工夫している点はありますか?
来年も出場できたら嬉しいと思っています。
練習では基本を大切にしています。足の運び等 これまで意識してできてた部分が欠けてしまってることもあるので、あえて意識して練習する様にしたり、現役の時、どんな指導を受けていたかなと思い出しながら細かいことを意識しながら練習しています。
これまでは体で覚えていたことができない部分を意識して練習するようにしています。
◇今回も、オーストラリア出発の前日までお仕事で大変そうでしたね
私の企画は聴覚障がいに関するものが多いのですが、同僚が「これ大事な話だね」と理解してくれ、取材へ行くことができていいます。
今回も前日に生放送の仕事があり、翌日オーストラリアへ出発するスケジュールでした。
◇日本は寒い時期に、オーストラリアへ移動すると暑くなる。そんな時のコンディションはどの様に整えるんですか?
試合前に早めに会場入りして順応できるようにしています。本当はサウナに入ると良いんですが、今回はそんな余裕はなかったです。
サウナも本当に効果あるのか不明ですけどね(笑)
◇最後に今後の抱負を聞かせてください
大学時代と同じように、健常の大会にも出たいと思うことがあります。健常の大会はレベルが高く、大会数も多いんです。
また、デフの大会は補聴器を外して出場しますが、健常の大会は補聴器着けて出場できるので少し聞こえる状態で参加できるんです。
いつでも試合に出場できるように定期的に練習はしておきたいと思います。
今後も応援よろしくお願いします。
~編集後記~
今回の取材では、喜多選手の素晴らしい成績と、障がいを強みに変えて仕事もテニスも全力でプレイする、そんな姿をお伝えできたのではと思っています。
喜多選手は、不安や迷いがなく、周囲の理解者に感謝する気持ちを持ち続けていることが強さの秘訣だと感銘を受けました。
また、応援しているファンとして、喜多選手のさらなる成功を祈っています。
未来の試合にも期待しています。
今後の喜多選手に注目です!!
YYコンサルタント きよっち
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