そこに私はいません眠ってなんかいません

祖母の命日が近い。
私は両親と顔が似ていないし、性格も全く違う。
親族で一番似ているのが祖母だった。


祖母は大正生まれで戦争も関東大震災も経験している。戦争経験や震災経験については何も言われなかったけれど、よく私に言っていたことがある。


日本語、そして英語、プラスでもう一つ言語を学びなさい。貴方の生きる世界はもっと広いのだから。


なんか不思議な人だった。戦争中に日本は負けるからと思って英語の勉強をして軍隊に捕まったりしてたらしい。軍事費として祖母の両親が寄付をしようとしたのをどうせ負けるから渡すなと言って殴られたり、空襲警報がなるなかピアノを弾いていたらしい。


今振り返ると私のこの血筋は祖母からだ。

演歌は嫌いだし、大晦日は紅白ではなく第九を聞いていた。

私がクリスチャンの学校に通っていることが嬉しかったらしく会うたびに一緒に讃美歌を歌った。


そんな祖母が認知症と診断された時に私に言ってきたことがある。


私が死んでもお墓参りなんかしないでくりすちゃんの人生を歩みなさい。私はお墓の中にはいないから。自由に行きたい国に行くから。たまに思い出してね。


成人式の振袖姿は見せられなかったし、何も祖母に孝行ができていないけれど、私がいま韓国語を勉強しているのは祖母に届いているだろうか。


お墓の前で手を合わせて祈ったら怒られそうな気がする。勉強をしなさいって。

だから私はお墓には行かないけれど祖母の残してくれた気持ちを胸に広い世界で生きていく。


あぁでももう少し一緒に過ごしたかったな

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