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反比例する仕事量と所得による転職者の増加

 2024年の末から2025年1月下旬の現在に至るまで、私の職場では私の元に多くの業務が飛び込んでいます。ここ最近の私が取り組むデータエンジニアリングの業務は需要が高いようで、部外から業務の依頼が駆け込み寺のごとく私の元へと来ています。

 それに対して反比例するかのごとく、某テレビ局のような不祥事はないにせよ、私の職場では来年度の所得が減る可能性が高くなってきました。それを察知した職場の人は少なくなく、職場を去る選択をした人もポツポツと現れ始めており、私自身もこの選択をせざるを得なくなる場合が出てきました。

 某テレビ局と同様、私の職場は日本で知らない人がいないほどの大手企業に該当しますが、そのような企業ですら世間が思うほど金払いはよろしくありません。同じ仕事をしても年寄りの方が給料が高いですし、いくら仕事量を増やしたところで給料には反映されません。その結果として、来年度の所得が減退するような事態になれば、若手の優秀な層から職場を去っていくことは当然の帰結でしょう。

 私自身も年寄りが多い日本社会では若手に分類され、自身が優秀だと自惚れるつもりは毛頭ありませんが、本当にお世話になっている職場の恩師には、もっと実力に見合った待遇のよい職場へ転職することを薦められました。構造的に明らかに恩師と私が所属する研究開発部門は事務系よりも待遇が悪く、恩師は来年度の事態も鑑みて会社よりも私のことを思って転職を提案してくれたようでした。

 私にとって仕事は趣味としての側面が強いため、お金だけで今の職場を選択したわけではないものの、たしかにこれ以上の所得の減退は耐えられそうにありません。不労所得を稼げるほどに私のnoteが成功しているならばともかく、そのような気配は一向にないため、転職は現実的な選択肢になってきたわけです。

 転職以外の選択肢としては仕事終わりや休日に別の仕事を入れることも考えられますが、『Die with Zero:人生が豊かになりすぎる究極のルール』にも記載されていたように、それでは「仕事だけの人生だった」と後悔する晩年になってしまうかもしれません。私は仕事以外の趣味にも時間を割きたいですし、家族との時間も確保する必要があります。

 職場にとって若手の優秀な層が辞めていくことは損益になりますが、同時に低賃金でこのような人たちを留めておくことは不可能だと学べるよい機会です。今までの職場はこのようなことを学べなかったからこそ、今のようなあり様になったわけですが、それならば若手の優秀な層から次々と職場を去って最悪の場合には倒産するだけです。某テレビ局と同様、人を大事にできない職場には当然の報いです。

 日本人の誰もが知っている大手企業が倒産すれば、某テレビ局へのCM差し控えの件と同様、世間に対してある程度は衝撃を与えることになるでしょう。しかし、この衝撃もつかの間、そのようなことを忘れてしまうのが衰退途上国の我らが誇り高き日本です。したがって、転職先になり得る場所は安住の地ではなく、結局はどこかのタイミングで独立しなければ、いずれはジリ貧になってしまうのだとひしひしと感じます。

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ハカセさん
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