「たまに」 詩 コラム
こんにちは、あんです。
いつも幸せでいたい。
普段ずっと苦しい思いは出来るだけしたくない。
そう願うことは、当たり前なのでしょう。
でも、『いつも』幸せでいたら、
幸せ、って感じることのハードルが、高くなる。
何も食べれない、飲めない、そうなったら、
冷たいお水がやっとゴクリと飲めれば、
人生で最高の幸せと感じることもあるでしょう。
でも、普通の生活の中で、冷蔵庫から水を出して、
コップ一杯、ググっと飲んだところで、
今日の不幸だったことしか、頭の中にはない。
前者の方が不幸なのであろうに、
前者の方が、幸せである。
それは、いつもではなく、
特別なとき、『たまに』があるからそう思えるのです。
イベントが楽しみなのも、毎日そのイベントがあったら、そのイベントはどれだけ楽しくても、楽しみではなくなります。
大好きな食べ物を、食べ続けたら、
多くの大体のひとたちは、飽きがきて、
なのにさらに食べ続けるなら、幸せを感じられず、
それが大好きな食べ物ではなくなります。
『いつも』幸せがいいなら、
『たまに』幸せなことをすること。
逆に不幸に見えて、そっちがすごく近道。
それが一番、幸せを感じる方法。
だけど、その方法に頭は騙される。
そんなことで幸せが感じられるようになった訳がない、と。
でも、幸せになりたいなら、やってみて。
そんな詩、どうぞ。
「たまに」
いつもいいことばかりがいい
でも実はいいことばかりだと
いいことって感じなくなるの
悪いことは幸せの種なのかも
たまにある幸せが
とてつもない幸せに感じて
ちょっとがおっきく見える
幸せに囲まれた自分
いつも楽しくいたいもの
でも実は楽しいばかりだと
楽しいって感じなくなるの
苦しみは楽しみの種なのかも
たまにある楽しみが
とてつもない楽しみに感じて
ちょっとがおっきく見える
楽しみに囲まれた自分
悪いことばかり苦労ばかり
いやいやなこの人生は
先にいやなこと終わらせちゃえ
後は幸せばっかりじゃん
どんな困難にも負けず
生きていたことはいつか
たまにじゃない幸せを創るよ
未来は明るいのかもしれない
この世界の中に存在している、
外国の貧困のひとたちは、
不幸で、『たまに』の幸せさえも与えられずに、
命を終えてしまうのです。
この国でも、いつも幸せなんて、無理な話なんだから。
たまに訪れる幸せを、心から大事にしよう。
そして、自分から動いて、試練を越えて、
幸せになったとき、それは自分が自分を認めてあげられる、という、人生の幸せに辿り着くのです。
『たまに』。
それは、幸せを心から感じられる、
本当の幸せの方法なのです。
いつもの幸せは、小さなものでも、
たまに大きな幸せを、自分へのご褒美に。
そしたら、自分は頑張ってくれるかな^_^
最後まで、ありがとう^_^
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ありがとう^_^
では、また。
あん