わが国特有の「共同体型組織」・・・・・改めるべきが9割

 日大アメフト問題や官僚、大企業の不祥事などによって存在価値が問われている共同体型組織。今後、維持すべきか、改めるべきか意見を募った。

[A] わが国の強みであり、維持すべきである。

[B] 時代に合わなくなっているので、あらためるべきである。

A、B二者択一で自身の考えに近いほうを選んでもらったところ、Twitterでは2240票が集まり、Bが9割と圧倒的多数を占めた。あいつぐ不祥事が世間をにぎわした直後ということもあってか、大半の人が改革賛成派だった。

ただ、寄せられたコメントのなかには、共同体型組織そのものが悪いわけではないとか、その強みを生かすべきだといった意見もある。たしかに不祥事の主な原因が組織を動かす人間の側にあるのなら、不祥事が起きたからといって共同体型組織そのものを解体するのは「産湯といっしょに赤子を流す」ような誤りを犯すことになる。

とはいえ現実に共同体型組織のなかで不祥事が多発していることは重く受け止めなければならないだろう。

しかも問題点は、不祥事との関係だけにとどまらない。近年、わが国では欧米などに比べてイノベーションやブレークスルーが生まれにくく、それが国際競争力の低下にもつながっていると指摘されている。その一因が共同体型組織にあると考えられる。共同体型組織では「出る杭は打たれる」のたとえどおり個人の突出を抑えるため、個人ならびに組織や社会の活力を十分に引き出せないからである(拙稿「ポスト工業化社会の企業論:個人を組織から「分化」せよ」 『DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー』ダイヤモンド社、2017年11月号、46-57頁)。

またウチとソトを厚い壁で隔てる共同体型組織は、IT化やグローバル化でボーダレスになった現在の社会にはそぐわないという面もある。

いずれにせよ、これまでとは違って共同体型組織組織の微修正では乗り切れない局面を迎えているのではなかろうか。

「個人」の視点から組織、社会などについて感じたことを記しています。